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第5話:お得意さま第一号は週に三度来る

「閣下。お薬は煎じ薬に切り替えます。朝晩二回、十日分。……苦いですよ」


「構わん。苦いのは効く証――」


「それ、迷信ですので」


「…………いいから寄越せ」


辺境伯さまの通院が始まって、半月。


週に三度、あの方は律儀に通ってくる。最初は領主館へ呼ばれるのかと思っていたら、「店に行く。患者が通うのが筋だろう」と、護衛も連れず軍馬一頭でふらりと現れるようになった。


おかげで市場通りは大騒ぎである。北の国境を守る領主さまが、市場の外れの小さな薬屋に入っていくのだ。最初の日など、人だかりで店の前が見えなくなった。


「リタ。これは口止め料だ」


「わ、飴だ! ……でも閣下、もうみんな知ってるよ?」


「…………だろうな」


そう。みんな知っている。


そして、街の空気が変わったことも、みんな気づいていた。



「先生、聞いたかい。閣下が剣の鍛錬を再開なすったって。五年ぶりだそうだよ」


カミツレのおばあさん――常連になったマーサさんが、買い取り台帳の前で目を細める。


「兵舎の連中が、泣いて喜んでたとさ」


解毒は順調だった。あの灰青色の変色は前腕の半ばまで退き、夜の発作の間隔も確実に開いている。左手の痺れは、指先を残すだけになった。


「執務の決裁が倍の速さになった」と従者のカイルさんは言う。「閣下が夕食を残さなくなった」と料理人が言う。


「閣下が、笑うようになった」と――それは、街のみんなが言う。


領主の体調は、領の体調だ。


この街の人たちが私の店に挨拶をくれるようになったのは、火傷の少年の口コミのおかげだけでは、たぶん、ない。



さて。その閣下であるが。


「……おい。屋根の北側、瓦が二枚浮いていたぞ」


本日の診察を終えた辺境伯さまは、なぜか店を出るなり腕まくりをして、梯子に登っていた。


「閣下!? お、お降りください、患者がなにを……!」


「対価だ」


「お代でしたら、毎回きちんと頂いておりますが」


「薬代は薬の対価だ。これは別件だ。先日の煎じ薬は、いつもより効きが良かった。ならばその分、借りがある。借りは作らん主義だと言ったはずだ」


意味が分からない。


この半月、あの方は薪を割り、看板を直し、井戸の滑車を替え、建て付けの悪かった裏戸を一日で修理していった。北の領主は借りを嫌う――それは聞いていたが、ここまでとは聞いていない。


「先生、あきらめなよ」と、リタさんが達観した顔で言う。「閣下、ああ見えてすっごく嬉しいんだよ。やっと『返せる』んだもん」


……返せる、ですか。


五年間、十六人の医者に金を払い、誰からも何も返ってこなかった人の「対価」は、瓦を打つ音をさせて、今日も屋根の上だ。


「――そういえば閣下。来週から、薬の時間を夜に変えます」


「? なぜだ」


「閣下の発作は、冷えた夜半に出ます。でしたら効き目の山も、そこへ合わせるべきですので。……お薬は、患者さまの暮らしに合わせて初めて、嘘をつかなくなりますから」


屋根の上で、瓦を持つ手が止まった。


「…………そういうことを」


「はい?」


「そういうことを、当たり前の顔で言うのは、貴女くらいだという話だ」


それきり閣下は黙って、いつもより少し乱暴に、瓦を打ち付けた。



店が、少しずつ街の一部になっていく。それは、患者さんの顔ぶれでわかる。


「先生、うちの亭主の腰がねえ。……本人は医者嫌いでさ。これ、黙って飲ませてもいいやつかい」


「布を張るお仕事のかたですね。煎じ薬より、温めて効く湿布を。匂いの少ないものにしますので、『お酒の友だ』とでも言って貼ってさしあげてください」


「……あんた、なんで亭主が布職人だって分かったんだい」


「爪の藍染めと、右肩だけ盛り上がった肉付きで。――お薬は嘘をつきませんし、患者さんの体も、同じことを正直に教えてくれますので」


マーサさんに連れられて来た織物長屋の人たちが、いつのまにか常連になっていた。腰痛、あかぎれ、子どもの寝つき。大きな病ではない、暮らしのすぐ隣にある不調ばかり。


王宮では、決して私の手に回ってこなかった種類の仕事だ。


こういう薬こそ、ほんとうは、いちばん作りたかったのだと思う。



夜。帳簿を付け終えた私に、リタさんがお茶を淹れてくれた。夕食は彼女作の山菜雑炊で、たいへん美味しかった。


なお先週、私が夕食当番に立候補した結果については、互いに二度と触れない約束である。鍋は無事だった。鍋だけは。


「ねえ先生。先生ってさ、王都で偉い人だったんでしょ。……戻りたいって思わないの?」


「思いませんね」


即答だった。自分でも少し驚くくらい。


正直な売り手がいて、治った腕を見せに来てくれる患者さんがいて、屋根を直してくれるお得意さまがいる。薬師にとって、これ以上の街がどこにあるだろう。


「私、今がいちばん楽しいんです。以前のぜんぶを含めても」


「へんなの。こんな田舎なのに」


「こんな、ではありません。いい街です」



――同じ頃。王都。とある伯爵家の夜会で。


「ねえ、気のせいかしら。最近、お薬の値が上がっていません?」


「あら、あなたも? うちの常備薬、先月から一割五分も。それでいて、効きが悪いのよ。子どもの熱が、ちっとも下がらなくて」


「医薬局も質が落ちたものねえ。……そういえば昔は良かった。ほら、あの悪役令嬢が婚約者だった頃は」


「やだ、あなた。お薬と令嬢に、何の関係があるのよ」


扇の陰で、夫人たちは声を立てて笑った。


何の関係があるのか。


その問いに最初に行き着くのが、笑っている彼女たち自身になるとは――まだ、誰も知らない。


子どもの熱は、来月にはもっと下がらなくなる。


対価(物理)が今日も積み上がっていきます。次回はリタと、あの「枯れた木」のお話。ブックマーク・評価という対価も、作者は遠慮なく受け取る主義です。


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― 新着の感想 ―
そうそう、逃がした魚ちゃんは余りにも大きかったって後で気付くやつだね! ん?どっかで聞いた事あるタイトルだな・・・まぁいいや!(笑)
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