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第35話:稼ぎ時、でございます

 王都、王宮医薬局。


 局長バルテルミー・クローヴ卿の執務室には、南方から届いた生薬が天井まで積み上げられていた。解熱の草、整腸の根――辺境であれほど市場から消えたものが、ここには山と唸っている。麻袋の隙間からこぼれる薬草の匂いが、部屋いっぱいに、むっと満ちていた。


「儂の読みどおりよ」バルテルミーは白髭を撫でて、満足げに笑った。「南で熱が出れば、薬は要る。要るものを先に握っておけば、値は好きに吊れる。……疫病は、薬屋の、稼ぎ時でございますなあ」


 側近が、揉み手をして言う。「さすがは局長。すでに、南の領主どもが、言い値で買いに参っております」


「よい」バルテルミーはうなずいた。それから、ふと目を細める。「ただし、辺境ノルデンには、一袋たりとも売るな」


「は。……ノルデン、でございますか」


「あそこには、あの……グランヴェルの小娘がいる」その名を口にするとき、卿の声には隠しきれない棘があった。「薬を握られた者が、どれほど無力か。あの小娘に、たっぷりと思い知らせてやるのよ」


 命を値札に変える。病に怯える者から金を搾る。この男にとって、疫病は災いではなく、恵みの雨だった。そして、その恵みで、目障りな娘をひとり、静かに潰す。それが、老いた局長の、ささやかな余興でもあった。


 その日も、南の小さな領の使いが、局長室の前で幾刻も待たされていた。領の蓄えを、あらかた薬代に注ぎ込んだのだという。それでも、足りない。


「どうか、あと十袋。値は、言い値で……」


「ないものは、売れませんなあ」バルテルミーは山と積んだ薬袋を背にして、そう言った。目の前の男の必死さなど、雨だれほども、その胸を打たない。「よそをお当たりなさい。もっとも――よそにも、もう、ありますまいが」


  *


 同じ王宮の、奥の間。


 王太子アロイスが胸を押さえて、寝台に沈んでいた。持病の発作だった。かつて婚約者だったあの令嬢の薬が、いつのまにか、その苦しみを遠ざけていたのだ。――失って、初めて、わかる。捨てたものの、値打ちを。


 枕辺で、聖女ミレーユが祈りを捧げていた。細い指を組み、額に汗をにじませて。祈るたび、アロイスの荒い息は、いっとき和らぐ。けれど、和らぐだけだった。祈りをやめれば、痛みは、また戻ってくる。


「殿下……」ミレーユの声は、かすれていた。「申し訳、ございません。わたしの祈りでは……根を、断てないのです」


 アロイスは応えなかった。ただ天井を見つめて、浅い息を繰り返している。その横顔を、ミレーユは見ていられなかった。


 疫病の病人にも、王太子の持病にも、祈りは同じ顔で敗れていた。症状という波を撫でるばかりで、水底の石には届かない。


 ミレーユは日ごと痩せていった。信じてきた自分の力が、いちばん要るときに役に立たない。その怖さに、若い聖女は静かに削られていた。祈れば祈るほど、届かなさだけが、はっきりと見えてくる。それは、信仰そのものが足もとから崩れていくような、心細さだった。


 ふと、ミレーユの脳裏を、ひとりの令嬢の面影がよぎった。かつてこの王宮にいた、公爵家の娘。感情のない人形のようだと陰口をたたかれていた、あの人。――けれど、あの人の作る薬だけは、殿下の痛みを、たしかに「遠ざけて」いた。


(あの方は、なにを見ていたのでしょう。わたしの祈りが届かない、その根に――)


 問うてはならぬはずのその名を、ミレーユは胸の奥で、そっとなぞった。


  *


 王宮の議場では、大臣たちが青い顔で言い争っていた。南方熱は、王都の目前まで迫っている。祈りは効かない。薬は、なぜか市場から消えている。誰も、この災いの止め方を知らなかった。


 そのとき、末席の若い書記官が、おそるおそる、進言した。


「……北方辺境ノルデンでは、かの地の薬師が、疫病の広がりを、押しとどめていると聞きます。街を封じ、水を煮沸し、身近な草で薬を作り……。かの者に、救援を、乞うてはいかがかと」


 議場が、しんとなった。かの者――追放された公爵令嬢。王宮がみずから捨てた、あの薬師。誰もが、その名を口にしづらそうにしていた。捨てた手前、頭の下げ方を知らないのだ。


 けれど、迫る病の前では、体面など、贅沢だった。


 こうして、王宮の紋を掲げた使者が、北へ向かって発った。かつて追い出した相手に頭を下げるために。バルテルミーが、それを知ってどんな顔をするかも――知らぬまま。


「稼ぎ時」。同じ三文字を、片や命を値切る口実にし、片やセラフィーナは“やるべき仕事”の合図に変える――今回は、その一語を、悪徳局長と薬屋とで奪い合う回でした。


聖女ミレーユの祈りが、王太子の持病にも疫病にも「同じ顔で」敗れていく。第一部から静かに引いてきた「回復魔法は、原因を治さない」が、ここでようやく牙をむきます。祈りを蔑みたいのではありません。ただ、届かないものには、届く手当てを。


そして次回、追放したはずの薬屋に、王宮のほうから頭を下げに参ります。セラフィーナが、どんな“対価”をふっかけるか。第三十六話「これは、依頼でございますか」。

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― 新着の感想 ―
小悪党、小悪党を除くのに時間をかけて荒らされ付け込まれる王太子、存在感がない国王、被害者でしかない無力な聖女。もやもやする展開がしばらく続きそうですね。 この国に能力があるの主人公しかいなさそうw と…
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