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第40話:街を、守り抜きます

 織物長屋の集団感染を境に、疫病は堰を切ったように街の内へ広がった。


 朝には五人、昼には十五人、夜には三十人。診療所の寝床は、たちまち埋まった。隣の空き家も、その隣も。煎じ薬の鍋は五つに増えても追いつかない。私と、リタと、弟子のユリウス、ノエル。四人の手では、もう、とても回らない。


 ユリウスの地図は、赤い印で埋まりつつあった。井戸をひとつ封じても、病は次の水脈を探し当てる。数字は嘘をつかない。そして、いまの数字は――こう告げていた。このままでは、手が負ける。


 そこへ、追い打ちの報せが届いた。王都からの早馬が門前で叫んだ。


「王都が――王都が、門を、閉じました! 南方熱が、ついに、王城下まで! 王都は、封鎖されましたッ!」


 王都封鎖。祈りに固執し、薬を握り、後手に回った王都が、ついにみずからの門を閉ざした。援軍も、物資も、もう期待できない。約定を交わしたばかりのダレルの顔が頭をよぎる。処方と手順書は届いただろうか。届いていても――もう、こちらからは何も足せない。


 辺境は辺境だけで、この病と向き合わねばならない。


 治療の手が足りない。薬の原料も足りない。二つの飢えが、いっぺんにのしかかる。


  *


 私は街の広場に人を集めた。


 不安に青ざめた顔、顔、顔。赤子を抱きしめる母親。戸口から出てこない家もある。病への恐れが、街を呑もうとしていた。恐れは病より速く広がる。恐れた人は、病人を隠す。隠された病人は、静かに隣へうつす。だから、まず、これを鎮めなければならない。


 私は荷車の上に立ち、声を張った。人前で声を張るのは得意ではない。けれど、声の大きさではなく、言葉の確かさが人を落ち着かせることを、私は知っている。


「みなさま。落ち着いて、お聞きくださいまし。――この病は、恐ろしい。けれど、正体の知れぬ化け物では、ございません。水を通ってうつる、ただの熱でございます。正体がわかっている病は、必ず止められます」


 ざわめきが少し収まる。


「呪いでも、祟りでも、ございません。ですから、病人を責めないでください。隠さないでください。早く教えていただければ、それだけ早く治せます」


「わたくしひとりでは、街は救えません。けれど、みなさま、ひとりひとりが少しずつ役目を持ってくださるなら――この街は負けません。水を煮る人。手を洗いあう家。病人に、あたたかい湯を運ぶ隣人。それが、いちばん強い薬でございます」


 私はみなを見渡した。


「わたくしは薬を作りつづけます。閣下は街を守ってくださいます。リタは病の広がりを視てくれます。グレタ婆さまは、辺境の知恵を。若い弟子たちは、走り、記録し、配ります。……そして、みなさまは、どうか、隣の人を守ってくださいまし。それだけで、いいのです」


  *


 沈黙のあと、いちばん前で、腰痛持ちのマーサがしわがれた声を上げた。


「わかったよ、先生! あたしゃ、織物長屋のおかみ連中を、束ねる! 手洗いも、水煮も、あたしが目を光らせてやるさあ!」


 続いて、鍛冶屋のゴルドが、太い腕を振り上げた。


「おうよ! 病人の運びは、俺たち力自慢に、まかせろ!」


「うちは、井戸端に、石鹸を置くよ」「湯なら、うちの竈で、いくらでも」


 ひとり、またひとり。恐れの顔が、役目を持った者の顔に変わっていく。街が、ひとつの大きな身体になっていく。腰痛を治した婆さま、火傷を診た職人、夜中に駆け込んできた母親――この一年あまり、小さな診療所で結んだ縁のひとつひとつが、いま、声を上げてくれている。


 荷車を降りた私に、ヴァイスがそっと歩み寄った。


「――たいした演説だ。街ぜんたいを、薬にした」


「いいえ、閣下」私は首を振った。「薬にしたのは、この街の人々がもともと持っていた、やさしさでございます。わたくしは、それに火を灯しただけ」


 ヴァイスはしばらく私を見て、それから南の空を見据えた。灰色の雲が湧いていた。病の、いちばん濃い時が、これから来る。


「守り抜くぞ。この街を」


「はい。――守り抜きます。ひとりも、見捨てずに」


 その夜、私は帳面に新しい頁を立てた。表題は、『ノルデン防疫録』。誰が、どの役目を持ったか。水は、どの竈で煮るか。病人は、どこへ運ぶか。街ぜんたいという大きなひとりの患者の――これが、カルテになる。


 書き終えて、ふと窓の外を見た。夜更けの街のあちこちに、竈の火が、ぽつり、ぽつりと灯っている。水を煮る火だ。眠らない火が、こんなにもある。


 総力戦の幕が上がった。辺境ノルデンの、いちばん長い戦いがはじまる。


第四章「流行の兆し」、章末です。王都は封鎖され、辺境は孤立無援。治療も原料も足りない、二正面の総力戦がはじまります。


けれどセラフィーナは知っています。疫病に、ひとりで立ち向かってはいけない。水を煮る人、手を洗う家、病人を運ぶ隣人――恐れの顔が、役目を持った者の顔に変わっていく。その広場の場面が、この章でいちばん書きたかったところでした。


次回より第五章「街を治す」、本作最大の山場へ。第四十一話「隔離病棟、開きます」。


――ここまで街を見守ってくださった皆さまへ。ブックマークと☆は、この総力戦の、いちばんの兵糧でございます。よろしければ、辺境に一票を。


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