↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
68/76

第68話:森の、最初の一服

 聖樹の森の治療、初日。私が最初に出した処方は、薬草ではなかった。


 鍬と、もっこと、白柳の枝の束だった。


「……調剤と聞いていたが」


 ヴァイスが鍬を担いだまま言った。腕まくりをした街の男衆が、その後ろにずらりと並んでいる。ゴルドの声がけで集まってくれた、総勢二十人の「調剤助手」だった。


「これが調剤でございます。患者さまの体が大きいので、乳鉢も大きいだけです」


 診療録の見立てはこうだ。聖樹の根元の窪地に、雨のたびに濁った水がたまる。逃げ道のない水は腐り、根を浸し、根は呼吸を止める。人でいえば、悪い水が胸にたまる病と同じ。ならば処方も同じだった。


 ――抜く。


「窪地から沢まで、浅い溝を一本通します。深さは膝まで。掘った溝の底に白柳の枝を敷き、その上に砂利を戻します」


「柳を、敷く?」


「白柳の皮は、痛み止めの材料です。そして柳の床は、水を漉します。濁りと腐りを、枝が受け止めてくれます。……大きな患者さま用の、大きな漉し布でございます」


 男衆がどっと笑って、鍬が入った。


 溝の筋は、朝のうちに私が紐を張って決めてあった。窪地から沢まで、ゆるく一方へ下る一本の線。勾配は、水を張った皿を置いて確かめる。皿の水が片側へ寄れば、そちらが低い。大きな患者の胸の水を抜くのに、道具は皿一枚で足りる。


「先生、深さはこれでいいか」


「もう一掌。底が硬い層に当たるまで掘ってください。やわらかい土の上を流しても、水はまた沈みますので」


 掘り上げた土は、溝の下手に土手として積ませた。捨てる土はない。痩せた森で、土は薬と同じくらい貴重だ。


  *


 土を掘る音。枝を渡す音。指図をするゴルドのべらんめえ。私は溝の勾配を測りながら、水の顔色を見て回った。


 昼を過ぎたころ、溝が通った。


 たまっていた黒い水が、ゆっくりと動き出す。白柳の床を這って、渋を落とし、砂利に磨かれて、沢へ。夕方には、窪地の水かさが目に見えて減っていた。あれほど重かった森の足元から、じわりと熱が引いていくようだった。


 私は朝に汲んでおいた窪地の水と、いま沢へ流れ出た水を、二つの瓶に並べた。朝の水は灰色に濁り、瓶の底に泥が沈んでいる。夕方の水はまだ色が残るが、日にかざせば向こうが透けた。舐めると、渋がひとつ薄い。


「……漉し布が、効いております」


 診療録に瓶の色を書き留める。人の患者なら尿の色を見るところだ。森の患者は、沢の水が同じことを教えてくれる。


「師匠!」


 森の奥からリタの声が飛んできた。駆けつけると、リタは若い下生えの前にしゃがみ込んで、震える指で一点を指していた。


 露出した聖樹の根の、ひび割れのきわ。そこに、小指の先ほどの若芽が立っていた。


「金色が……ひとつ、増えた」


 リタの目にしか視えない色を、私は疑わない。疑わないが、薬師として言うべきことは言った。


「一服で治る病ではありません。ぬか喜びは、明日の落胆のもとです」


「わかってる。わかってるけど……聖樹さま、飲んでくれたよ。師匠のお薬」


 ……ええ。飲んでくださいました。私は診療録に記した。初回投薬、受け付け良好。患者さまとの信頼関係、成立。


  *


 その夕方、現場にグレタが杖をついて現れた。掘り上げた溝と伐り株の列を順に見て回り、いちばん古い株の前で足を止めた。


「ああ……ここだよ。あたしが娘のころ、師匠と薬草を摘みに入った斜面だ」


 グレタは株の年輪に、節くれだった指を這わせた。


「三十年前の秋さ。クローヴの若旦那が人足を連れて来て、ここの木をぜんぶ伐らせた。根の周りのフユリンドウごと、根こそぎね。あたしの師匠が止めに入って、杖を折られた。……忘れるもんかい」


 クローヴの若旦那。のちの王宮医薬局長、バルテルミー。


 私は診療録の新しい頁を開いた。年輪の詰まりが始まる年と、グレタの記憶の年が、ぴたりと重なる。物の証拠と、人の証言。二つが揃えば、それは調書になる。


「婆さま。いまのお話、調書に書かせてください。お名前も」


「おや、いいのかい。あたしゃ年寄りだよ。法廷なんぞに立てるかね」


「立てます。三十年前を見た目は、婆さまの目だけですので」


 グレタはにやりと笑って、書きな、と言った。乱獲の物証、第一号。焼けない帳簿の、最初の写しができた。


  *


 十日あまりのち。調書の写しを王都へ運んだ早馬が、返書を携えて戻ってきた。


 持ち帰った報せを読んで、私はしばらく黙った。ヴァイスが覗き込む。


「どうした」


「……クローヴ商会が、王家に申し出たそうです。枯れゆく聖樹の森を憂い、私財を投じて――森の再生事業を行いたい、と」


 森を枯らした張本人が、森を救う側の顔で、名乗りを上げてきた。


最初の一服、聖樹さまはちゃんと飲んでくださいました。若芽ひとつ。そして年輪とグレタ婆の記憶が重なって、乱獲の物証第一号が調書になりました。


ところが敵は、燃やす次の手ではなく――「森の再生事業」を申し出てきます。次回、第六十九話「彫りの違う、同じ判」。王都の議場が動きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
一部内容が重複してます。どこに報告が良いのか分からなかったのでここに書かせてもらいます
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。