第23話:根治、はじめます
「閣下。本日は、お薬の前にお話があります」
定期診察の日。私は、一枚の紙を診察台に広げた。
「解毒の経過、この半年分をまとめました。緩和は順調です。発作は月に一度あるかないか、左手の痺れは指先だけ。日常には、ほぼ支障がない」
「ああ。貴女のおかげで、五年ぶりにまともな人間をやっている」
「ですが――緩和と根治は、別の治療です」
閣下の眉が、わずかに動いた。
「今のお薬は、毒の働きを抑えて、症状を散らすもの。いわば、毒と上手に同居する処方です。ですが毒そのものは、まだ骨の際に居座っています。放っておけば、お歳を召すごとに、少しずつ盛り返す」
「……それも、聞いている。十六人の医者のうち、正直な数人からな。『一生付き合う毒だ』と」
「ええ。昨年までの私でも、同じ診断をしたでしょう」
私は、二枚目の紙を広げた。
「ですが今は、材料が揃いました。これをご覧ください」
それは、ユキノシタギクの根の検品記録だった。聖樹の丘の、わずかに残った群生から、リタさんが秋に採ってきた最上物。
「この根の精油に、閣下の毒の主成分を分解する働きがあります。試験は済ませました。これを軸にした根治の処方が――組めます」
診察室が、静まった。
「……根治。つまり、毒が、消えると?」
「消えます。ただし」
私は、三枚目の紙を出した。これが本題である。
「二年かかります。そして、楽な治療ではありません」
*
計画表は、容赦のない代物だった。
「根治薬は、毒を骨の際から血へ、いったん引き剥がします。つまり治療のたび、五年前の中毒症状が、軽く戻ります。発熱、疼痛、あの夜の痺れ。月に一度、それを二年間」
「治るために、毒の夜をもう一度、ですか」
「はい。しかも治療の日は、絶対安静。執務は禁止。剣も禁止。……正直に申し上げます。途中でやめれば、毒が暴れて、今より悪くなる恐れもある。始めるなら、二年、完走していただきます」
閣下は、長いこと計画表を見つめていた。
「……ひとつ、聞かせてくれ」
「どうぞ」
「なぜ今、これを出した。緩和で日常は戻っている。危険を冒さずとも、俺は領主をやれている。薬師として、勧める理由は何だ」
いい問いだった。この方は、いつも一番痛いところを正確に突く。
「薬師としての理由は、半分です。お若いうちのほうが、体力的に完走の見込みが高い。材料の最上物が、今年は手に入った。……ですが、残りの半分は」
私は、正直に言うことにした。この方に、嘘やきれいごとは効かない。
「私が、あの毒を許せないからです」
「……」
「五年前、閣下は山を守る法を作ろうとして、毒で止められた。あの毒は、閣下のお身体だけでなく、この街の三十年を蝕んだ仕掛けの一部です。……その毒が閣下の骨の際に居座り続けるのを、私は、薬師として、見過ごしたくありません。一滴残らず、検品して、廃棄処分にしたいんです」
言ってしまってから、少し、職業倫理から外れた発言だったかと思った。
けれど閣下は、笑わなかった。怒りもしなかった。
ただ、静かに右手を伸ばして、計画表を取り、最後の頁の署名欄に――迷いのない字で、名を書いた。
「やろう。二年だ」
「……即断、ですね。発熱と疼痛が月に一度、と申し上げましたが」
「五年やった。慣れている」
それから閣下は、ふと目を上げて、付け加えた。
「それに――二年通えば、その先も、貴女がこの街にいる。そういう計画表だろう、これは」
「っ、これは患者の治療計画であって」
「ふ。冗談だ」
冗談、だそうである。
冗談なら、署名の手元をあんなに嬉しそうにする必要は、ないと思うのですけれど。
*
第一回の治療日は、三日後だった。
領主館の寝室。カイルさんと軍医どのに段取りを叩き込み、解熱と鎮痛の備えを枕元に並べる。
銀の薬匙で、一目盛り。ぴたりと量って、根治薬の一服目を作った。グレタ婆の師匠の匙だ。ごまかしの利かない目盛りが、薬液の中で鈍く光る。
閣下は、それを一息に飲んだ。
「……来たな」
半刻後、予告どおりに熱が上がった。
五年前の夜の再演だ。脂汗、左腕の疼痛。けれど閣下は、うめき声ひとつ立てず、ただ天井を睨んでいた。
「閣下。痛みは我慢比べではありません。辛い時は辛いと仰ってください。鎮痛の加減を間違えますので」
「……む。……では、正直に言うが」
「はい」
「……手持ち無沙汰だ。何か、話をしてくれ」
……この患者は。
仕方がないので、私は枕元で、店の与太話をした。リタさんの九回目の栄養剤自慢。ユリウスさんの雪だるま。魔女の蜜の在庫が、大人の患者にまで所望されて困っていること。
熱に浮かされながら、閣下は時々、低く笑った。
明け方、熱が引いて、閣下は深く眠った。
検脈をして、私は小さく頷く。一回目、完了。あと二十三回。
長い治療になる。けれど、終わりのある長さだ。終わりを作るのが、根治という処方なのだから。
帰り支度をしていると、眠っていたはずの閣下が、低く呟いた。
「……先生。次の治療まで、ひと月か」
「ええ。お加減が戻りましたら、執務へお戻りを。ただし、剣はまだ」
枕の上で、閣下の左手が、ゆっくりと開いて、閉じた。麻痺していたはずの、その手が。
「剣、か」
熱に掠れた声に、聞き逃せない響きがあった。
その手で、この方が何を握ろうとしているのか――私が知るのは、二回目の治療の、翌朝のことだった。
二年計画、署名済みです。あと二十三回。次回、回復していく左手と、軍人の顔のお話。ブックマークと評価は、治療完走の何よりの栄養です。




