第8話:偽薬さわぎ
その朝、市場が騒がしかった。
「『王都仕込みの万能薬』だってさ。飲めば熱も腹痛も古傷も、たちどころに治るって」
「お貴族さま御用達と同じ製法らしいよ。一瓶、銀貨二枚!」
市場の入り口に、見慣れない行商の屋台が出ていた。
派手な天幕。口上のうまい売り子が二人。台の上には、琥珀色の液体の入った瓶が、ずらりと並んでいる。
『王都直送・医薬局検印・万能霊薬』
リタさんが、買い出し籠を抱えたまま眉をひそめた。
「師匠、あれ……」
「ええ。嫌な看板ですね」
万能薬。前世でも、この世界でも、その名前を堂々と掲げる薬にろくなものはない。
けれど、私が動くより早く、騒ぎのほうがやって来た。
「だ、誰か! うちの子が、うちの子がっ……!」
三日後の朝だった。
蒼白な顔の母親が、店に駆け込んできた。抱えられた五歳くらいの男の子は、ぐったりとして、唇の色が悪い。
「熱っぽかったから、あの万能薬を……そしたら吐いて、吐いて、止まらなくて……!」
寝台に寝かせ、診る。
脱水がある。瞳孔は正常。腹部は……張っている。吐瀉物の匂いに、かすかに刺すような酸の臭気。
(熱の病気ではない。これは――中毒です)
「リタさん、白湯に塩と蜂蜜を。薄めに、人肌で」
処置を進めながら、母親から空き瓶を受け取った。栓を開け、匂いを嗅ぎ、灯りに透かす。
琥珀色の正体は、安い香草酒だ。それから、舌先に一滴。
(……甘い。それも、砂糖の甘さではない)
鉛の甘さだ。安物の鍋で雑に煮詰めると、こうなる。
「――この『万能薬』、中身はただの香味酒です。それも、作りが雑で毒を含んだ」
「そ、そんな……銀貨二枚も、したのに……」
男の子は、半日の処置で持ち直した。子どもの体に深い害が残る前で、本当によかった。
けれど、市場ではすでに何十瓶も売れている。
放っては、おけなかった。
*
翌日の昼。市場が最も混み合う刻限に、私は屋台の前に立った。
「いらっしゃい、お嬢さん! 王都仕込みの万能霊薬、いかがです!」
「ええ、伺いました。熱にも腹痛にも古傷にも効くとか」
「そのとおり! 医薬局のお墨付き――」
「では、その検印を拝見できますか。私、つい二月前まで、王宮医薬局の検品をしておりましたので」
売り子の笑顔が、固まった。
人垣が、ざわりと揺れる。市場のみんなは知っている。市場通りの薬屋の先生は、王都から来た、ということを。
「け、検印は、ほら、ここに焼き印が」
「これは医薬局の印ではありません。本物は王冠の下に杖が二本。これは一本。――まあ、印の真偽は措きましょう。中身の話をいたします」
私は、買い取ったままの瓶を一本掲げ、人垣に向き直った。
「皆さま、お手元の万能薬、栓を開けてみてください。三つ、確かめます」
これは公開検品だ。八年間、毎週やってきた仕事を、市場の真ん中でやるだけのこと。
「一つ。瓶を逆さにして、底を見る。――白い沈殿が渦を巻きませんか? 薬液の沈殿は均一に沈むもの。渦を巻く粉は、後から混ぜた増量剤です」
「ほ、ほんとだ。巻いてら……」
「二つ。手の甲に一滴、こすって匂いを。薬草の香りは消え、酒精の匂いだけ残りませんか? 香りで薬草を『着せた』だけの証拠です」
「三つ目は、私が代わりに。……これは飲んではいけません」
私は銀の匙を取り出し、薬液に浸して、皆に見えるよう高く掲げた。
ゆっくりと――匙の表面が、灰色に曇っていく。
「銀は、この手の鉛毒に触れると曇ります。一昨日、この『万能薬』で五歳の子が中毒を起こしました。熱も腹痛も治しません。毒です」
市場が、静まり返った。
それから、爆発した。
「か、金返せ!」「うちの婆さんにもう飲ませちまったよ、どうしてくれる!」「衛兵! 衛兵を呼べ!」
売り子二人は天幕も畳まず逃げ出そうとして、人垣の一番後ろにいた巨漢――非番だったらしい鍛冶屋のゴルドさんに、襟首をまとめて吊り上げられた。
*
「――見事なお手並みだったそうだね、先生」
夕方、店に来たのはグレタ婆だった。薬師ギルドの長老たちを三人も引き連れて。
「ギルドとして礼を言うよ。ああいう紛い物は、あたしらの商売と、この街の信用を腐らせる」
「いえ。薬師として当然のことを」
「その『当然』をやらない薬師が増えたから、世も末なのさ」
グレタ婆は、しわ深い目で私をじっと見た。
「あんたを認めるよ、王都の先生。ギルドの寄り合いにお出で。山の薬草のこと、冬の備えのこと、相談したいことが山ほどある」
それは、この街の薬師たちの輪に迎え入れるという意味だった。ありがたく、お受けした。
「ところで先生や。捕まった売り子ども、衛兵に妙なことを吐いたらしい」
帰り際、グレタ婆が声を落とした。
「仕入れ元は王都の卸商。荷はぜんぶ正規の手形付き。――それでね、荷札の発行元が」
「発行元が?」
「王宮医薬局の、出納印だったとさ」
夜風が、店の看板を小さく揺らした。
王都で検品をすり抜けた偽薬が、手形を付けて、辺境まで流れてくる。
私が居なくなった穴は、私が思っていたより――ずっと深く、ずっと遠くまで、広がり始めているのかもしれなかった。
公開検品、これにて閉廷です。ですが荷札の出どころが、少し不穏。次回は冬支度のお話です。ブックマークと評価には、偽りなき品質でお応えします。




