第77話:森を治すのは、買うことではありません
市の日の広場は、夏の盛りの熱気と、人いきれで満ちていた。
広場の南側に、見慣れない天幕が一張り、立っている。商会の紋を染め抜いた幕の下で、身なりのいい手代が声を張り上げていた。
「聖樹の森の再生事業、ご協力をお願いいたします! 若木一本、銀貨一枚! 種類は問いません、何本でも!」
天幕の前には、もう列ができていた。籠に若木を抱えた山の民の若者。荷車に十本ほど積んだ街道筋の男。銀貨一枚は、薬草を一日摘んで得る銭の三倍になる。
「……先生」
隣でゴルドが、低く唸った。鍛冶屋の太い腕が、腕組みのまま震えている。
「殴っていいか」
「いけません。殴っては、向こうの効能書きが正しく見えます。……読むのです、ゴルドさん。中身を」
私は天幕の前へ歩み出た。籠を抱えた若者が、私に気づいて、ばつの悪そうな顔をした。
*
「お忙しいところを、失礼いたします。ノルデンの薬師、セラフィーナでございます」
手代が営業用の笑みを向けた。
「これは先生。いつも森の療養にご尽力と伺っております。本日は、ぜひ商会の再生事業にも、お力添えを」
「ええ。力添えをいたします。……その前に、一つだけ。皆さまの前で、確かめさせてください」
私は籠の若者に向き直った。
「その若木は、森の、どのあたりで採られましたか」
「え……。南の、沢の上のほうで」
「根は、どのように」
「そりゃあ……根ごと、掘って。根がなけりゃ、植えられないって、手代さんが」
「ええ。そのとおりです。根がなければ植えられません。……では、その沢の上の斜面には、いま、何が残っていますか」
若者は答えなかった。答えは、籠の中にあった。
私は籠から若木を一本、そっと抜き取った。細い幹。根の周りには、森の黒い土が、まだ湿ったままついている。
「皆さま。ご覧ください」
声を張る必要はなかった。広場は、いつのまにか静かになっていた。
「この若木は、聖樹の森で育った、聖樹の系統の木です。森の土を抱えて、ここに来ました。一本につき、銀貨一枚。……さて。この若木は、これからどこへ植えられるのでしょう」
手代が答えた。
「商会の持ち山でございます。王都の南の、広い山に、苗床を整えて――」
「王都の南。ここから、馬車で十二日」
私は若木の根を、日にかざした。
「木の根には、育った土の住人が付いております。この根に付いている黒い土は、この森の住人です。十二日の馬車で運ばれた先の土に、同じ住人はおりません。……人で申しますと、生まれた土地の水と食べ物ごと引き抜いて、見も知らぬ土地の、土の合わない寝床へ寝かせるのと同じでございます」
「しかし、植えれば育ちます。苗は苗です」
「育つものも、あるでしょう。十本に一本か、二本か。……残りは、枯れます。枯れた苗は、薪になります。薪は、売れます」
手代の笑みが、固まった。
*
「そして、こちらの森のほうは」
私は診療録を開いた。リタの根の地図の写し。若芽の区画の、一進一退の経過。
「この森は、いま、三十年の取りすぎから療養中の患者さまです。若木は、森が三十年ぶりにやっと出した、新しい芽でございます。その芽を一本残らず、言い値で、買い上げる。……これを再生と呼ぶなら、私はこれまで、再生という言葉を間違って覚えていたことになります」
列の後ろで、荷車の男が、そっと荷の上に布をかけた。
「森を治すのは、買うことではありません。返すことです。……三十年前に、若木と、下草と、土を持ち出したのと、同じ手で、今度は芽を持ち出す。持ち出す先が山でも、売り先が王都でも、森から見れば、同じでございます。出ていくだけです」
手代が、ようやく声を取り戻した。
「い、言いがかりだ! 商会は善意で――」
「善意でしたら、書面をお出しになれたはずです。王都の聖女さまが、半月ほど前にお求めになりました。苗の出どころ、数、植える場所、土の所見。……届いていないそうですね」
広場の誰かが、短く笑った。笑いは、さざ波のように広がって、すぐに消えた。笑い終えたあとの顔は、もう誰も天幕を見ていなかった。
「買い上げは、止めろとは申しません。私に、商会の商いを止める力はございません。……ただ、売る前に、皆さまに知っていただきたかっただけです。銀貨一枚で手放すのが、何なのかを」
籠の若者が、黙って籠を抱え直した。そのまま列を離れ、森のほうへ歩いていく。若木を、戻しに。
荷車の男が続いた。次の者が続いた。天幕の前の列は、半刻もしないうちに、無くなった。
*
「……殴るより、効いたな」
ゴルドが、ぽつりと言った。
「お薬は、殴りませんので」
天幕の中で、手代が誰かに早馬の文を書いている。書かせておけばいい。効かなかったお薬の報告は、売った者が自分で書くべきだ。
その報告が王都の商会本店に届き、奥の間で読まれたとき――読み終えた男が、椅子を蹴って立ち上がったのだと、私があとで知るのは、ずっと先のことになる。
その男は、一年のあいだ、商会の奥に匿われていた。かつて、王宮医薬局長と呼ばれていた男である。
天幕の前の列は、半刻で消えました。殴らず、読んだだけです。「森を治すのは、買うことではなく、返すことです」。
そして商会の奥で、匿われていた男が立ち上がります。次回、第七十八話「金色のまわりに、赤黒いのが」。リタの目が、異変を視ます。




