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婚約破棄された悪役令嬢は、辺境で薬屋をはじめます 〜王宮の薬はすべて私が支えていましたが、納品停止いたしますね。お大事になさってください〜  作者: 白崎リラ


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第9話:雪の前に、できること

「兵舎の常備薬を、すべて見直してほしい」


その依頼を閣下が持ってきたのは、初霜の朝だった。


「ノルデンの冬は長い。雪に閉ざされれば、隣街の医者は呼べん。例年、兵も民も、冬の間にいくらか死ぬ。……今年は、減らしたい」


「お任せください。お得意さま」


というわけで、この一週間、私は領軍の兵舎に通い詰めている。


薬庫を開けて、最初に深いため息が出た。


期限切れの軟膏。湿気を吸って固まった散薬。何の薬か、もう誰も分からないラベルのない壺。


「ぜ、全部だめですか」と軍医のおじいさま。


「三分の二は処分です。ですが、嘆くのは後回しにしましょう。冬は待ってくれませんので」


凍傷の軟膏。咳止めの煎じ薬の素。傷の消毒酒。下痢止め。それから、雪目のための洗眼水。


ノルデンの冬に何が要るかは、グレタ婆とギルドの寄り合いで、徹底的に聞き込んであった。処方を立て、リタさんと夜なべで仕込み、棚の並びまで作り直す。


「字が読めない兵でも間違えないように、壺の色で分けます。赤は外傷、青は腹、白は熱。……使い方は、明日から各隊の炊事番に教えます」


「炊事番に? 衛生兵ではなく?」


「兵が最初に不調を訴える相手は、軍医ではなく、飯を盛る相手ですので」


軍医のおじいさまは目を丸くして、それから「儂の五十年は何だったのかの」と笑った。



作業の最終日。薬庫の棚卸しを終えた夕刻、閣下が視察に来た。


「――見違えたな」


色分けされた壺の列を眺めて、閣下は満足げに頷いた。それから、当然のように上着を脱いで腕まくりを始める。


「で、俺は何を運べばいい」


「閣下。患者は力仕事をしない約束です」


「もう患者ではない。療養中の領主だ」


「屁理屈の調合がお上手になりましたね……」


結局、一番重い薬箱の山は、全部あの方が三往復で運んでしまった。解毒が進んだ左腕は、もうほとんど日常に支障がない。喜ばしいことである。喜ばしいことなのだが、患者が言うことを聞かないのは万国共通の悩みらしい。


帰り道、閣下は馬を引きながら、私と並んで歩いた。


街道の先、聖樹の丘が夕陽に染まっている。葉のない枝が、骨のような影を落としていた。


「……礼を言いそびれていた」


ふいに、閣下が言った。


「偽薬の件だ。あの売り子の白状、報告で読んだ。子どもを救い、市場の連中の財布も守ったそうだな。領主として礼を言う」


「薬師として当然のことを、です。……ただ」


「荷札か」


さすがに、話が早い。


「ええ。王宮医薬局の出納印。偽造かもしれません。ですが、もし本物なら――検品されないままの薬が、正規の流通に乗って国中に出回っている、ということになります」


「であれば、被害は辺境より、王都の足元のほうが深いだろうな」


閣下は前を向いたまま、低く続けた。


「……ひとつ、聞いていいか。ずっと聞かずにいたが」


「どうぞ」


「あの夜、貴女は俺の毒を『精製されたもの』と言った。あれから俺は、五年前を調べ直させている。……貴女の見立てでは、あの毒を作れる人間は、この国にどれほどいる」


足元で、枯れ葉がかさりと鳴った。


「材料の入手、精製の設備、調整の知識。三つ揃う場所は――王都に、数えるほどかと」


「だろうな。俺も、そう思い始めていた」


閣下はそれ以上、何も言わなかった。私も、聞かなかった。


誰が、なぜ。それを追うのは領主の仕事だ。私の仕事は、毒を抜き切ること。


ただ、夕陽の中のその横顔が、診察のときには見せない種類の――軍人の顔をしていたのだけは、よく覚えている。



「そういえば閣下。本日で兵舎の仕事は納品まで完了です。つきましては、お代の話を」


「ああ。ギルドの相場の倍は払う」


「相場どおりで結構です。そのかわり、ひとつ」


「……また『そのかわり』か。言ってみろ」


「春になったら、領のお触れを一枚いただけませんか。――『山の薬草の採取は、根を残し、群生の三割を残すこと』。リタさんたち山の民の決まりごとを、領主さまの言葉にしていただきたいんです」


閣下は、不思議そうな顔をした。


「構わんが……なぜ今、それを」


「最近、よその買い付けが荒いと、ギルドで聞きました。根こそぎ持っていくのだと。あの山は、この街の薬箱ですので。空にされてからでは、遅いんです」


「……分かった。約束しよう」


街の門をくぐる頃には、最初の星が出ていた。


「では閣下、また明後日。お薬の時間は夜半の前、お忘れなく」


「ああ。……セラフィーナ」


初めて、名前を呼ばれた。


振り返ると、閣下は少しだけ目を逸らして、ぶっきらぼうに言った。


「冬の間も、店の薪は俺が割る。……貴女の手は、薬のためのものだ。あかぎれなど作るな」


返事をする前に、あの方は馬に乗って行ってしまった。


リタさんがこの場にいなくて、本当によかったと思う。にやにや笑いの弟子に、明日なんと説明したものか――いえ、説明することなど、何もないのですけれど。



その夜、遅く。


領主館の門を、王都からの早馬が一騎、駆け抜けた。


冬支度、整いました。そして早馬が一騎。次回「王都にお戻りいただきたい」――言われましても、ねえ? ブックマークと評価で、暖炉に薪をくべていただけると幸いです。


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