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第37話:リタの目には、視えるもの

 南の森へ発つ前夜、リタが思いつめた顔で私の前に座った。


 夕餉の片づけも終わり、診療所には、煎じ薬の残り香だけが漂っている。リタはしばらく、膝の上の自分の手を見つめていた。何度か口を開きかけて、閉じる。私は急かさずに待った。薬が煮えるのを待つのと同じだ。人の言葉にも、煮えるまでの時間がある。


「師匠。……あたし、ずっと、言えなかったことがあって」


 いつも元気なこの子が、めずらしく、うつむいている。


「あたし、その……変なんです。人とか、草とか、見てると――色が、視えるんです。元気な人は、あったかい金色。病気の人は、濁った、どす黒い色。枯れかけた草は、灰色。……気持ち悪いって、昔、村で言われて。だから、ずっと隠してました」


 リタは膝の上で、小さな手を、ぎゅっと握った。今にも泣きそうだった。


「先生が倒れた人を診てるとき、あたし、ほんとは、色で先にわかってたんです。あの行商人さん、門をくぐる前から、真っ黒だった。でも、言えなくて。……言ったら、また、気味悪がられるって」


 ――気持ち悪い。


 その言葉を、私は知っていた。感情がない。人形のようだ。何を考えているか、わからない。前の世でも、この世界の王宮でも、私はそう言われてきた。持って生まれたものを、そのまま差し出しただけで、人は、ずいぶんと遠くへ下がっていく。


 この子は十二年、それをたったひとりで抱えてきたのか。


 私はその手に、そっと自分の手を重ねた。


「リタさん。それは、気持ち悪いものではありません」


「え……」


「才能です。しかも、とびきりの」私ははっきりと言った。「私には、病人の熱を指ではからないとわかりません。草の力を、煎じてみないと量れません。けれど、あなたは――ひと目で、それが視える。その目は、どんな高価な薬研よりも街を救います」


 リタの大きな目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。長いあいだ、この子がたったひとりで抱えてきた怖さが、その涙に溶けていくようだった。


「……あたしの目、役に、立ちますか」


「立つどころではありません。今から、いちばん頼りにします。――泣きやんだら、少し、手伝ってちょうだい」


「……はい。師匠」


 リタは袖でぐいと顔を拭いて笑った。泣いたあとの、その顔の色は――私には視えないけれど、きっと、あたたかい金色をしていたと思う。


 隠していたものを、才能と呼ばれること。それだけで、人はこんなにも軽くなる。前の世の私に、そう言ってくれる誰かがひとりでもいたなら。……いや、よそう。いまは、この子が軽くなった。それで、じゅうぶんだ。


  *


 私はユリウスの描いた街の地図を、床いっぱいに広げた。


 几帳面な線で描かれた通りと家並み。病人の出た家には、すでに小さな印が打たれている。私はそこへ燭台をふたつ運び、灯りを足した。


「リタさん。この街を、あなたの目で見て。どこに、どす黒い色が濃く溜まっているか、教えてください」


「地図でも、わかるかな……ううん、やってみます」


 リタは涙を拭って、地図の上をじっと見渡した。それから、街を思い浮かべるように目を閉じて、開く。指を、いくつかの場所に置いていく。


「ここと……ここ。あと、この裏通り。……どれも、色が、濃いです。病気の人が、多い」


 私はその点を赤い印でつないだ。すると――浮かび上がってきたのは、街の井戸と水路の線だった。病の濃い場所は、ひとつの古い井戸から水を引いている家々と、ぴたりと重なっていた。


「……やはり、水ですわ」私は息を呑んだ。「この病は、水を通って広がっている。リタさんの目が、それを証してくれました」


 病の広がりを地図にする。前世で「疫学」と呼ばれた考え方が、リタの“視える目”を得て、この世界ではじめて形になった瞬間だった。汚れた井戸に蓋をすれば、この一角の病は止められる。


 私はその夜のうちに、ヴァイスへ文を書いた。東の古井戸を、明朝いちばんに封じること。井戸を使っていた家々には、煮沸した水を街として配ること。点と点が線になれば、打つ手は迷わない。


  *


 けれど、リタの目は、もうひとつ、不吉なものを捉えていた。


「師匠……あの、南の森の方角。あそこだけ、色が、へんなんです」リタは、震える声で、窓の外を指した。「病気の人みたいな、どす黒い色と……それから、すごく大きな、灰色の、枯れていく色が。ふたつ、重なって、視えるんです」


 病の気と、枯れゆく命の色が、森の奥でひとつに重なっている。――疫病の源と、弱りゆく森。ふたつは、どこかでつながっているのかもしれない。


 私は地図の南端、まだ誰も描いていない森の輪郭をじっと見つめた。明日、そこへ踏み込む。


「気味が悪い」と言われ、怖くて隠してきた力を、リタがついに打ち明けます。病の“気”や草木の生命力を、色で視るその目。セラフィーナはそれを、ためらいなく「とびきりの才能」と受け止めました。「感情がない」と言われつづけた彼女だからこその、受け止め方だったと思います。


そしてその目は、前世の「疫学」と結びついて、病の広がりを一枚の“地図”に変えていく。汚れた井戸、水の通り道――点と点が線でつながる痛快を、どうぞ。


けれどリタの目は、南の森に、不吉な“重なり”を視てしまいました。次回、第三十八話「その万能薬、嘘でございます」。


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