第45話:三十年前の、抜け道
「薬の原料が底をつく。――ならば、市場ではなく、山から直に採るまでです」
私がそう言うと、リタが身を乗り出した。
「あたし、視えます! どこに元気な草があるか! ゆうべも、東の谷が金色に光ってました。すごく強い、生命の色!」
リタの目は市場を通さない。買い占められる前の、生きた草の力を、じかに捉える。私はこの子を連れて東の谷へ向かった。身体は限界に近かった。谷への坂道で、二度、足がもつれた。リタが振り向く前に、立て直す。……まだ動ける。動けるうちは、動く。休むわけにはいかなかった。
東の谷には、リタの言うとおり、白柳とセリバオウレンの野生の群れが、青々と茂っていた。誰にも買い占められていない、山の恵み。リタの目が、飢えの網の目のあいだを見つけ出したのだ。
「すごい……ぜんぶ、金色」リタが谷を見渡して息をのむ。「市場の袋詰めの草より、ずっと、ずっと強い色です」
「乾かして日の経った草より、生きた草のほうが力が強いのです。……さあ、摘みましょう。手袋を。根もとから少し上を、小刀で」
私たちは日が傾くまで摘みつづけた。切り口の匂い。土の湿り。籠が重くなるたび、病棟の顔ぶれが、ひとりずつ頭に浮かぶ。この一本が、あの熱を下げる。
「ただし、根こそぎ採ってはなりません」私はリタに教えた。「群れの三割は残します。来年も、再来年も、この谷が私たちを支えてくれるように。――お触れにもございましょう。『根を残し、群生の三割を残す』と」
「はい、師匠。……三割、ちゃんと、残します」
目先の飢えのために、明日の谷を枯らしてはいけない。それをやったのが王都の買い占めなら――私たちは、その逆を行く。
*
谷から戻ると、グレタ婆さまが待っていた。
「先生。あたしも、三十年ぶんの伝手をたどってみたよ」
グレタは元・薬師ギルドの長だった。辺境の薬草の売り買いを知り尽くしている。
「三十年前にも、王都の商人が辺境の薬草を根こそぎ買い荒らしたことがあってね。クローヴ商会って、若旦那があくどくやった。……あのとき市場を締められて、辺境の薬師仲間は干上がりかけた」
クローヴ。――バルテルミーの、出自の名だった。三十年前の買い荒らしと、今の買い占め。同じ血が、同じことを繰り返している。
「でもさ、あのとき、あたしらは生き延びた。市場を通さず、山の民とじかに薬草をやりとりする抜け道を作ってね。その伝手が、まだ細々と生きてるんだよ」
グレタが山の民との古い約束を、たどりなおしてくれた。市場を握るバルテルミーの手の届かない道。三十年前の知恵が、今、街を救おうとしていた。
「グレタ婆さま。あなたの三十年が、この街を生かします」
「なあに」グレタは笑った。「あたしらの世代が悔しい思いをしたぶん、あんたたちが楽をすりゃいい。それで、じゅうぶんさ」
しわだらけの手が、私の籠から草をひとつかみ取って、選りはじめる。三十年、同じことをしてきた手つきだった。悔しさを知恵に変えて、次の代へ手渡す。この街の薬は、そうやってつながってきたのだ。
*
数日ののち、山の民の最初の荷が届いた。
毛皮にくるまれた薬草の束は、乾かし方も束ね方もていねいで、市場の品よりよほど質がよかった。荷を解くたび、病棟の薬棚に緑が戻っていく。ユリウスが在庫の帳面に、久しぶりに足し算の数字を書き込んだ。
「これで、あとひと月は戦えます」
弟子の声が明るかった。飢えの網は破れた。市場を握った者の届かないところで、山と人の縁が、街を養いはじめていた。
そして、その荷には思いがけないものが紛れていた。一枚の、古い納品の控えだった。
山の民の長老が、渋い顔で言う。
「これは、南のほうの買い占め商人が落としていったものでな。……見な。同じ商人が南方産の解熱の草を、途方もない量、王宮医薬局へ納めている。しかも、疫病が出るよりずっと前から。まるで――病が来るのを知っていたみたいに」
私はその控えをじっと見た。日付。数量。そして、宛先――王宮医薬局長、バルテルミー・クローヴ卿。
日付は、南の港町で最初の熱が出るより、ふた月も前だった。ふた月。偶然の仕入れで済む数字ではない。
疫病を事前に知っていた。知っていて、原料を買い占めた。これは、ただの商いではない。命を質に取った、たくらみの尻尾だった。
(……掴みました。あなたの、尻尾を)
私はその控えを、証拠の箱の、あの偽薬の瓶の隣に、そっと加えた。
絶望の淵から、反撃へ。原料危機に、二つの手が伸びます。リタの“視える目”が、買い占められる前の「生きた草」を山に見つけ出し、グレタの三十年の伝手が、市場を通さぬ「抜け道」を開く。三十年前、クローヴ商会の買い荒らしに干上がりかけた薬師たちの知恵が、いま、街を救います。「あんたたちが、楽をすりゃいい」――グレタのその一言が、沁みました。
そして山の民が運んだ荷から、バルテルミーが疫病を“事前に知って”原料を買い占めていた、動かぬ尻尾が。命を質に取ったたくらみが、崩れはじめます。
次回、第四十六話「王都に、届いた処方」。




