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第67話:証拠は、森が持っています

 王都からの書状は、初夏の匂いといっしょに届いた。


 早馬で五日。封蝋は王太子のものだった。差出人の名は、アロイス。あの夜会で私に婚約破棄を言い渡した人の名が、いまは監査の開戦を告げる署名になっている。人は変わる。変わった人の字は、引き締まっていた。


 店の奥の卓に、みんなが集まった。私は書状を読み上げた。


「――調査委員会は、クローヴ商会に対する三十年の遡及監査の開始を決定した。対象は薬草の取引記録、納品台帳、検印の全て。ついては辺境に滞在中の検品官二名の帰任と、ノルデン側の証拠の提出を請う」


 読み終えると、卓が静かになった。最初に口を開いたのはノエルだった。


「……三十年ぶん、全部ひっくり返すんですか。王宮の書庫、埋まりますよ」


「埋めるのでしょう。埋めて、掘り返すために」


 ユリウスは眼鏡の奥の目を伏せて、しばらく指を組んでいた。この生真面目な弟子が何を数えているのか、私にはわかった。台帳の冊数でも、日数でもない。三十年という時間に、判を押しつづけた手の数だ。


「師匠。監査が本気なら、これは商会ひとつの話では終わりません。三十年、あの商会の荷を通しつづけた側にも、判があります。納品を受けた側、目こぼしをした側、割り前を受け取った側……」


 ユリウスは言い直した。


「――王宮の、誰まで巣くっているのか。それを数える監査になります」


 誰まで。その言葉は、卓の上に置かれた小石のように、ことりと重かった。


  *


 ふたりの荷造りは、その日のうちに済んだ。


 疫病が退いてからも、ふたりは暇という形でこの街に居てくれた。王都には検品官の机が残っている。戻る場所があって、戻る理由ができた。ならば師のすることは一つだ。


 旅立ちの前夜、店の奥で送別の膳を囲んだ。膳といっても、グレタの蒸かし芋と、マーサの差し入れの腸詰めと、私の煮込みが並ぶだけの、いつもの卓だ。それでよかった。湿っぽくしないのが、この店の流儀だった。


「王都へ戻ったら、まず何をやります?」


 リタの問いに、ノエルは腸詰めを頬張ったまま即答した。


「机の埃を拭く。それから三十年ぶんの台帳と、にらめっこ」


「僕は書庫の目録を作り直します。監査は、探し物が早い側が勝ちますので」


「ふたりとも、地味ぃ」


「地味こそが検品でございます」私は横から口を挟んだ。「リタさん。派手な仕事は、地味な仕事が九割九分を支えて、最後の一分に出てくるものです」


 膳の隅で、ミレーユも荷造りの相談をしていた。救護院と医学校が、あちらで彼女を待っている。祈りと薬の両輪を教えられるのは、いまのところ大陸で彼女ひとりしかいない。


「わたしも、王都で見ています。監査で人の心が荒れたら、それはわたしの持ち場です」


 聖女の言葉に、卓の誰もがうなずいた。行く者が三人。残る者が、森を診る。持ち場は分かれても、帳面は一つだ。


 翌朝、北門の前で、私は三人に持たせる包みを渡した。ユリウスには診療録の写しの第一便。ノエルには旅の胃薬。ミレーユには、東の谷の薬草の種を一袋。救護院の庭で育てば、あちらの冬の薬が一つ増える。


「ユリウスさん。ノエルさん。……行ってらっしゃいませ」


「はい。行ってまいります」


「師匠の流儀、王都でもちゃんとやります。疑って、量って、記録する」


 ノエルが笑い、それから急に真顔になった。


「……先生。おれたちが王都で判を見てるあいだ、こっちの証拠は」


「ご心配なく」


 私は診療録を掲げてみせた。


「証拠は、森が持っています。伐り株の年輪、痩せた土、砂の沈んだ沢。三十年の取りすぎは、ぜんぶ森の体に書いてあります。私はそれを、診療録に写しているだけです。人の帳簿は書き換えられますが――患者さまの体は、嘘をつきませんので」


 ユリウスが深く頭を下げた。絵心のあるこの弟子は、旅立つ前に伐り株の列を精密な写生に起こしていった。年輪の一本一本まで数えられる、証拠品としての絵だった。


  *


 三人を乗せた馬車が北門を出ていくのを、リタと並んで見送った。


「行っちゃったね」


「ええ。……ですが、いなくなったのではありません。あちらとこちらで、同じ帳面の両側を持つのです。森が書き、王都が照合する。挟み撃ちでございます」


 夕方、店じまいの手を動かしながら、私は返書を書いた。監査への協力の約束。診療録の写しを順次送ること。末尾に一行、こう添えた。


 ――証拠は、森が持っています。焼けない帳簿から、先にお送りします。


 その返書を託した早馬が発って、三日後の夜だった。


 北門の鐘が、来客を告げた。転がり込んできたのは、王都からの伝令だった。ヴァイス宛の急報を握りしめ、上がった息のまま言った。


「クローヴ商会の帳簿蔵から――火が、出ました」


 燃えたのは、紙の帳簿。監査が決まった、その矢先に。


 私は診療録の表紙に手を置いた。焼けない帳簿の出番が、思ったより早く来てしまった。

監査、開戦です。そして敵の最初の一手は、火。紙の帳簿は燃やせても、森の年輪は燃やせません――まだ、今のところは。


次回、第六十八話「森の、最初の一服」。聖樹さまの治療、はじまります。

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