第41話:隔離病棟、開きます
街の古い診療所を、私はまるごと隔離病棟に作り変えた。
ゴルドたち力自慢が一晩で、寝台を五十、運び込んだ。マーサのおかみ衆が、煮沸した布を山と積み上げる。ノエルは入口に、大きな盥と、石鹸と、『病を防ぐ、七つのお約束』の刷り物を括りつけた。街の手が、街の病棟を作っていく。
「入口は、ひとつだけ。出るときは、必ずこの盥で手を洗い、この火のそばを通ってから。病人の部屋と、世話をする者の部屋は、はっきり分けます。風は南から北へ、一方向にだけ通す。窓の開け方も決めます」
私は前世の隔離の作法を、この世界の言葉に置き換えて、ひとつひとつ指示していった。水。換気。手洗い。動線。――派手さは、まるでない。けれど、この地味な決まりごとの一つひとつが、目に見えぬ病の足を確実に止めていく。
「先生、なんだか……戦の陣立てみたいだね」マーサが感心したように言った。
「ええ。相手が、目に見えぬだけで、これは、戦でございます」私はうなずいた。「ただし、剣は使いません。使うのは、水と、火と、石鹸。それと、根気でございます」
初日の夕、最初の病人たちが運び込まれてきた。織物長屋の、あの二十人。熱に浮かされた顔が寝台に並ぶ。家族が離れた入口から、心配そうに覗き込む。
「ご家族は、中へは入れません。……ですが、見捨てるのではありません」私はその一人ひとりに言って回った。「ここは、病を閉じ込める檻ではなく、病人を守る砦でございます。かならず、お返しします。元気な色の顔で」
病棟の中の勤めは単調だ。刻んで、煎じて、飲ませる。汗を拭い、水を替え、床を拭く。熱の高い者から順に見て回り、爪を押し、皮膚をつまむ。よくなった者の寝台には、白い布を。危うい者の寝台には、赤い布を。ひと目で手を割り振れるように。
「先生、この赤札のじいさん、朝より色がましです」リタが寝台のあいだを縫って報せてくる。「金色が、ちょっとずつ、戻ってきてる」
「では、白札へ。……ようございました」
リタの目は、ここでも誰より早い。熱の数字より先に、快方の色を拾ってくれる。危うい者に手を集め、戻ってきた者から順に家へ帰す。砦の中の戦は、そうやって一床ずつ進んでいった。
*
同じころ、封鎖された王都では。
大聖堂に病人があふれていた。祈るしか術がなかった。司祭たちは朝から晩まで、聖句を唱え、聖水を撒く。けれど、熱は引いては戻り、引いては戻り――病人の列は、日ごとに長くなるばかりだった。
しかも大聖堂は、病人と、祈りに来る健やかな者が同じ扉から出入りしていた。聖水の盤に、幾百の手が浸される。祈りの場が、皮肉にも病の通り道になっていた。
聖女ミレーユは、もう立っているのもやっとだった。祈っても祈っても、根が断てない。その無力を、彼女は痩せた身体で、まるごと受け止めていた。
「……水を、煮て。窓を、開けて。手を、洗って」
ミレーユは消え入りそうな声で、司祭たちにそう頼んでみた。北の辺境の薬師がそうしていると、風の噂に聞いたから。けれど、司祭たちはけげんな顔をした。
「聖女さま。祈りこそが、唯一の道。そのような、下々の手仕事など……」
「ですが、現に熱は戻ってきます。祈りだけでは……」
「お疲れなのです。どうか、祈りに、専心なさいませ」
やわらかな言葉で、扉は閉ざされた。祈り一辺倒の王都は、変わることを拒んでいた。変われぬまま、静かに崩れていった。
*
辺境ノルデンの隔離病棟は、しかし、動いていた。
水は煮え、風は流れ、手は洗われる。地味な決まりごとに守られて、病棟の中の死は日ごとに減っていった。世話をする者から、新しい病人はひとりも出ていない。陣立ては効いている。けれど――
「師匠……薬が、もう、ほとんど」ユリウスが帳面から顔を上げた。「代替の解熱剤も、原料の草が底をつきます。あと三日、もつか」
「人手も足りません」ノエルが汗を拭った。「病人は、まだ増えてる。おれたちだけじゃ、夜が越せねえ」
守る術はある。けれど、それを支える薬と手が足りない。城壁は築いた。だが、城の中の兵糧と兵が尽きかけている。
私は窓の外、南の森の方角を見た。原料の草が眠る、あの枯れかけた森を。リタの目が視た、どす黒い色と灰色の重なる場所。行けば、何かがわかる。行かなければ、何も変わらない。
(――行かなければ。あの森へ)
いちばん長い夜が、これから、続く。
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病人を分けて、囲って、手厚く守る。剣も魔法も使わない、水と火と石鹸と根気の“戦の陣立て”です。地味の一つひとつが、目に見えぬ病の足を止めていく――派手さのない戦を書くのは、じつは、いちばん楽しい仕事だったりします。
対して王都は、祈り一辺倒のまま崩れていく。「水を煮て、窓を開けて」を「下々の手仕事」と退ける司祭たち。この対比が、テーマの核心です。
けれど辺境も、薬と人手が尽きかけ。次回、第四十二話「僕の、いちばん得意なこと」。弟子たちが、殻を破ります。




