第95話:冬が来る。根治は、あと二回
――王都。薬事三条、施行の日。
王宮の大広間で、王太子アロイスが条文を読み上げた。品質。適正取引。資源保全。三つの柱はそれぞれ短い条文で、誰が読んでも同じ意味にしか取れないように書かれていた。
「三条の検印の基準は、北方辺境ノルデンの判とする。王都検品長、ユリウス・アッヘンバッハ」
「は」
黒い制服の検品長が一歩前に出て新しい判を受け取った。彫りはノルデンの職人の手。彫り刀を右に倒す癖の本物の判だった。
広間の端で宰相が茶を飲んでいた。隣で旧勢力の生き残りが苦い顔をしている。
「爺どの。……あの辺境の小娘は、結局何も受け取らなんだな。席も名も」
「受け取ったとも」
宰相は茶碗を置いた。
「三条が三十年後も回っておることを受け取ったのじゃ。名を書いた者は名とともに消える。名を書かなんだ者は消えん。……嬢やは、それを知っておった」
*
救護院では、ミレーユが辺境から戻った翌日から講堂に立っていた。
黒板に、二つの数字が書いてある。十八。十七。
「祈った苗は十八本、祈らなかった苗は十七本、根付きました。差は一本。偶然の範囲です。……つまり、祈りは、苗には効きません」
講堂の若い修道女たちがざわめいた。聖女の口から、祈りが効かないと聞かされるとは思っていなかった顔だった。
「ですが、わたしには効きました。毎朝通う理由になり、通ううちに土の色と葉の向きが読めるようになりました。……祈りは、薬の邪魔をせずにそばにいるためのものです。これが両輪医学の最初の授業です」
黒板の二つの数字の下に彼女は小さく書き足した。辺境で数えました、と。
*
――辺境、ノルデン。
冬が来た。
初雪の朝、店の戸を開けると雪の上に足跡が並んでいた。一人や二人ではない。店の前から北門まで旅支度の若者が列を作っている。
「……あの。これは」
先頭の若者が帽子を取った。
「王都の医学校の者です。薬事三条の施行で、辺境検定所が検印の基準になったと聞きました。……その、基準を作った先生のもとで、学ばせていただけないかと」
「僕も、同じです。南の港町から」
「あたしは、東の谷の向こうの村で、産婆をしております。冬の薬の作り方を」
十七人いた。十七人が雪の中で帽子を取って立っていた。
私はしばらく言葉が出なかった。二年前の冬、この店に王都からの研修生が来た日のことを思い出した。王都から来た生真面目な次席と、下町の声かけ上手。栄養剤を十回失敗した二人。
「……皆さま。まず、中へ。雪の中で立ち話は、凍え病のもとですので」
店に入りきらなかったので隣の検定所に詰め込んだ。ノエルが何だ何だと出てきて、列を見て笑った。
「先生。言ったでしょう。辺境が中央になったんですよ。中央には、人が来るんです」
「十七人は、多すぎます」
「多くないですよ。三十年ぶんの薬師が、足りてないんですから」
私は十七人の顔を見た。若い顔とそうでもない顔。王都の言葉と南の訛りと、谷の向こうの言葉。
「……わかりました。ただし、最初の教えは、一つだけです」
十七人が居住まいを正した。
「診られる人間を育てます。薬を教えるのではありません。診る目を育てます。疑って、量って、記録する。……最初の一年は、栄養剤を十回失敗していただきます」
後ろでノエルが吹き出した。
*
十七人の寝床は街が引き受けた。マーサの長屋に五人、兵舎に六人、山の民の集落に三人、検定所に三人。冬のあいだ、この街は薬師の卵でいっぱいになる。
夕方、私は森へ出た。
二代目さまの根元に雪が薄く積もっていた。リタが雪を払い、落ち葉をかけ直している。森の見守り番は初雪の日から休まなかった。
「師匠。二代目さま、雪、平気だって。金色、減ってない」
「ええ。この子は、この森で冬を越してきた子ですので」
聖樹の梢を見上げた。浅い緑の梢に雪が白く載っている。その梢の色が秋よりわずかに薄いことに、私は気づいていた。気づいて、診療録にはまだ書いていなかった。
店に戻るとヴァイスが暦を見ていた。
「……冬が来たな」
「ええ」
「根治は」
「あと二回でございます。二十三回目がこの冬の初め。二十四回目が冬の終わり。……満了です」
ヴァイスは暦から目を上げなかった。
「あと二回、か」
声は、いつもの無口の少し手前で止まっていた。
薬事三条、施行。宰相「名を書かなんだ者は、消えん」。ミレーユの最初の授業は「祈りは苗には効きません」。そして辺境に、十七人の弟子入り志願。
次回、第九十六話「次で、最後ですね」。根治二十三回目。満了前夜の、沈黙。




