第52話:水源に、蓋をします
森の水源を浄める作業に、街から大勢が駆けつけてくれた。
病み上がりの街に、呼びかけの太鼓をひとつ鳴らしただけだった。翌朝、森の入り口には、鋤や桶をかついだ人の列ができていた。自分たちの水を、自分たちの手で取り戻す。もう誰も、病を天罰だとは思っていなかった。
鍛冶屋のゴルドが力自慢を率いて、腐った木の根と、淀んだ落ち葉をさらい出す。私は前世の知恵を頼りに、汚れた源を、いったん堰き止めさせた。
「この水は、しばらく川へ流しません。かわりに、こちらへ迂回させます」
私はその濁った水を別の水路へ導き、その途中に大きな濾しの仕掛けを作らせた。炭の層、砂の層、小石の層。三つの層を、順にくぐらせる。
炭は街の竈から、いくらでも出る。砂と小石は川原に、いくらでもある。ゴルドが木枠を組み、おかみ衆が炭を砕き、子どもらが小石を運んだ。街の暮らしのありふれた材料が、層になって積み上がっていく。
すると――どんよりと濁っていた水が、層を抜けるたびに澄んでいき、最後には、透きとおって流れ出てきた。
「……すげえ」ゴルドが目を丸くした。「魔法か、これは」
「いいえ。ただの、炭と砂でございます」私は微笑んだ。「魔法ではありません。理屈でございます。汚れは、この層にこし取られる。あとは、これを煮て飲めば――もう、病はうつりません」
最初の一杯を、リタが光にかざした。
「きれい……金色とは、ちがうけど。……透きとおった、いい色です」
清めた水を、下流の村々へ流す。街道沿いの井戸を、この清い水で洗いなおす。地味な、けれど確かな手当てが、疫病のいちばん奥の蛇口を締めていった。
*
濾しの仕掛けには番小屋を建て、村ごとに世話役を決めた。炭は月に一度、入れ替える。層が詰まったら、砂を洗う。手入れの手順を絵入りの刷り物にして、世話役に渡す。仕掛けは、作って終わりではない。守られて、初めて効きつづける。
数日のうちに、下流の村々から新しい病人が、ぱたりと出なくなった。
ユリウスの地図の赤い印は、もう幾日も増えていない。白札は日ごとに束になって外されていく。原因を、断つ。――疫病は、ついにその根を押さえられた。
けれど、私は喜びきれずにいた。
水源は浄めた。けれど、それはまだ、森そのものへの手当てではない。この森が、聖樹さまが弱ったままである限り、また、いつか水は濁る。森そのものを癒さなければ、本当の意味では終わらない。そして、森を癒すには――なぜ森が枯れたのか、その人の手を止めなければならなかった。
*
作業の合間、ヴァイスの兵が森の奥で、あるものを見つけてきた。
「閣下。……妙な切り出し場が。かなり大がかりに、薬草と若木を刈り取っています。それも、ごく最近まで」
私とヴァイスは、その場所へ向かった。
森の奥、人目につかぬ谷あいに、それはあった。組織立った、薬草の切り出し場。根こそぎ刈り取られた、無残な跡。乾燥棚に、束ねかけの薬草。急ごしらえの荷車の轍。そして、積み上げられた荷に――見覚えのある印が押されていた。
クローヴ商会の、印だった。
「三十年前だけでは、なかったのですね」私はその印をじっと見つめた。「今も続いている。この森は、今、この瞬間も奪われつづけている」
バルテルミーの、出自の商会。三十年前に辺境を買い荒らし、今また疫病のさなかに原料を握り、そして――この森を枯らしつづけている。買い占めも、偽薬も、そして、この森の枯死も。すべての糸が、一本の太い縄へと縒られていく気配がした。
けれど、その谷の切り出し場は、もぬけの殻だった。私たちが近づくのを察したように。まるで、誰かが先に手を引いたように。
ヴァイスが荷の印をひとつ、剣の先で剥がし取った。
「証拠は、押さえた。……だが、人がいない。命じた者まで、届かん」
「ええ。ですが」私は剥がされた印を布に包んだ。「帳簿は、逃げても残ります。商いの荷は、必ずどこかで銭に換わる。銭の跡は消せません。……薬屋は、帳面のつけ方にうるさいのでございます」
「……逃げ足の速いことでございます」私は木々の向こうを見てつぶやいた。森の利権の黒い影が、揺れて消えた。
疫病の“いちばん奥の蛇口”を締める回です。魔法ではなく、炭と砂と小石の層で水を濾す――地味な理屈で、汚れた水源を澄ませていく。下流の村々から、ついに新しい病人が出なくなる。原因を断つ「原因療法」の、痛快な結実です。
けれど、水源を浄めても、森が弱ったままなら、また水は濁る。森の奥で見つかったのは、今も続く大がかりな切り出し場と――クローヴ商会の印。買い占め・偽薬・森の枯死。すべての糸が、一本に縒られていきます(森の再生は、第三部の主戦場です)。
次回、第五十三話「祈りでは、止まらなかったもの」。
――ブックマークと☆は、水を濾す炭と砂の一袋に。地味ですが、いちばん効くお薬でございます。




