第27話:王都の空席
王都の議会が、医薬局長バルテルミー・クローヴの訴追を可決したのは、春先のことだった。
罪状は、文書偽造、名誉毀損、ならびに偽証の教唆。問われたのは、四名。
――夜会の捏造の件、である。利権の本体には、まだ一人も手が届いていない。
「足りん」
訴追決議の写しを机に置いて、アロイス王太子は言った。
病み上がりの頬は、まだ薄い。けれどその目は、もう、誰かの書いた台本を読み上げるだけの目ではなかった。
「夜会の件は、あの男の罪の一番外側の皮だ。納入価の水増し、検品の形骸化、偽薬の検印、北の山の三十年。……本体に、まだ一本も届いていない」
「殿下。お言葉ですが、夜会の件だけでも官位の剥奪は確実です。なぜ、そこまで」
側近の問いに、王太子は、しばらく黙った。
「……ミレーユに、言われたのだ。『証言を、ご自身で検めましたか』と」
「あの夜から、わたしは検めることにした。報告書も、帳簿も、忠義面の言葉もだ。検めて、知った。あの男の三十年は、祖父の代から、この王宮の薬棚に巣食っていた。誰も検めなかった。わたしは、その総仕上げの駒にされたのだ」
王太子は、決議の写しを指で弾いた。
「外側の皮一枚で満足して見せれば、あの男は中身を抱えて逃げ切る気だ。……逃がすな。会計監査院に、クローヴ商会と関連商会の帳簿の精査を。期間は、三十年遡れ」
「さ、三十年……! 殿下、それは何年がかりの……」
「構わん。それと――」
王太子は、一通の書状を差し出した。封蝋は、北の辺境伯家の鷲。
「ノルデンから、面白いものが届いている。読め」
側近は、書状に目を走らせ――顔色を変えた。
『毒物検品調書(第一次)。シュトラール辺境伯の体内より治療上抽出されたる毒物につき、成分、精製手法、ならびに推定される製造要件を、以下のとおり記す――』
「これは……五年前の、辺境伯暗殺未遂の……!? 体内から抽出した毒を、調書に……そんなことが、できるのですか」
「できる薬師が、一人だけいるらしい」
王太子は、初めて、少しだけ笑った。苦い笑いだった。
「調書によれば、この毒の精製には、東方式の蒸留器と、特定の触媒鉱が要る。……触媒鉱は、輸入の記録が残る品だ。会計監査院の三十年と、この調書の線が、どこかで交われば」
――毒の依頼主が、帳簿の上に浮かぶ。
「殿下。では、訴追の審理は」
「進めさせろ。ただし、急がせるな。審理が長引くほど、監査の時間が稼げる。外側の皮を、ゆっくり剥いている間に、本体を掘る」
側近は、背筋に冷たいものを感じた。
この方は、病から戻って、別人になった。いや――八年間、薬で守られてぬるま湯にいた方が、初めて素面で政治をしているのか。
「……御意。ときに殿下、聖女様の件ですが。教会から苦情が。『聖女が祈祷の務めを減らし、医学校に通うなど前代未聞』と」
「捨て置け。ミレーユの行き先は、わたしが許可した。……それと、あれはもう『王宮の聖具』ではない。一人の学生だ。敬称も、本人の望むように」
*
その頃。当のミレーユは、王都の救護院にいた。
医学校の聴講と、救護院の手伝い。それが今の、彼女の毎日だった。
「ミレーユさん、三番の寝台の坊や、熱が下がらないの。お願いできる?」
「はい、ただいま」
祈りは、今も使う。けれど、使い方を変えた。
熱で眠れない子には、まず白湯と、額の冷たい布。それから症状を看て、医師に正確に伝える。祈りは、痛みで体力が削られる時にだけ、短く。
『祈りを覚えたあなたなら、養生学は半分修めたも同然ですので』
北からの手紙の一行を、ミレーユは何度も読み返した。最初は、慰めだと思った。今は、違うと分かる。あれは正確な診断だった。
祈りで痛みを消すには、痛みを正確に見なければならない。どこが、どんなふうに、どれほど痛むのか。――その目は、養生学の目と、同じものだった。
「ねえ、聖女さま。お祈り、して?」
寝台の女の子が、熱で潤んだ目で言う。
ミレーユは、その額に布を載せ替えてから、答えた。
「お祈りはね、お薬が効いてくるまでの、お留守番なの。……だから、こうしましょう。お薬が頑張ってる間、半分だけ」
小さな光が、灯る。
女の子は、すうっと眠りに落ちた。今夜の薬が効く頃まで、痛みはお留守番だ。
(春になったら――)
北へ行く。あの人に、会いに行く。
謝るためではなく。弟子入りの、面接のために。
ミレーユは、袖をまくって、次の寝台へ向かった。
*
そして、誰も検めない王都の埠頭で。
南方からの貨物船が、一隻、また一隻と、荷を下ろしていた。
船員の幾人かが、妙にだるそうに歩く。額が、薄く汗ばんでいる。検疫官は「長旅の疲れだろう」と、検めずに通した。
王都で唯一、なんでも検める男は、まだ病み上がりの机に向かっている。埠頭までは、目が届かない。
南の港町の「熱病」の噂が、この街に届くのは――もう少し、あとのことだ。
王都も、検める人たちの街に変わり始めました。そして埠頭には、まだ誰も検めない足音。次回は辺境に戻って、リタのはじめてのお使いです。ブックマークと評価、検めなくても嬉しいものは嬉しいです。




