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第94話:わたしを、継いで

「聞こえた、っていうか……」


 リタは祠の石から手を離して言葉を探した。


「わかった、が近いかも。音じゃないの。金色の流れ方がいつもと違って見えて。それが言葉みたいにつながった」


 私はリタの隣に膝をついた。急かさない。この子の視えは、急かすとこの子自身が言葉を作ってしまう。


「どう、つながりましたか」


「聖樹さまの金色はいつも、根から梢へ上がって梢から根へ下りる。ぐるぐる回ってる。……でも今日、根元の祠のところで金色が外へ出てた。一筋だけ」


「外へ」


「うん。根の道じゃない。もっと細い糸みたいなの。祠の石の下を通って北の斜面のほうへ。……何かに渡そうとしてるみたいに」


 リタは立ち上がった。金色の糸の先を、目で追っている顔だった。


「師匠。ついてきて」


  *


 北の斜面は、南と違って三十年前の乱獲を免れた場所だった。古い木が残り、下草が厚く、落ち葉が足に沈む。聖樹の根がいちばん深く伸びている区画だ。


 リタは迷わなかった。落ち葉を踏み、古い木の根を跨ぎ、聖樹から五十歩ほど離れた小さな窪みの前で止まった。


「……ここ」


 窪みの真ん中に一本の若木が立っていた。


 人の背丈ほど。幹は私の手首より細い。葉の形は聖樹と同じだった。実生だ。聖樹の種が落ちて落ち葉の下で芽を出し、誰にも気づかれずにここまで育った。


 私は若木の根元に手を当てた。土が温かい。冬の土とは思えないほど湿って黒い。南の斜面の白茶けた土とは別物だった。


「リタさん。この若木に、金色は」


「ある。聖樹さまと同じ色。……細いけど濃い。そして、聖樹さまからの糸がこの子の根につながってる」


 私は若木を見上げた。


 それから聖樹を振り返った。五十歩の向こうで、浅い緑の梢が冬空に立っている。三十年の取りすぎに耐え、火を耐え、いまも根を四方へ伸ばしている。その根の一筋がこの若木に通っている。


 継いで。


 私は診療録の処方の行に書いた最後の一語を思い出した。


「……そういう、意味でしたか」


  *


 その夜、森番小屋で私は診療録を開いて、長いあいだ筆を持っていた。


 最初に書いた診断は、こうだった。病名、三十年の取りすぎ。処方、返すこと。


 それは間違っていなかった。けれど足りなかった。


 人の療養なら、治るとは元の体に戻ることだ。だが木には別の治り方がある。年老いた木は元に戻らない。戻る代わりに子を残す。自分の根が集めた水と養いと同居人を、次の一本に渡す。渡しきって、倒れる。


 聖樹はそれを三十年できずにいた。乱獲で下草が剥がされ、種が落ちても芽が育たず、芽が育っても若木になる前に掘られて売られた。次の一本を残せなかった。


 最後の願い。“わたしを、継いで”。


 治してくれ、ではなかった。自分を元に戻せ、でもなかった。次の一本を育ててくれ。自分が渡すものを受け取る相手を残してくれ。……そういう願いだった。


 私は新しい頁に書いた。


 ――再生とは、元の木を戻すことではない。次代を育てて、引き継ぐこと。


 書いて筆を置いた。


 窓の外で、リタがまだ若木の話をしている。グレタにミレーユにヴァイスに、身振り手振りで。


  *


 翌朝、若木のことは街じゅうに知れていた。


 マーサが見に来て、細いねえと言った。ゴルドが見に来て、柵を打とうと言った。山の民の長老が見に来て、若木の前に膝をついてしばらく動かなかった。


「……継ぎ目の木だ」


 長老は若木の根元に落ち葉を一掴み載せた。


「祠のそばに次の一本が立つ。言い伝えのとおりだ。わしはこれを見るために生まれてきたのかもしれん」


 ノエルが検定所の若い者を連れてきて、名前をつけましょうと言った。街の呼び名が要る、と。


「二代目さま、でどうです」


「……そのままですね」


「そのままが、いちばん覚えやすいんですよ。先生の『聖樹さま診療録』と同じで」


 二代目さま。その日のうちに街はその名で若木を呼びはじめた。


  *


 夕方、リタが若木の前で私に言った。


 ほかに誰もいなかった。ヴァイスは柵の木を取りに行き、グレタは小屋で師匠の帳面を読んでいた。


「師匠」


「はい」


「あたし、ずっと思ってた。あたしの目って何のためにあるんだろうって。病の気が視えても病は治せない。金色が視えても薬は作れない。……師匠みたいに、手で何かを治すことができない」


「リタさん」


「でも、今日わかった。あたしの目は継ぎ手を見つける目なんだ。聖樹さまが誰に渡したいか、見える。……誰を次にするか」


 リタは若木の幹にそっと手を当てた。


「だから、師匠。あたし、森の見守り番になりたい。薬屋も続ける。師匠の弟子も辞めない。けど……この子が大きくなるまでそばで見てたい。この子の次も、その次も」


 十四の弟子が、自分の持ち場を自分で決めた。


 私は少しだけ黙った。黙ってから言った。


「……診療録に、書いておきます。森の見守り番、リタ。本日、着任」


「着任!」


「ええ。薬師の弟子と森の見守り番、二つの持ち場です。忙しくなります」


「うん。うんと、忙しくなる」


 若木の梢の上で冬の星が出はじめていた。

“わたしを、継いで”――治してくれ、ではありませんでした。次の一本を育ててくれ。聖樹の根の一筋が通う実生の若木、「二代目さま」。そしてリタ「あたし、森の見守り番になりたい」。


次回、第九十五話「冬が来る。根治は、あと二回」。王都の到達点と、辺境へ続々と来る弟子入り志願。

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