第4話:開店初日、お客はゼロ
開店初日の朝は、よく晴れていた。
磨き上げた窓。並べ直した薬棚。扉の上には、リタさんと二人で取り付けた真新しい看板。
『セラフィーナ薬局』
我ながら、いい店構えだと思う。
「……先生。お客、来ないね」
「来ませんね」
開店から、四時間が経過していた。
客はゼロ。正確には、店の前を通る人は皆、ちらちらとこちらを見ていく。見ていくのに、誰一人として扉をくぐらない。
「そりゃそうだよ」と、リタさんが椅子の上で膝を抱えた。「王都から来た貴族さまのお店なんて、おっかなくて入れないもん。ぼったくられるか見下されるかって、市場のおばちゃんたちが言ってた」
理屈は分かる。この街にとって私は、素性の知れないよそ者だ。しかも「王都の元・公爵令嬢」という、この土地で一番信用のない肩書き付き。
腕を見せる機会さえあれば――いえ。
(機会は、待つものではありませんでしたね)
前世でも、開局してすぐ学んだはずだ。患者さんが来ないなら、こちらから出ていくしかない。
「リタさん。表の品書き、書き換えます」
私は筆を取り、板にこう書いた。
『薬草、高値で買い取ります。質は正直に見ます』
「……売るんじゃなくて、買うの?」
「ええ。売り手の顔も知らない店から、人は薬を買いません。ですからまず、こちらが買う側に回るんです」
この街の人々は山の民だ。薬草摘みは子どもから年寄りまでの副業だと、リタさんから聞いていた。
「正直な目利きは、一番伝わりやすい名刺ですので」
*
効果は、午後にあらわれた。
「……ほんとに買い取ってくれんのかい。ひやかしじゃなくて」
最初に来たのは、腰の曲がったおばあさん。籠いっぱいのカミツレの花。
「拝見します。――乾燥が見事ですね。軒下で、布を掛けて干されましたか」
「っ、わ、わかるのかい」
「色が言っています。日に直接当てた花は、こんな綺麗な白は残りませんので。こちらの倍の値で買い取ります。ただしこちらの束は湿気を吸っていますから、値は付けられません。正直に申し上げました」
おばあさんは目を丸くして、それから歯の抜けた口で笑った。
「あんた、ほんとに見えるんだねえ」
噂は、井戸端を伝う水よりも早い。
それから夕方までに、薬草売りが七人。一人ひとりの持ち込みに、いい所と悪い所を正直に告げ、適正な値を付けた。安くは買わない。高くも買わない。良い品には良い品の値を、駄目な品には駄目だとはっきり言う。
「この花は採るのが二日遅い。けれど根は見事です。次は根を多めに」
そんな一言を添えると、皆、最初は警戒の目をして、帰る頃には少しだけ背筋を伸ばしていた。自分の摘んだ草を、ちゃんと見てもらえた――その顔だ。
リタさんが横で「この人の目はほんものだよ」と請け負ってくれたのも、何より効いた。
買い取り台帳に、七人分の名前が並んだ。
客はまだ、ゼロのままだったけれど。
*
日暮れどき。店じまいの間際だった。
「だ、誰か……薬師の先生ってのは、ここかい!」
転がり込んできたのは、煤だらけの大男だった。鍛冶屋のゴルドさんと、後で知る。担がれていたのは彼の弟子の少年。右腕に、見ているこちらが顔をしかめるほどの火傷。
「炉の火が爆ぜちまって……医者は隣街だ。頼む、診てやってくれ!」
「お任せください。リタさん、井戸水を桶に。たっぷり!」
まずは冷やす。とにかく冷やす。流水に浸けながら、火傷の深さを見る。水ぶくれはあるが、肉までは達していない。
(よかった。これなら、痕を残さずにいけます)
冷やしている間に軟膏を練る。乳鉢に蜜蝋を溶かし、カミツレの浸出油を少しずつ。とろり、とろり、と匙ですくっては落とし、固さを確かめる。冷えすぎても、緩すぎても、患部には貼りつかない。
カミツレは――今日の昼、あのおばあさんから買い取ったものだ。軒下で布を掛けて干された、あの見事な花。早速の出番である。
「先生、なんでそんな……手元、見ないで混ぜられるの」
リタさんが、桶を支えながら目を丸くしている。
「手が覚えていますので。目は、患者さんを見るためのものですから」
「もう、いてえの、なおる……?」
「ええ。でも、お薬の力は半分だけ」
清潔な布を巻き終えて、私は少年と目を合わせた。
「残りの半分は、あなたのお仕事です。三日間、絶対に布を外さない。患部を掻かない。できますか」
「……うん。できる」
「いいお返事です。では三日後、必ず診せに来てください。診察代は、その時で結構ですので」
*
三日後。少年は約束どおりやって来た。布の下の皮膚は、綺麗な薄桃色に治りかけていた。
「すげえ! な、親方、すげえよこの先生!」
「いやはや、まったくだ。……先生よ、それで、診察代はいくらだい」
身構えるゴルドさんに、私は料金表を見せた。市場の医者の、半分ほどの額。
「……安すぎねえか。貴族さまの薬なんだろ」
「適正価格です。薬は、続けて買えるお値段でなければ意味がありませんので。――そのかわり」
私はにっこり笑って、こう付け加えた。
「治った腕で、よく効いたと、酒場で言いふらしてくださいな」
ゴルドさんは、ぽかんとして、それから大声で笑った。
「はっは! 言いふらしてやるとも! 市場通りの薬屋は、目利きが正直で、腕は本物で、よく笑う別嬪だってな!」
その晩、買い取り台帳の隅に、リタさんが小さな字で書き足していた。
『きょうのおきゃく、一人目。なおった』
一人目。私はその文字を、しばらく眺めていた。
*
翌朝。
開店準備をしていると、リタさんが窓の外を見て、妙な声を出した。
「せ、先生。お客さん……だと思うんだけど」
店の前に、馬がいた。それも、見上げるような黒い軍馬が。
手綱を引いて立っているのは――昨夜ぶりの、山のような体躯。
「……開店祝いだ。受け取れ」
辺境伯さまが、薪の束を担いで立っていた。山のような体躯で、軍馬の手綱を引き、薪を抱えて。その光景はあまりに場違いで、リタさんが声を失っている。
「閣下。お代でしたら、診察の日に頂きますが」
「これは祝いだ。借りは作らん主義だが、貸しを作るのは構わん。――それと、次の薬の予約だ。週に三度と言ったのは、貴女だろう」
言うだけ言って、辺境伯さまは薪を土間に下ろし、さっさと馬に戻っていった。市場の人々が、遠巻きに目を丸くしている。
北の国境を守る領主さまが、市場通りの薬屋に、薪を届けに来た。
その光景こそ、どんな看板よりも雄弁な、この店の名刺になるのだと――このときの私は、まだ気づいていなかった。
二人目の客は、まだ来ない。けれど一人目が口コミを広め、お得意さま第一号が、自分から通う気でいる。
この小さな店は、たしかに回りはじめていた。
営業活動は「買い取り」から。次回、辺境伯さまの通院がすっかり習慣になり、市場通りが大変なことになります。ブックマークと評価、薬草と同じく高値で買い取らせていただきます。




