第70話:対価は、屋根でございます
月に一度の、根治治療の日。
朝のうちに薬研で根を挽き、土瓶で半刻、煮出す。湯気の立ち方が細くなったら火を落とす。薬研の音も土瓶の音も、この二年で店の朝の音になった。
十九回目ともなると、支度は互いに手慣れたものだ。煎じた薬湯、水差し、冷たい手拭い。ヴァイスは私の出す椀を黙って干し、寝台に横たわる。それから半日、五年ものの毒の残りと、薬が体の中で殴り合う。熱が出る。汗が出る。本人にできるのは、耐えることだけ。
「……十九回、か」
熱の上がりはじめの、まだ口のきける時分に、ヴァイスがぽつりと言った。
「ええ。残り、五回でございます」
「早いものだな」
「長かった、の間違いでは」
「早い」ヴァイスは天井を見たまま言った。「……早すぎる」
どういう意味かと問う前に、熱が上がってきた。私は手拭いを替え、脈を取り、あとは静かに椅子に座っている。治療の日の私の仕事は、大半が、ただそばにいることだ。
夕方、熱が峠を越えたころ、ヴァイスは汗みずくの顔でいつもの一言を口にした。
「対価は言え」
「では、今回は――屋根を、いただきます」
「……屋根?」
「森番小屋の屋根でございます。森の療養が年単位となりますと、見回りの詰め所が要ります。南の森の入口に、猟師の使っていた古小屋がありますが、屋根が半分落ちておりまして」
ヴァイスは天井を睨んで、それから、ふ、と息だけで笑った。
「借りは作らん主義だ。……熱が下がったら、木材を見繕う」
「ご自分で葺くとは申しておりませんが」
「俺が葺く。人任せの対価など、対価ではない」
この人の主義は、五年前から一寸も曲がらない。私は薬湯のお代わりを注いだ。
*
数日後。森番小屋の屋根には、本当に辺境伯が上がっていた。
その下で、リタが箒を振り回して埃と戦っている。森番見習い、というのが最近のリタの自称だ。小屋の壁には、リタが描いた森の見取り図が貼ってある。金色の濃いところ、薄いところ。あの子の目にしか視えない地図だった。
「ねえ師匠。あたしが森番になったら、聖樹さまの“継いで”の意味、いつかわかるかな」
「わかりたい者のところに、答えは寄ってくるものです」
「じゃあ、あたし、うんとわかりたがっとく」
小屋の掃除が一段落したところへ、グレタが差し入れの籠を提げてやって来た。籠の中身は蒸かし芋と、それから、布にくるんだ細長いもの。銀の薬匙だった。
「小屋開きの祝いに、拝ませてやろうと思ってね」
グレタは薬匙を陽にかざした。目盛りの彫りが、きらりと光る。
「先生。あんたに預けたこれの――元本は、必ず返しとくれよ。利子は要らないからさ」
「はい。いま、返している最中でございます」
「知ってるよ。だから拝みに来たのさ」
*
昼下がり、店にはマーサが孫を背負って来た。三つになる男の子で、昨夜から咳が抜けないという。
「夜泣きの次は咳かい。先生、この子は先生の店の常連になっちまうよ」
「常連は、ならないに越したことはございません」
喉を見て、胸に耳を当てる。湿った音はない。乾いた、浅い咳。私は棚から魔女の蜜の小瓶を取った。一日三回、匙に一杯まで。
「甘いので、いくらでも飲みたがります。匙は、お母さまが持っていてください」
「あいよ。……先生、森の患者とうちの孫と、どっちが手がかかるんだい」
「どちらも同じです。言葉で症状を言ってくださらないところが」
マーサは孫の背中を叩いて笑い、蜜の瓶を胸に抱えて帰っていった。
*
店に戻ると、夕方の買い取り窓口に、薬草の持ち込みが一件残っていた。
行商人が置いていったという、干した白柳の皮の袋。留めの紐に、木の検印札が下がっている。私は袋を開けて、皮を一枚灯りにかざし――手を止めた。
皮は、いい品だ。問題は札のほうだった。
ノルデンの検印。この街の検品を通った品にだけ下がる、あの札。けれど、押された朱の判の縁が、私の知っている判と、ほんのわずかに違う。
彫りの違う、同じ判。
王都のダレル翁が台帳の中に見つけたものと、同じものが――私の店の窓口に、紛れ込んでいた。
根治十九回目、残り五回。対価は森番小屋の屋根になりました(辺境伯が自分で葺いています)。
そして買い取り窓口に、偽の検印札が紛れ込みました。王都の台帳の中だけの話ではなかったのです。次回、第七十一話「判も、嘘をつきません」。検品の腕が、偽装を暴きます。




