第57話:魔法は症状、薬は原因
ミレーユは覚えが早かった。
薬草の名を、はたらきを、隔離の作法を、手洗いの理を。祈りしか知らなかった娘が、乾いた土が水を吸うように、ひとつひとつ身につけていった。
朝はリタと並んで乳鉢を挽く。昼はユリウスの帳面の付け方を習う。夜はろうそくの灯りで薬草図鑑を写す。聖女さまの手は、じきにあかぎれだらけになった。それをミレーユは、少し誇らしげに眺めていた。
「……こんなにも理屈があったのですね」ミレーユは感嘆した。「わたしは、ただ、信じよ、としか言えませんでした。でも、あなたさまの薬は、なぜ効くのかをぜんぶ説いてくれる。信じなくても、効く……ふしぎな心地です」
「信じていただけたら、なお、よく効きますけれど」私は少し笑った。「安心は痛みを軽くしますので」
けれど、ある日の急患が――この二人の力を、初めてひとつに結んだ。
*
運びこまれたのは、疫病のあと体力を落としてこじらせた男だった。傷から悪い熱が回り、激しい痛みにのたうっている。私はすぐに根の治療にかかった。膿を出し、傷を清め、熱と炎症を鎮める薬を調える。
手は迷いなく動いた。診立てはついている。処方も正しい。けれど――薬が効くには時が要る。半日、いや、一日。その間、男は激痛に耐えねばならない。脈が乱れはじめている。あまりの痛みに、心の臓がもつかどうか。時との勝負だった。
(薬の効きを待つ時間が、ない。……このままでは)
そのとき、ミレーユがそっと進み出た。
「師匠。……わたしの祈りは、病の根は断てません。けれど、この痛みをいっとき和らげることはできます。……わたしに、時を稼がせてください」
私ははっと顔を上げた。そうだ。ミレーユの力は症状を撫でる。根は治せなくても、急な痛みを抑えることはできる。――薬が根に効きはじめるまでの、その時間を、この人の祈りが埋められる。
「――お願いします、ミレーユさま」
ミレーユが男の手を握り、祈りを捧げた。激痛が、すうっと和らぐ。男の荒い息がととのう。乱れていた脈が落ち着きを取り戻す。
その、稼いでくれた時間の中で、私は薬を飲ませた。汗を拭き、水を足し、傷の手当てを重ねる。祈りが波を鎮めているあいだに、薬がじわじわと傷の根に効いていった。
祈りが切れるたび、痛みは戻ろうとする。そのたびミレーユは、また祈った。額に汗を浮かべ、細い肩で息をしながら。私はその隣で薬を足していった。二人の手が交互に、同じ命を支えていた。
半日ののち、男の熱は引いた。今度は戻らなかった。薬が根を断ったのだ。
祈りが痛みを抑え、時を稼ぐ。その時の中で、薬が根を治す。――どちらか一方では救えなかった命が、二つの力を合わせたことで救われた。
*
「……わたしの祈りにも、役目があったのですね」ミレーユが涙ぐんでつぶやいた。「無力だと思っていました。祈りなんて、症状を撫でるだけのまやかしだと」
「まやかしでは、ございません」私ははっきりと言った。「魔法は症状に効きます。薬は原因に効きます。速く効くものと、深く効くもの。――どちらが上でも下でもございません。両の輪でございます。二つ揃って、初めて、いちばん多くの命を運べる」
私はミレーユの手を取った。あかぎれだらけの、聖女の手を。
「あなたさまの力を否定するためにお教えしているのでは、ございません。あなたさまの力がいちばん活きる場所を見つけていただくために、でございます。祈りを捨てなくて、いいのです。ただ、正しい場所で使えばいい」
ミレーユの目から涙がこぼれた。それは、無力を嘆く涙ではなかった。長いあいだ行き場を失っていた自分の力が、ようやく居場所を見つけた――そういう、あたたかい涙だった。
*
辺境で、聖女と薬師が両の輪となって命を救っている。その噂は、やがて王都にも届いた。
けれど、それを苦々しく聞く者たちがいた。祈りの権威を独り占めにしてきた、王都の古い聖職者たち。聖女の力が「薬の下働き」に貶められた――彼らは、そう曲解した。
和解と統合の裏で、王都の旧い勢力が、ざわりと動きはじめていた。
「回復魔法は原因を治せない」の、あたたかい決着です。魔法は無力だと嘆いていたミレーユが、急患を前に、その力の正しい居場所を見つけます。魔法は症状を抑えて時を稼ぎ、その時の中で薬が根を断つ――どちらか一方では救えなかった命が、二つの力を合わせて救われる。「両の輪」です。
「あなたの力を否定するためではなく、いちばん活きる場所を見つけるために教えている」。セラフィーナのその言葉に、聖女の再生が、結実します。
けれど、聖女の力が“薬の下働きに貶められた”と曲解する、王都の旧勢力が動きだし……。次回、第五十八話「名誉は、要りません」。二年ごしの意趣返し、その最終形です。




