表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された悪役令嬢は、辺境で薬屋をはじめます 〜王宮の薬はすべて私が支えていましたが、納品停止いたしますね。お大事になさってください〜  作者: 白崎リラ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/20

第3話:辺境伯さまの、五年分の痛み

夜の領主館は、城というより砦だった。


飾り気のない石壁。磨き抜かれた武具。すれ違う使用人たちの顔には、一様に同じ色があった――心配、というやつだ。


通された執務室で、その人は机に向かっていた。


ヴァイス・シュトラール辺境伯。


噂は王都でも聞いていた。二十七歳にして北の国境を一手に守る軍人領主。山のような体躯に、冬空の色の瞳。


その瞳が、私を一瞥して、すっと冷えた。


「……女? しかも王都の人間か」


「セラフィーナと申します。本日より市場通りで薬屋を」


「帰れ」


取りつく島もなかった。


「カイル、誰を連れてくるかと思えば。王都の医者なら五年で十六人診た。聖女の祈祷も受けた。全員が同じことを言って、同じように役に立たなかった」


従者の青年――カイルさんが、悲鳴のような声を上げる。


「ですが閣下、今夜はもう三度目の発作です! 執務どころか、眠ることも……!」


「黙れ。……仕事の邪魔だ。下がれ」


辺境伯は、書類に視線を戻した。


その所作を、私は黙って観察していた。


(左手を、まったく使っていない)


書類を押さえるのも、頁をめくるのも右手だけ。左腕は袖の中で、不自然なほど静かに垂れている。


額には脂汗。燭台の灯りの下、唇の色がわずかに紫がかって見える。そして机の端には、手を付けた様子のない夕食の盆。


「――閣下。三つだけ、お伺いします」


「帰れと言った」


「痛みが強くなるのは、夜。それも、冷えた日の夜半すぎ。違いますか」


書類をめくる手が、止まった。


「痛むのは左腕から肩、ひどい時は胸まで。脈が乱れて、食欲が落ちる。指先の感覚は年々鈍くなっている。――五年前から、ずっと」


「…………誰に聞いた」


「誰にも。拝見すれば分かります」


冬色の瞳が、初めてまっすぐ私を見た。


「もうひとつ、当てましょうか。痛み止めはもう効かない。効かないのに量ばかり増えるのが恐ろしくて、半年前からご自分の判断で、すべて捨てていらっしゃる」


沈黙。


カイルさんが「閣下、薬を捨てて……!?」と卒倒しそうになっているから、当たりらしい。


「……五年前、毒を受けた」


低い声で、辺境伯は言った。


「戦場でだ。矢傷そのものは浅かった。だが鏃に毒が塗ってあった。軍医は『山賊の毒矢だろう』と言った。一命は取り留めたが――以来、この体は俺のものじゃない」


「拝見しても?」


返事の代わりに、彼は左の袖をまくった。


前腕に古い矢傷の痕。その周囲の皮膚に、薄く、蜘蛛の巣のような灰青色の変色が広がっていた。


脈を取る。瞳孔を見る。爪の色、舌の色、変色の広がり方。


頭の中で、前世の知識と、この世界の毒物学が、一枚ずつ照合されていく。


トリカブト系――ではない。痺れの出方が違う。鉱毒――でもない。ならば。


「……閣下。これは、山賊の毒矢ではありません」


「なに?」


「自然の毒なら、五年も体に残りません。残るように作られているんです。複数の毒を混ぜ、ゆっくり神経を蝕むよう調整された――これは、精製された毒です。それも、相当な技術を持つ者の手による」


部屋の空気が、変わった。


辺境伯の瞳の奥で、何かが軍人の鋭さで光る。私はそれ以上踏み込まなかった。誰が、なぜ。それを調べるのは薬師の仕事ではない。


私の仕事は、ひとつだけだ。


「正直に申し上げます。完治には年単位の治療が要ります。体に染みついた毒を、少しずつ抜いていくしかありませんので」


「……だろうな。十六人目も同じことを」


「ですが」


私は鞄を開けた。


「今夜の痛みは、今、消せます」



執務室の暖炉を借りて、その場で調合した。


ギンヨモギの葉を乳鉢で潰す。ごり、ごり、と規則正しい音。リタさんから買った、あの上物だ。解毒促進に蜂蜜と生姜、神経の痛みを和らげる白柳の皮の煎じ液を、湯煎で合わせていく。


計量は正確に。手順は丁寧に。


お薬は、嘘をつきません。正しく作れば正しく効き、間違えれば正しく毒になる。だから私は、この音が好きだ。


「……変わった女だ。薬を作る顔だけは、戦場の古参兵に似ている」


「褒め言葉として頂戴しますね。――はい、どうぞ。温かいうちに」


辺境伯は湯気の立つ薬杯を一瞥し、毒見もさせず、一息に呷った。


豪胆なのか、捨て鉢なのか。


一分。二分。


時計の針の音だけが響く執務室で――ふ、と。


彼の肩から、力が抜けた。


「………………は?」


辺境伯は、自分の左腕を見下ろした。おそるおそる、左の拳を握る。開く。もう一度、握る。


「痛みが……引いて、いる……?」


「消えたのは表面の痛みだけです。毒は、まだ体の中に。ですから今夜のは応急処置。……それでも、痛みのない夜は、五年ぶりではありませんか?」


返事はなかった。


ただ、山のような軍人が、自分の左手を握ったまま、置物のように固まっていた。やがて彼は、酷く不器用に口を開いた。


「……すまん。その、なんだ。…………温かいな、この薬は」


それが彼なりの最大級の感謝の言葉なのだと、部屋の隅でカイルさんが滂沱の涙を流しているのを見て、理解した。


「――対価は言え」


我に返った辺境伯が、咳払いをして言った。


「借りは作らん主義だ。金か、家か、後ろ盾か」


「では、二つ。薬屋の開業許可を一枚」


「許可する。もう一つは」


「閣下に、当店のお得意さま第一号になっていただきたく。完治まで年単位と申し上げました。通っていただきます、週に三度」


辺境伯は虚を突かれた顔をして、それから、ふんと鼻を鳴らした。


「……商売上手め」


帰り際、玄関まで自ら見送りに立った彼は、夜空を見上げて、独り言のように言った。


「五年探して、見つからなかった。それが市場通りの薬屋とはな。――貴女を手放した王都は、正気か?」


さあ。正気かどうかは、存じませんけれど。



――同じ夜。王都。


「っ、ぐ……」


アロイス王太子は、寝室で胸を押さえてうずくまっていた。


肋骨の裏を、氷の手で掴まれるような感覚。最近、多い。疲れだろうか。


「ミレーユ……すまない、例の祈りを頼む」


「は、はい、殿下」


聖女の手から、温かな光が流れ込む。痛みが、すうっと溶けて消えていく。


「ああ……君の力は本物だ。王宮医のどんな薬よりよく効く」


殿下は安らかな寝息を立て始めた。


光に照らされたミレーユは、ほっと胸を撫で下ろした。


――痛みは、消えた。


消えた、だけだった。

お得意さま第一号、ご来店(予約)です。そして王都の小瓶は、もう届きません。ブックマーク・評価をいただけると、辺境の冬支度がはかどります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ