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婚約破棄された悪役令嬢は、辺境で薬屋をはじめます 〜王宮の薬はすべて私が支えていましたが、納品停止いたしますね。お大事になさってください〜  作者: 白崎リラ


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第29話:雪祭りの夜に

ノルデンの雪祭りは、冬の終わりを送る祭りだ。


広場に篝火を焚き、軒に氷の灯籠を吊るす。冬を越せたことを祝い、越せなかった人を悼んで、灯りの数だけ春を呼ぶのだという。


「師匠、早く早く! 灯籠に火が入っちゃう!」


一張羅の外套を着たリタさんに引っ張られて、私は夕暮れの広場に出た。


広場は、人で溢れていた。ゴルドさんの組は氷の彫り物を出し、マーサさんたち織子は祭り半纏で屋台に並び、グレタ婆は長老席で早くも一杯やっている。


「先生! こっちこっち、林檎の温め酒だよ!」


「あ、まじょのみつの先生だー!」


「先生、うちの親父の腰、祭りのあとでいいから診てくれや」


歩く先々で、声がかかる。


一年前のあの夜会で、数百人に囲まれて、誰一人として私を見ていなかったことを、ふと思い出した。


今夜は、囲まれてもいないのに、みんなが私を見て、手を振ってくれる。


(……一年で、ずいぶん遠くまで来たものです)


「――楽しんでいるか、先生」


振り向くと、人垣が自然に割れて、閣下が立っていた。


いつもの略服。けれど今夜は剣を佩いていない。領主が丸腰で歩ける祭り。それがこの街の、静かな自慢なのだという。


「ええ、とても。閣下も、お加減は」


「三回目の波は、もう抜けた。主治医の許可も得ている。……少し、付き合ってもらえるか。見せたいものがある」



連れて行かれたのは、広場を見下ろす教会の鐘楼だった。


狭い螺旋階段を上ると、眼下に祭りの灯が広がった。篝火の赤、氷灯籠の青白、家々の窓の橙。雪の街が、灯りで縫い取られている。


「……きれい」


「ああ。だが、見せたいのはこれではない。――あれだ」


閣下が指したのは、街の外。北の丘だった。


聖樹の丘。


その裾野に、点々と、小さな灯りの列が連なっていた。


「あれは……?」


「山の民の灯籠だ。雪祭りの夜、山番と猟師と薬草採りの家は、聖樹に灯りを供える。山が今年も自分たちを生かしてくれた礼に。……三十年前の乱獲の後、灯りの数はずっと減り続けていたそうだ」


閣下は、静かに続けた。


「今年は、倍になった。保護条約の話が、山の家々まで届いたからだ。『来年の山を、初めて約束してもらえた』と。……あの灯りは、貴女への礼でもある」


丘の灯りは、風に瞬きながら、枯れた巨木をぐるりと囲んでいた。


葉のない聖樹が、灯りの中に、静かに立っている。


弱った患者を、街中で看ているような光景だった。


「……っ」


不意に、目の奥が熱くなって、自分で驚いた。


夜会の冤罪にも、公式謝罪にも動かなかった涙腺が、山の灯りひとつで、こうも簡単に。


「先生?」


「……すみません。なんでも、ありません。ただ……」


ただ、報われたのだと思う。前の世の私が、最後まで貰い損ねたものを、今の私は、灯りの形で貰ってしまった。


「閣下は、ずるい方です。こんなもの、泣かずに見られる薬師がいますか」


「ふ。……すまんな。だが、見せたかった。貴女が何を変えたのか、貴女は自分では数えない人だから。……誰かが、数えて見せる必要がある」


しばらく、二人とも黙って、灯りを見ていた。鐘楼の下から、祭囃子と笑い声が、遠く聞こえる。


「――セラフィーナ」


閣下が、名前を呼んだ。


「春になったら、養蜂場に来る約束だったな」


「ええ。お弁当(リタさん作)も予約済みです」


「ああ。……その時に、話したいことがある」


心の臓が、とくりと音を立てた。


「……今では、だめなのですか?」


「だめだ」


閣下は、前を向いたまま、はっきりと言った。


「今夜のこれは、街と山が貴女に贈ったものだ。ここに俺の話を相乗りさせるのは、…………ずるいだろう。それくらいの分別は、ある」


「……ふふ。なんですか、それは」


「笑うな。これでも、ひと冬考えた」


篝火の照り返しのせいか、閣下の耳が、少し赤かった。熱はとうに引いているはずなので、診察の必要は、ないのだけれど。


「では――春に。お約束ですよ、閣下」


「ああ。約束だ。……ヴァイスでいい。そろそろな」


「では、春に練習しておきます。ヴァイスさま、と」


「さま、も余計だ」


「それは、春の私と、ご相談ください」



鐘楼を降りると、リタさんが温め酒を二杯持って、にやにやと待ち構えていた。


「おかえり、師匠。鐘楼の逢い引きは、どうだった?」


「往診です」


「鐘楼に患者はいないよ」


「……灯りの検品です」


「ふーん? 顔、赤いけど?」


「……温め酒を、いただきます」


弟子の追及をかわしながら受け取った杯の中で、林檎の酒が、丘の灯りを映して揺れた。


春になったら、養蜂場へ行く。その時に、話したいことがある。――たった一冬、待てばいい約束だ。


そう思えるほど、この街の春を、私はもう疑っていなかった。


だから、知らなかったのだ。


その春が、約束より一足早く、南の港から別の足音を連れてくることを。


丘の灯りは、夜半まで、聖樹のまわりで瞬き続けていた。


春に、話したいことがあるそうです。ひと冬考えたそうです。けれどその春は、約束だけを連れてくるわけではないようで。次回、第一部最終話。雪解けと共に、南から――。ブックマークと評価で、春が一日早く来ます。


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