第19話:雪崩の朝
年が明けて、ノルデンは本格的な雪に閉ざされた。
その朝は、鐘の音で始まった。
火事でも敵襲でもない、三連打の鐘。山の鐘だ。
「雪崩だ! 北の杣道で雪崩! 木こりの組が、五人吞まれた!」
店に飛び込んできたのは、ゴルドさんだった。
「掘り出しは兵隊さんたちがやってる! けど隣街の医者は、この雪じゃ三日は来れねえ。先生……!」
「行きます。リタさん、青の鞄と、湯たんぽを全部! ユリウスさん、ノエルさんは担架の毛布を。それから誰か、領主館に伝令を――」
「もう走らせた!」
さすがである。
*
現場の杣道は、白い地獄だった。
崩れた雪の斜面に、兵士たちが棒を刺しては掘り、刺しては掘りしている。私が着いたときには、三人が掘り出されていた。
「先生! こっちだ、息はある!」
一人目。若い木こり。意識あり、左脚が嫌な方向に曲がっている。骨折だが、命の危険は薄い。
「添え木と固定を。ユリウスさん、お願いします。教えたとおりに」
「は、はいっ」
二人目。年配の男。意識が朦朧として、声をかけても唸るだけ。体が、氷のように冷たい。
「凍え病です。重度の。――運んで、けれど揺らさないで。それと、絶対に手足をこすらないこと!」
「こ、こすっちゃならんのか!? 温めるのが先だろう!?」
「冷え切った手足の血を急に心の臓へ戻すと、心が止まります。温めるのは、体の真ん中から。順番を間違えると死にます」
三人目は、幸い軽傷。問題は、まだ雪の下の二人だった。
「四人目、いたぞ……! だ、だめだ、息をしてねえ!」
掘り出された男に、駆け寄る。唇は真っ青、呼吸なし。けれど――凍えた体は、まだ死んでいない。
前世の知識が、はっきり言っている。冷たい死者は、温まるまで死者ではない。
「諦めるのは早いです! 胸を押します、交代要員を三人!」
雪の上で、心の臓への圧迫を始める。一、二、三、四。腕が痺れたら兵士と交代し、その間に指示を飛ばす。
「天幕を張って! 湯たんぽを脇と腿の付け根に――直接当てない、布を一枚!」
どれだけ続けたか。
「――ぅ、ごほっ……!」
雪の静寂を破って、咳の音がした。
四人目の胸が、自分の力で上下し始めた。
「い、息を吹き返した……」「すげえ……死んでたのに……」
死んでいません。冷たかっただけです。
その違いを知っているだけで、救える命がある。
「五人目、見つけたぞーっ!」
最後の一人は、運よく木の洞の空気だまりにいた。軽い凍え病だけで、自力で湯を飲めるほどだった。
五人。全員、生きて山を下りた。
*
「――見事だった」
夕刻、救護天幕に閣下が現れた。聞けば、伝令を受けてすぐ、増援の兵と物資を出してくれたのはこの方だという。
「いえ。掘り出した兵士の皆さんと、湯たんぽの手柄です」
「胸を押して死者を呼び戻した、と兵が騒いでいるが」
「呼び戻していません。まだ行っていなかっただけです」
私は、手元の記録を見せた。
「閣下。それより、ご相談が。今日の五人、助かったのは偶然が三つ重なったからです。鐘が早かった。現場が近かった。そして、たまたま私が居た。――三つ目を、偶然にしておきたくないんです」
「……ほう。続けろ」
「雪山の救護の手順を、紙にします。凍え病の温め方、運び方、してはいけないこと。それを兵舎と、木こりの組と、山番の小屋に配りたい。字の読めない方のために、絵入りで」
閣下は、即答した。
「やれ。紙と刷りの費用は領が持つ。……ふ。また『私が居なくても回る仕組み』か。貴女の処方は、いつもそれだな」
「ええ。私の身体は、ひとつしか在庫がありませんので」
*
三日後の昼、店の戸が、遠慮がちに開いた。
入ってきたのは、見覚えのある顔だった。雪の下から四人目に掘り出された、あの男の人。足元はまだ覚束ないが、自分の足で立っている。後ろには、木こりの組の仲間が五人、神妙な顔で並んでいた。
「……礼を言いに来た。あんたが、おれの胸を押してくれたんだってな」
「兵士の皆さんと、交代で、です。お加減は」
「生きてる。……なあ、先生。ひとつ聞いてくれ。おれ、雪の下で、聞こえてたんだ」
男の人は、帽子を握りしめた。
「真っ暗で、寒くて、ああ、これで終わりだなって思ってた。そしたら、上のほうで声がしたんだ。『諦めるのは早いです』って。……ありゃあ、たまげた。死神より先に、薬屋が来た」
組の仲間が、どっと笑った。本人も笑った。笑って、それから、ぐいと目元を拭った。
「うちのには、五つの娘がいる。……ありがとうよ、先生。この通りだ」
六人が、揃って頭を下げた。
「お礼なら、ひとつだけ」
私は、刷り上がったばかりの紙の束を、彼らに差し出した。
「この『救護心得』を、山の小屋に貼ってください。それから、組の皆さんで読み合わせを一度。――次に雪の下で声を聞くのは、私ではなく、あなたたちかもしれませんので」
「……ああ。任せろ。組の名にかけて、覚える」
帰り際、五つの娘さんがいるというその人は、戸口でもう一度振り返って言った。
「先生。あんた、この街に来てくれて、ほんとうによかった」
その一言は、王宮八年分の給金より、ずっと重かった。
*
数日後、店の帳場で、リタさんとユリウスさんが頭を突き合わせていた。
救護手順の下絵作りである。意外なことに、ユリウスさんは絵心があった。眼鏡の貴族の四男が描く「やってはいけない温め方」の棒人間は、妙に味があって、リタさんが笑い転げている。
「師匠、これ、題はどうするの?」
「そうですね……」
少し考えて、私は筆を取った。
『雪山で人を拾ったら――ノルデン救護心得・全七条』
第一条。冷たい人を、諦めないこと。
雪ごもりの章、開幕です。冬の辺境は、薬師の腕の見せどころが続きます。ブックマークと評価は、温かいうちにどうぞ。




