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婚約破棄された悪役令嬢は、辺境で薬屋をはじめます 〜王宮の薬はすべて私が支えていましたが、納品停止いたしますね。お大事になさってください〜  作者: 白崎リラ


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第11話:王太子殿下、ご危篤

王太子アロイスが執務室で倒れた夜、王宮から眠りが消えた。


「脈が乱れておる! 強心の煎じ薬を、早く!」


「だめです、お吐きになる! 先ほどの薬も受け付けません!」


寝室に侍医が七人。廊下に大臣が十数人。祈りの間から駆けつけた聖女が、震える手で何度目かの祈祷を捧げる。


光が殿下の胸に満ちて――発作が、静まった。


「お、おさまった……聖女様の御業だ……」


安堵の息が広がる。けれど侍医長だけは、青い顔のまま、首を横に振った。


「……三日で、四度目ですぞ。祈祷で抑えられる間隔が、どんどん詰まっておる。これは時間稼ぎに過ぎん。根本の手当てをせねば、いずれ――」


「では聞くが、根本とは何だ! 病名は! 原因は!」


誰も、答えられなかった。


それが、この夜の王宮の、いちばん深い恐怖だった。


大陸一の侍医団が、王太子の病名を、誰一人言えないのである。



「五年だ。五年分の診療記録を洗い直せ!」


翌朝の侍医団の詰所は、戦場だった。


過去の診療記録が床に積み上がる。だが、めくってもめくっても、出てくる記録は「ご壮健」「異常なし」「軽い疲労」ばかり。


「おかしい……おかしいのだ」


最年少の侍医が、髪を掻きむしった。


「この発作、初発のはずがない。心の臓の周りの脈道が、生まれつき細い方特有の所見がある。であれば幼少期から兆候があったはず。なのに記録には、何もない」


「つまり、何者かが隠していたと?」


「いいや、逆だ。――誰かが、ずっと抑え込んでいたんだ。発作が記録に残る前に、毎回、芽を摘むように」


詰所が、静まり返った。


「……おい。殿下が長年飲んでいた、あの『栄養剤』はどうなった」


「分析は匙を投げた。成分の半分が、特定できん。だが効能の見当はつく。脈を整え、血の道を緩め、発作の芽を摘む――まさに、この病のための薬だ」


「誰が作っていた」


問いの答えを、その場の全員が知っていた。知っていて、誰も口に出せなかった。


二月前、この王宮から「悪役」の名を着せられて追い出された、公爵令嬢の名を。



「――グランヴェル公爵。単刀直入に問う。御息女の処方の記録は、公爵家にあるか」


王宮府の重鎮たちに詰め寄られたグランヴェル公爵は、面倒事を見るような目で答えた。


「ない。娘の薬のことなど、儂は何も知らん。……それと、ひとつ訂正を。あれはもう『御息女』ではない。婚約破棄の折に、籍は分家へ移した。当家とは関わりのない娘だ」


「な……っ、では、娘御に処方を問い合わせることも」


「『関わりのない娘』と言ったはずだが?」


公爵は、嫌味なほど優雅に茶を含んだ。


保身のために娘を切り捨てておきながら、その娘の価値が暴騰した途端、恩を売る窓口になる気も、火の粉を被る気もない。徹頭徹尾、関わらぬという賭けに出たのだ。


王宮府は、最後の頼みの綱を失った。


正確には――綱は最初から一本しかないと、認めざるを得なくなった。


北の辺境で薬屋を営む、あの娘本人である。



「料金表ですと!?」


会議室に、ダレル書記官の復命が読み上げられたのは、その日の午後だった。


「『検品手順書の納品、研修の受け入れ、処方箋ごとの調剤。すべて正規契約、対価は前払い』……ぐ、軍務卿、これは」


「ぐうの音も出ん、ということだ」


軍務卿が、苦虫を噛み潰した顔で言った。


「しかも娘の後ろには、今やシュトラール辺境伯がついておる。北の軍権を握る漢に『この方は荷物ではない』と凄まれて、力ずくの選択肢は消えた。残るは――正規の契約、それだけよ」


「お、お待ちくだされ!」


声を裏返したのは、バルテルミーだった。


「王宮府ともあろうものが、市井の小娘に頭を下げ、金を払うと!? 医薬局の威信は」


「その威信とやらで、殿下の薬を作ってみせよ、バルテルミー卿」


会議室が、しんとした。


発言したのは、それまで黙っていた宰相だった。老いた瞳が、医薬局長を静かに射抜く。


「卿が『替えはいくらでも利く』と言った替えは、二月経っても見つからん。卿の検印を受けた薬は、市中で効かぬと評判だ。……時に卿。近頃、医薬局の納入価が随分と上がったそうだな。あれはなぜかね」


「そっ、それは、薬草の市況が……」


「調べさせている。続きは、また後日聞こう」


バルテルミーの背を、初めて、冷たい汗が伝った。


「――決を採る。グランヴェル嬢への正規依頼の件、異議は」


異議は、出なかった。


「ではダレル書記官、再び北へ。今度は契約書と、前払いの金子を持って行け。それと――」


宰相は、しばし瞑目し、重々しく付け加えた。


「王宮府の公式文書として、もう一通。……あの夜会の件の、調査委員会を立てる。謝るべきことは、謝らねばならん。国の体面より、殿下の命だ」



その夜。聖女ミレーユは、殿下の寝室の隅で、膝を抱えていた。


祈りすぎて、指先の感覚がない。それでも、夜半になればまた発作が来る。


(わたしの力じゃ、治せない)


もう、認めるしかなかった。祈りは、痛みを消すだけ。あの老侍医の言ったとおりだった。


ふと、近くで囁き交わす侍従たちの声が、耳に入った。


「……辺境の薬師どのが、契約を受けてくだされば、だが」


「ああ。なにせ、殿下を八年間お守りしていた御方だ。あの『悪役令嬢』様がな……」


ミレーユは、顔を上げた。


八年間、お守りしていた――あの人が? わたしを階段から突き落とそうとしたと、断罪された、あの人が?


ずっと胸につかえていた違和感の輪郭が、ようやく、はっきりと見えた気がした。殿下の病は治らない。祈りでは治らない。なのに、あの人がいた八年間だけ、発作は記録に残らなかった。


それは、いったい、どういうことなのだろう。


聖女は、膝を抱えていた手をほどき、立ち上がった。向かう先は、王宮の書庫。


あの夜会の「証言」を、最初に言い出したのは、誰だったのか。


確かめずには、もう、祈れそうになかった。

王都、ようやく値札の読み方を学び始めたようです。次回、辺境に勅使到着。そして閣下と先生、初めての衝突。ブックマークと評価は前払い制ではありませんが、いただけると大変効きます。


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