第75話:王都から、召喚状
ヴァイスは、根治の日の前日に帰ってきた。
早馬の往復と、王都での五日。埃まみれの外套のまま店の戸をくぐり、開口一番に言った。
「約束どおりだ。……椀は」
「明日の朝から煮ます。今日はまず、湯と飯と、寝床でございます」
「証言は済ませた。検分の帳面も、突き合わせが進んでいる。滴の荷は」
「その話は、明日の熱が下がってからです。旅の疲れの上に治療の熱を重ねる患者さまに、帳簿の話はいたしません」
ヴァイスは何か言いかけ、結局、湯と飯と寝床に従った。玄関先で一つだけ、ぽつりと言った。
「……帰ってきたな、と思った。街道の峠で、森が見えたときだ」
それは、と聞き返す前に、扉が閉まった。
*
根治、二十回目。
椀を干して、熱が来て、汗をかいて、峠を越える。二十回も繰り返せば、熱の上がり方まで顔なじみだ。初回にくらべて、峠はずいぶん低くなった。毒の根が、確かに痩せてきている。
熱が引くのを待って、ヴァイスは前夜の続きを一つだけ話した。証言は委員会の前で半日かかった。五年前の冬、どこで何を口にし、いつから体が傾いだか。本人が言い終えたあと、私の毒物検品調書が読み上げられ、一つも食い違わなかったという。
「貴女の調書のほうが、俺より俺の体に詳しかった」
「診ておりましたので」
それから、いつものように言った。
「対価は言え」
「では――」
私は少し考えた。屋根は葺かれた。薪は積まれた。棚は直った。この店には、もう頼む修理が残っていない。
「……考えておきます、では駄目でしょうか」
「駄目だ。借りは持ち越さん主義だ」
「では、そうですね。半日ぶん、あなたの時間をいただきます」
「時間?」
「明後日の午後、森番小屋の屋根の下で、お茶にお付き合いください。療養中の患者さまの経過を、ゆっくりご報告したいので。……それだけです」
ヴァイスは目をしばたたいて、それから、妙に律儀にうなずいた。
「高い対価だな」
「まあ。安すぎましたか」
「いや」枕に頭を戻しながら、聞こえるか聞こえないかの声で言った。「……高い。俺には」
*
明後日の午後は、よく晴れた。
葺きたての屋根の下で、私は茶を淹れた。カミツレにギンヨモギを一つまみ。療養の報告に合わせた処方だった。ヴァイスは一口飲んで、苦い、と言い、それきり何も言わずに飲んだ。
小屋の窓から、若芽の区画が見える。ひと月前より、緑が一段濃い。ヴァイスはそこを長く見ていた。
「増えたな」
「ええ。数えるのが、リタさんの日課になりました」
私は診療録を広げて経過を報告した。若芽の区画の一進一退。根の地図。土を戻す順番。ヴァイスは黙って聞き、ときどき短く問いを挟んだ。いつもと同じ、静かな午後だった。
報告が終わって、茶が二杯目になって、会話が途切れた。森の梢が、さやさやと鳴っていた。
「残り、四回か」
「ええ。冬の終わりには、満了です」
「二年の治療が終わったら――」
ヴァイスがそこまで言って、止まった。私も、同じ言葉の続きを、胸の中に持っていた。終わったら。この月に一度の日が、なくなったら。そうしたら、私たちは。
「……いえ」「……いや」
声が重なって、二人とも黙った。梢だけが鳴っていた。私は茶碗の中を見つめ、この続きは冬の終わりに取っておくべき薬なのだと、自分に処方箋を書いた。早く開けた薬包は、湿気るものと決まっている。
「経過は、以上でございます」
「ああ。……いい報告だった」
帰り道、二人分の足音は、行きよりも少しだけゆっくりだった。
*
店に戻ると、王都の紋のついた使者が待っていた。
差し出された書状は、召喚状だった。調査委員会の名で、正式の印章つき。宛名は、ノルデンの薬師セラフィーナ・グランヴェル。
「――秋に開かれる公判に、鑑定人として出廷されたし」
鑑定人。証人ではなく、薬と毒と森の傷を、薬学の目で読み解く役目。三十年の歪みに、法の場で最後の突き合わせをする役目だった。
二年ぶりの、王都。私は書状を畳み、店の看板を見上げた。行って、務めて、帰ってくる。帰ってくる場所は、もう決まっているのだから。
根治二十回目、残り四回。「二年の治療が終わったら」――言いかけて、二人ともやめました。この続きは、冬の終わりに。
そして王都から、鑑定人としての召喚状が届きました。次回、第七十六話「苗を、買い占める話」。商会の「再生事業」の中身が割れます。




