表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
48/55

第48話:今度は、守られてもいい

 目を覚ますと、静かな部屋の、やわらかな寝台の上だった。


 しばらく、ここがどこか、わからなかった。薬草の匂いがしない。うめき声も、鍋の音もしない。ただ、蝋燭がひとつ、静かに燃えている。……領主館の客間らしかった。誰かが私の靴を脱がせ、上掛けを、きちんとかけてくれていた。


 窓の外は、夜。枕もとにヴァイスが椅子に腰かけて、私をじっと見ていた。どれほど、そうしていたのか。その目の下には、濃い隈があった。


 私は、はっと起き上がろうとした。


「病人が……わたくし、戻らなければ。まだ、薬を」


「動くな」


 ヴァイスの手が、私の肩を、そっと、けれど決して離さぬ強さで押しとどめた。


「病棟は、弟子たちと街の者が回している。グレタも、リタもいる。……貴女がいなくても、今夜は大丈夫だ。だから、動くな」


「でも、わたくしが、動かなければ、誰かが――!」


 声が上ずった。心の臓が早鐘を打つ。休んでいる、この一瞬にも、誰かがエルサのようにこぼれ落ちていく気がして。じっとしていることが、怖くてたまらなかった。


 自分でも、わかっていた。これは道理ではない。病棟には、育った手が八本もある。数字の上では、今夜の私は要らない。……なのに、この胸のざわめきは、道理では鎮まらなかった。


 ヴァイスは、そんな私をじっと見て、静かに問うた。


「貴女は、何をそんなに恐れている。……休むことを、まるで死ぬことのように恐れている。なぜだ。教えてくれ、先生」


  *


 その問いが、ずっと閉じてきた蓋をこじ開けた。


 部屋は静かだった。蝋燭の芯が、ちり、と小さく鳴る。この人は待っている。答えを急かさず、逃げ道も塞がず、ただ、待っている。……ならば。この人になら。


 私は震える声で――誰にも話したことのなかったことを、はじめて口にした。


「……わたくしには、前の世の、記憶がございます」


 ヴァイスの目が、わずかに見開かれた。けれど、彼は黙って続きを待った。笑いもせず、疑いもせず。ただ、聞く構えを崩さなかった。


「遠い、遠い国で、わたくしは薬を扱う者でございました。朝から夜まで、休みなく働いて。まだ大丈夫、あと少し、わたくしさえ頑張れば――そう言い聞かせて、来る日も、来る日も。誰も止めてくれませんでした。わたくし自身も、自分を止められなかった」


 声が途切れる。前世の、白い部屋の冷たい床がよみがえる。


「そうして、ある朝……わたくしは働きすぎて倒れました。そのまま、二度と起き上がれずに。――死んだのでございます。誰にも看取られず。休まなかった、その果てに」


 言葉にした瞬間、こらえていたものが堰を切った。目から熱いものがあふれて、止まらなくなった。


「だから、怖いのです。休むことが。力を抜くことが。あのとき休んでいれば――いいえ、休めなかった。休むことは、わたくしにとって、誰かを見捨てることと同じで。だから、今も止まれない。止まったら、また誰かが死んでしまう気がして……!」


 二十年ぶんの、いいえ、前世と合わせて五十年を超える、ひとりぼっちの張りつめが、涙になってこぼれ落ちた。私ははじめて、人前で、子どものように泣いた。


  *


 ヴァイスは何も言わず、私が泣くのを、そばで見ていた。急かさず、諭さず、ただ、そこにいてくれた。


 前の世の話を疑う言葉は、ひとつもなかった。ばかばかしい、とも、気の迷いだ、とも言わなかった。この人は、私の傷のいちばん深いところを、そのまま受け取ってくれた。


 やがて、泣きじゃくる私の頭に、大きな手が、そっと置かれた。


「……よく、生きて、ここまで来た」


 絞り出すような、低い声だった。


「前の世で、貴女を止めてやれた者はいなかったのかもしれん。だが――今は、俺がいる」ヴァイスはまっすぐに私を見た。「貴女はいつも、街を守り、病人を守り、弟子を守ってきた。誰かを守ってばかりだった。だが、もう、いい。……今度は、守られてもいい。貴女が誰かに守られる番だ。それを、俺に、させてくれ」


 守られてもいい。――その言葉を、私は前世でも、この世でも、一度ももらったことがなかった。


 私はうなずくこともできず、ただ涙をこぼしつづけた。ヴァイスの手のあたたかさが、凍りついていた心のいちばん奥まで、じんわりと届いていった。


 蝋燭が短くなるまで、その手は離れなかった。


物語、最大の山です。過労で倒れかけたセラフィーナが、ヴァイスに問われて、ついに――前世の記憶を、その死因を、はじめて打ち明けます。「働きすぎて、倒れて、死んだ。誰にも看取られず」。だから、休むのが怖い。休むことが、誰かを見捨てることと同じに思えてしまう。五十年分の張りつめが、涙になって、あふれます。


そして、ヴァイスの言葉。「今度は、守られてもいい。貴女が守られる番だ。それを、俺に、させてくれ」。誰かを守ってばかりだった彼女が、はじめて、守られることを許される夜です。


次回、第四十九話「ヴァイス、と呼んでくださいまし」。二人の距離が、決定的に、変わります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
次回「ヴァイス、と呼んでくださいまし」って誰の台詞だろう?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ