第54話:五年前の、毒
疫病が退くと、王都では、その責めを問う声が上がりはじめた。
なぜ薬が足りなかったのか。なぜ原料が市場から消えていたのか。宰相がみずから調査の指揮を執った。辺境から届いた、あの買い占めの控えと、医薬局の帳簿を突き合わせて。
その調査で、あの村を「万能薬」で歩いた男にも、ようやく縄が打たれた。隣村で二人を死なせた、あの偽薬売りだ。瓶の栓に押されていた王宮医薬局の検印が、そのまま男と局とを結ぶ縄になった。
……ずいぶん待たせてしまった。あの日、間に合わなかった二人の家に、この報せがどんな顔をして届くのかは、わからない。それでも、届けねばならない報せだった。
その調査の過程で、宮廷の倉から押収された品々の検品が行われた。バルテルミーが疫病のどさくさに紛れて隠し持っていた、さまざまな薬物。それらの毒物検品調書が、辺境の私のもとにも写しとして送られてきた。私がかつて辺境で毒の見立てをした経験を買われてのことだった。
夜、診療所の灯りの下で、私はその調書を一枚ずつあらためていった。ありふれた劇薬。粗悪な代替薬。禁制の眠り薬。……予想の範囲だった。買い占めと偽薬の男の倉らしい品書きだ。
――そして、一枚の調書で、私の指が止まった。
「精製毒」。ある特殊な技で、極めて純度を高めた遅効性の毒。少量でじわじわと神経を蝕み、そして慢性の痛みと手足の麻痺を残す。
調書の写し手は几帳面に、その精製の特徴まで書き留めていた。結晶の形。溶け方の癖。純度の上げ方。
……この毒の“癖”を、私は知っていた。あまりにも、よく知っていた。
*
五年前、この毒を身体に受けた人がいる。
ヴァイスだった。
私が辺境に来て以来、五年前の暗殺未遂で受けた毒の後遺症を――左手の麻痺と慢性の痛みを、二年がかりで根治しようとしている、あの人。私はその毒の性質を、治療のために誰よりも深く調べてきた。その独特の精製の癖を、この手で幾度も確かめてきた。
毒抜きの処方を組むたび、この毒を作った者の腕を思った。素人ではない。薬を知り尽くした者が、知り尽くした技で、殺すために磨いた毒。……薬師の技は、人を生かすためにある。同じ技で人を蝕む者がいる。それが、ずっと許せなかった。
目の前の検品調書に記された精製毒の特徴は――ヴァイスの身体を蝕んだ、あの毒と寸分たがわず同じだった。
私はしばらく、その紙を握りしめたまま動けなかった。
疫病を「稼ぎ時」と嗤い、原料を買い占め、森を枯らした、バルテルミー・クローヴ。その同じ男の手が――五年前、ヴァイスを殺そうとした毒にもつながっている。
買い占めの糸と、暗殺の糸。ばらばらに見えていた二つが、ここで一本に交わった。私が街を守るために追ってきた敵は、私が心を寄せる人を殺そうとした敵と、同じ顔をしていた。
*
私はこの調書をヴァイスに見せるべきか迷った。彼の古い傷を、また抉ることになる。
けれど、隠すことはしなかった。ヴァイスは飾らない人だ。ならば、私も飾ってはいけない。悪い報せを患者に伝えるときと同じだ。ごまかさず、正確に、そして逃げ道ではなく、手当てを添えて。
私が静かに調書のことを告げると、ヴァイスは長いこと黙っていた。それから低い声で言った。
「……そうか。あの毒は、あの男の、ものだったか」
その声に、荒ぶる怒りはなかった。むしろ、奇妙なほど静かだった。
「五年間、俺は、誰が、なぜ俺を殺そうとしたのか、わからずにいた。ただ痛みだけが残った」ヴァイスは自分の左手をじっと見た。「その痛みを貴女が治してくれた。そして今、貴女がその毒の出所まで見つけてくれた。……俺の五年ぶんの謎を、貴女が解いたんだ」
彼は顔を上げ、まっすぐに私を見た。
「これは、もう俺ひとりの私怨じゃない。あの男は俺を殺そうとし、街を病で稼ぎ場にし、森を枯らした。……ならば、倒す理由はじゅうぶんすぎる。――貴女と、共に、な」
「ですが、ヴァイスさま。ひとつだけ、お約束を」私は彼の目を見て言った。「剣で討たないでくださいまし。あの男は、帳簿と、証と、法で倒します。剣で倒せば、私怨で終わる。法で倒せば――もう二度と、同じことをする者が出なくなりますので」
「……相変わらず、貴女はそうだな」ヴァイスはふっと息を吐いた。「いいだろう。剣は、貴女とその証を守るために使う」
私怨と大義が、ひとつになった。そしてそれは、私とヴァイスが初めて同じ敵に並んで立つ理由にもなった。
私は調書を証拠の箱にしまった。偽薬の瓶。納品の控え。商会の印。そして、この検品調書。……箱は少しずつ重くなっていく。帳尻の合わないものは、いつか必ず清算のときを迎える。薬屋の帳面は、そう教えている。
敵対の糸と、恋の糸が、交わる転換点です。買い占め捜査で押収された「精製毒」の検品調書――その独特の“癖”を、セラフィーナは知っていました。五年前、ヴァイスを蝕んだ、あの毒と、同じもの。疫病を稼ぎ時にした男の手が、ヴァイス暗殺にも、つながっていたのです。
心を寄せる人を殺そうとした敵と、街を病で食い物にした敵が、同じ顔。「これは、もう俺ひとりの私怨じゃない。貴女と、共に倒す」――ヴァイスのその言葉が、二人が並んで戦う理由になります。(毒の完全な解明は、第三部への橋渡しです。)
次回、第五十五話「疫病、制圧。ただし――」。第五章、章末です。




