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第7話:王都の薬が、効かない

王都の朝は、咳の音で始まるようになった。


季節の変わり目だ。例年のことではある。例年と違うのは――薬が、効かないことだった。


「おかしいじゃないか! 先週買った解熱剤だぞ。子どもの熱が、三日経っても下がらん!」


下町の薬種商の店先で、男が瓶を叩きつけた。


「う、うちに言われても。仕入れは全部、医薬局の検印付きで」


「その検印とやらが、信用ならんと言ってるんだ!」


似た光景が、王都のあちこちで起きていた。効かない解熱剤。香りの飛んだ咳止め。沈殿の浮いた胃薬。値は上がり続けるのに、質は下がり続ける。


誰も、理由を知らない。


ただ古株の薬種商たちだけが、首を傾げて言い合った。


「妙な話だ。ほんの二月前まで、王宮検印の薬といえば、大陸一の折り紙付きだったのに」


「ああ。まるで誰かが、ずっと見張っていてくれたみたいな品質だった。……まるで、なあ」


誰、とは、誰も口にしなかった。その名を出すことは、今の王都では憚られた。



王宮医薬局。最奥の執務室で、バルテルミー・クローヴ局長は上機嫌だった。


机には、納入業者からの「謝礼」の目録が積まれている。


実にいい。実に、風通しがよくなった。


八年間、目の上の瘤だった。王太子の婚約者という立場を笠に、納品のすべてに目を通す小娘。規格に合わぬ品を突き返し、水増しを正し、付け届けを「品質に関係ありませんので」と笑顔で断った、あの小娘。


彼女のせいで、どれだけの実入りが消えたことか。


それが今や、どうだ。検品は息のかかった部下が目をつぶって判を押す。納入価は言い値。質の落ちた差額は、すべて懐へ。


それで誰が困る? 貴族どもは多少薬が効かずとも死にはせん。平民は、もとより高い薬など買えん。


「局長。よろしいですか」


部下が、扉から顔を覗かせた。その顔色が、妙に悪い。


「殿下の侍医団から、また問い合わせが。……例の『栄養剤』の件です」


バルテルミーの眉が、ぴくりと動いた。


「殿下が長年お飲みの、小瓶の薬。あれと同じものを調合せよとの仰せですが、処方の記録が、どこにもありません。医薬局の帳簿にも、薬庫の台帳にも」


「グランヴェルの小娘が私的に納めていたものだ。記録などあるものか」


「は。それで侍医団が中身を調べたのですが、その……再現が、できぬと。成分の半分は見当がつくが、残り半分は製法すら分からん。王宮医が三人がかりで、匙を投げました」


「たかが栄養剤だろう」


バルテルミーは鼻で笑った。


「殿下はご壮健だ。聖女様の祈祷もある。似たものを適当に作って、納めておけ」


「……は。仰せのままに」


部下が下がったあと、バルテルミーは葉巻に火をつけた。


胸の奥で、何かが小さく警鐘を鳴らした気がした。が、煙と一緒に吐き出してしまえば、それきりだった。


たかが、栄養剤。


その言葉が、いずれ診療記録の上でまるで違う意味を持つことになるとは、局長はまだ知らない。



同じ頃。王宮の奥、聖女の私室。


ミレーユは、祈りの後の眩暈をこらえて、長椅子に座り込んでいた。


「はあ……っ、はあ……」


最近、祈祷の回数が増えた。殿下の発作。三日に一度だったものが、今は毎日。ひどい日は、朝と夜の二度。


祈れば、痛みは消える。殿下は「君の力は本物だ」と笑ってくださる。なのに、治らない。何度祈っても、発作は必ず、戻ってくる。


まるで、穴の空いた桶に水を注いでいるような。


「わたしの祈りが、足りないから……?」


田舎の教会で見出され、王都に来て、まだ一年と少し。与えられた役目は、ただ祈ること。誰も、祈りの仕組みなんて教えてくれなかった。


ただ一度だけ。王宮最古参の老侍医が、祈祷を見学したあとに呟いたのを聞いた。


『……見事なものですじゃ。じゃが聖女さま、ゆめゆめお忘れなさいますな。魔法で消えるのは症状だけ。病の根は、薬と養生でしか抜けませんのじゃ』


その老侍医は、先月、局長と言い争った末に職を辞して、王宮を去った。


今のミレーユの周りには、「祈れ」と言う人しか、いない。


「ミレーユ様。殿下がお呼びです。……その、また、お加減が」


「っ、すぐ参ります」


聖女は、ふらつく足で立ち上がった。


窓の外、北の空を、渡り鳥の列が横切っていく。


その渡りの先に、ただ一人、桶の穴をふさぐ術を知る者がいることを――この王宮で、誰も思い出さなかった。



夜。王都の裏酒場で、商人風の男が、向かいの席に紙束を滑らせた。


「で、これが先月からの納品記録の写しだ。ご所望のな」


受け取ったのは、旅装の男。辺境伯家の影働き――諜報を任とする男である。


「確かに。……閣下からの言伝だ。『引き続き、医薬局長の身辺を探れ』」


「へいへい。しかし辺境伯さまも、ご執心だねえ。王都の薬役人なんぞの、何がそんなに気になるんだか」


旅装の男は、答えなかった。


ただ、五年前の戦場で主君の腕に刺さった、あの矢のことを思い出していた。


『これは、精製された毒です。それも、相当な技術を持つ者の手による』


王都から来た薬師どのの見立てを聞いたあの夜から、閣下の探し物は、変わったのだ。


毒を売った者から――毒を、作れた者へ。


男は紙束を懐へ収め、卓の隅へ目を落とした。納品記録の末尾に、一行。最近卸し始めたという、新しい荷の控え。


『万能霊薬・北方諸領向け・出納印あり』


辺境へ。男の主君のいる、あの北の土地へ。


男は店を出た。馬は、すでに北を向いていた。

王都パート回でした。誰も気づかぬまま、歯車は欠け始めています。そしてその欠片が、荷馬車に積まれて辺境へ。次回は街に戻って、市場の偽薬さわぎ。ブックマーク・評価が、王都に届かない処方箋のかわりになります。


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― 新着の感想 ―
たかが、栄養剤。 その四文字が、いずれ診療記録の上で別の意味を持つことを、局長はまだ知らない。 AIに書かせっぱなしはやめましょうよ。
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