第10話:「王都にお戻りいただきたい」
使者は、翌日の昼に店へ来た。
仕立てのいい旅装。胸には王宮府の徽章。供を二人連れた、いかにも官吏然とした中年の男だった。
「王宮府より参りました。セラフィーナ・グランヴェル嬢で、お間違いないか」
「ええ。当店の店主ですが――おや」
私は、その顔に見覚えがあった。
「ダレル書記官ではありませんか。お久しぶりです。医薬局の納品台帳で、毎月、判をいただいておりましたね」
「っ……。覚えて、おいででしたか」
ダレル氏は、ばつが悪そうに咳払いをした。覚えているとも。八年間、毎月顔を合わせた相手だ。あの頃は「グランヴェル様の検品があるから儂らは安心して判を押せる」と笑っていた人である。
その人が今、どんな用件で辺境まで来たのか。考えるまでもなかった。
「立ち話もなんですので、どうぞ。――リタさん、お茶を三つ」
*
「単刀直入に申し上げる」
茶には口をつけず、ダレル氏は懐から書状を出した。
「王宮医薬局は目下、納入薬の品質に関わる……その、軽微な混乱の渦中にある。つきましては貴女に、混乱収拾のため、一時的に王都へ戻られたい。これは王宮府の要請である」
私は書状を受け取り、最後まで読んだ。
なるほど。要約すると、こうだ。
医薬局の検品体制を再建せよ。期間は「混乱の収拾まで」。身分は「臨時奉仕」。報酬の記載は、なし。つまり――八年間と同じ、婚約者の務めならぬ、元婚約者の務めとして。
そして書状のどこにも、あの夜会への言及は、ひとことも、なかった。
謝罪がないのは、まあ、予想どおり。
「ダレル様。確認ですが、これはどなたの発案で?」
「……王宮府と、医薬局の連名である」
「バルテルミー局長の名前で、私を呼び戻すのですか」
ダレル氏の喉が、ぐっと詰まった。
私を追い落とした絵を描いた本人が、自分の懐が痛み始めた途端、無償で呼び戻す。よくできた話だ。感心するほど、よくできた話である。
「……グランヴェル嬢。儂とて、思うところはある。あの夜会の話も、聞いておる。だが現実として、王都の薬は今、ひどい有様だ。子どもの熱が下がらんと、下町は」
「存じています」
それは、本当に胸の痛む話だった。偽薬で吐き続けた、あの五歳の男の子の顔を思い出す。王都には、あの子が何千人もいる。
だから私は、丁寧に、はっきりと申し上げた。
「お断りします」
「なっ……」
「ですが、代わりのご提案があります」
私は、棚から一枚の紙を取って、卓上に置いた。
当店の、料金表である。
「私はこの街で薬屋を営んでおります。廃業して王都へ参ることはできません。――ですが、正規のご依頼でしたら、薬師としてお受けします」
「せ、正規の依頼、とは」
「ひとつ。検品体制の再建をお望みなら、手順書を作成して納品します。検品の基準、試験の方法、記録の様式。すべて文書で。――作成料は、こちら」
料金表の一行を指す。ダレル氏の目が、金額と私の顔を往復した。
「ふたつ。手順書を運用できる人材がいないのなら、研修をお受けします。ただし私は動きません。学ぶ方を、この店へ寄越してください。授業料は、こちら」
「みっつ。個別の薬の調合依頼も承ります。処方箋一枚ごとに、こちらの調剤料で。――以上、三点。すべて書面で契約し、対価は前払い。商いの基本ですので」
店の中が、しんとした。
ダレル氏は、絞り出すように言った。
「……無償での奉仕は、できかねると」
「はい。八年分、もう済ませましたので」
にっこり笑って、そう申し上げた。
ダレル氏は何かを言いかけ――そのとき、店の奥から、低い声がした。
「――茶のかわりは、いるか」
衝立の向こうから、湯気の立つポットを片手に、山のような人影がのっそりと現れた。本日、定期診察の日だったお得意さま第一号である。
ダレル氏と供の二人が、椅子から五寸ほど跳び上がった。
「へ、辺境伯閣下!? なにゆえ、このような場所に……!」
「俺の主治医の店だが。何か問題でも」
閣下は私の斜め後ろに、腕を組んで立った。何も言わない。ただ立っている。それだけで、店の気温が二度ほど下がった気がする。
「使者どの。うちの先生の料金表は、適正だぞ。なにせ領軍の常備薬一式を任せた俺が言うのだから、間違いない」
「は、はあ……」
「持ち帰って、上にそう伝えるといい。――それと」
閣下の声が、一段、低くなった。
「この方を『戻す』という言葉を、二度と使うな。この方は荷物ではない。ノルデンの薬師だ」
*
使者の一行は、料金表の写しだけを持って、夕方の馬車で発っていった。
「……よろしかったのですか、閣下。王宮府を敵に回すような啖呵を」
「事実を言ったまでだ。……それより、だ」
閣下は、すっかり冷めた茶を一口飲んで、ふいと目を逸らした。
「断ると思ってはいたが……『学ぶ者を寄越せ』とはな。貴女は、王都を見捨てんのだな」
「見捨てませんよ。患者に貴賤はありませんので。――ただ、私を安く使おうとする方々と、王都で熱を出している子どもは、別のお話というだけです」
「……っ、く」
閣下は、こらえきれずに肩を揺らして笑った。初めて見る、声を立てた笑いだった。
「はは……っ、まったく、貴女という人は。ああ、いいだろう。その流儀、気に入った」
*
――五日後。王都、王宮府。
「『正規の依頼ならば受ける。対価は前払い』……だと? あの小娘、よりにもよって商人の真似事を……!」
復命書を握り潰したのは、報告を又聞きしたバルテルミーだった。
「放っておけ! あんな女に頭を下げずとも、医薬局は儂が」
「――その医薬局の薬が効かぬから、こうなっておるのだろうが!」
会議室に怒声が飛び交う。そのときだった。
扉が乱暴に開いて、蒼白な顔の侍従が転がり込んできた。
「も、申し上げます……! 殿下が、アロイス殿下が、執務室にてご倒れに……! お、お脈が、乱れて……!」
会議室が、凍りついた。
誰もが立ち上がり、誰もが叫び、廊下を走り出す。
その混乱の中でただ一人、バルテルミー・クローヴだけが、椅子に座ったまま動けずにいた。
頭の中で、二月前の夜会の、あの退場間際の声が、今さらのように響いていた。
――王宮医薬局への納品、すべて本日付で停止いたします。
――お大事に、なさってください。
第一章、これにて幕です。お大事に、なさってください。次章、王都が支払う「対価」のお話。ブックマークと評価をいただけると、第二章の早馬が速くなります。




