第72話:毒の、仕入れ元
――王都、王宮医薬局の検品室。
帰任した二人の検品官の机には、初日から山ができていた。監査に回す納品記録の照合。三十年ぶんの薬草の出納。ユリウスは記録の照合に、ノエルは現物の検分に、それぞれ黙々と沈んでいた。
検品室の窓は北向きで、一日じゅう光の色が変わらない。判の朱を見るには、それがいい。ユリウスが王都へ戻って最初にしたのは、窓際へ机を寄せることだった。ノエルが最初にしたのは、下町の薬種屋を一軒ずつ回って、三十年前の仕入れ値を聞いて歩くことだった。
「帳面と、人の口。両方から挟むんです」
「師匠の流儀だな」
「師匠の流儀です」
その検品室に、身なりのいい男が世間話の顔で入ってきたのは、五日目のことだった。
「いやあ、お若いのに大変なお役目だ。……ときにお二方、検品官の俸給というのは、ずいぶん安いそうですな」
男は袖の下から、重そうな革袋を滑らせた。照合の順番を少し、後ろのほうへ。それだけでいい、と。
ノエルは革袋を見て、にっこり笑った。
「あー……旦那。おれたち、辺境で仕込まれてるんですよ。師匠の検品の、最初の教えってのがありましてね」
「ほう。何と」
「『量れないものを、受け取らない』。薬草は量れます。銀貨も量れます。けど、これを受け取ったあとのおれの目がどれだけ曇るかは――量れないんで」
ユリウスは顔も上げずに、手元の帳面へ淡々と書きつけた。何月何日、何某、検品室に来訪、革袋一つ。重さ、目測でおよそ銀貨五十枚。用件、照合順の変更の依頼。……男の顔色が変わった。
「記録に、なさるおつもりか」
「僕らは記録係ですので」ユリウスはそこで初めて顔を上げた。「お引き取りを。次は調書になります」
*
買収に失敗した商会は、それで手を引きはしなかった。だが焦りは、手を粗くする。
照合を急かされた三十年ぶんの出納の中から、ユリウスは奇妙な帳尻を拾い上げた。薬草の仕入れに紛れて、年に数度だけ現れる符丁。品名の欄には南方の香料と書かれているのに、量り方の単位が違う。香料は重さで量る。その符丁の品だけが、滴で量られていた。
「……滴で量る品は、限られます」
精製された、液体の何か。二人は五年前の冬の出納に狙いを絞った。辺境伯ヴァイス・シュトラールが毒を受けた季節。符丁の品が、その冬にだけ、三度も動いていた。
*
その報せが早馬で辺境に届いたのは、夏の盛りの朝だった。
店先で文を開いたヴァイスは、いつもより長く、紙面を見つめていた。私は薬棚の整理の手を止めて、待った。五年間、この人の体の中にあったものの話だ。急かしていい話ではない。
「――先生」
やがてヴァイスは顔を上げた。声は静かだった。静かすぎるほどだった。
「あの男の毒の、仕入れ元が割れそうだ」
「……ええ」
「五年前、商会の帳簿を三度だけ通った、滴で量る品。検品官どのの見立てでは、精製毒。貴女が初診で言い当てた、あれだ」
自然毒ではない。精製されている。開業したての小さな店で、私が最初に診た患者の、最初の見立てだった。あの一言が五年かけて、王都の帳簿の底で裏付けに出会おうとしている。
「調査委員会が、当事者の証言を求めている。毒を受けた本人と……毒を抜いた薬師の、両方の」
「私の調書は、とうに提出してあります。毒物検品調書、第一次から第三次まで」
「ああ。だから俺のぶんだ。俺が行って、俺の五年を、俺の口で証言する」
ヴァイスは文を畳んだ。畳んだ手が、拳の形で一度だけ止まった。
「行ってくる。早馬で往復十日、向こうで五日。……根治の日には、戻る」
「お戻りの日に、椀を煮ておきます」
私は薬棚から、旅用の丸薬をひと包み出した。傷の薬と、腹の薬と、熱さましを、色の違う紙に包む。赤は外傷、青は腹、白は熱。兵舎の常備薬と同じ分け方だ。暗い宿でも、指で選べる。
この人の五年は、この人が自分で締めるべき帳面だ。薬師にできるのは、道中の胃薬を持たせることくらいだった。
王都の検品室に買収の袖の下(撃沈)。そして三十年の帳簿の底から、五年前の冬にだけ動いた「滴で量る品」が出てきました。ヴァイスの五年が、動きはじめます。
次回、第七十三話「根の道を、たどります」。森の治療に、難所がやってきます。




