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婚約破棄された悪役令嬢は、辺境で薬屋をはじめます 〜王宮の薬はすべて私が支えていましたが、納品停止いたしますね。お大事になさってください〜  作者: 白崎リラ


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第18話:雪の夜のお茶会

冬至の夜は、リタさんたちが寝静まったあとも、雪が降り続いていた。


「――邪魔をする。診察の予約は、していないが」


戸口の雪を払って入ってきたのは、お得意さま第一号だった。手には酒瓶ではなく、見覚えのある漆塗りの箱。


「王宮府から領主館に、貴女宛ての預かりものだ。正式な写しが出来たそうでな。……ついでに、これは俺からだ」


箱の上に、無造作に置かれたのは、蜂蜜の壺だった。領主館の養蜂場の、今年最後の採れ高だという。


「まあ。では、お茶にしましょう。ちょうど、新しい薬湯の試作がありますので」


「……試作。俺は毒見か」


「お得意さま特典です」



暖炉の前で、閣下は漆塗りの箱の中身――調査委員会の最終報告書の写しを、私が読み終えるのを待っていた。


結論は、簡潔だった。


夜会の断罪は、全面的に冤罪。証言の捏造の中心人物として、王宮医薬局長バルテルミー・クローヴを含む四名を、年明けの議会で正式に訴追する。


「……ようやく、名前が表に出ましたね」


「ああ。だが、訴追内容を見ろ。名誉毀損と文書偽造だけだ。納入価の水増しも、薬草の買い叩きも、まだ立件できていない。――あの男の本丸には、まだ誰も届いていない」


「証拠が、足りませんか」


「金の流れが、巧妙に洗われている。三十年ものの汚れだ、一冬では落ちん。……それに」


閣下は、暖炉の火を見つめた。


「俺の毒の件も、まだ繋がらん。影働きの調べでは、五年前、あの男の商会が東方から『珍しい薬種』を仕入れた記録までは出た。だが、それが毒だった証拠も、矢に塗られた経路も、まだだ」


「……閣下は、確信しておられるのですね。あの白髭だと」


「ああ。理由も、もう見当がついている」


閣下は、薬湯をひとくち飲んだ。


「五年前、俺は領主になったばかりで、最初の大仕事に取りかかっていた。――山の薬草の、領外搬出に税を掛ける法案だ。買い叩きを止めるためのな。法案は、俺が倒れて、流れた」


ぱちり、と薪が爆ぜた。


「……そう、でしたか」


「だから、貴女の『保護条約』を見たとき、笑ったんだ。俺が剣と法で五年かけて出来なかったことを、貴女は薬瓶ひとつと商談で通しやがった」


「閣下の五年があったから、です」


私は、本当のことを言った。


「ギルドの台帳に、閣下の法案の写しが残っていました。私の条文の半分は、あれの引き写しです。……薬と同じですよ。前の処方の記録があるから、次の処方が効くんです」


閣下は、虚を突かれた顔をして、それから、ふいと目を逸らした。


「……その薬湯、もう一杯くれ」


照れ隠しの注文も、お得意さま特典である。



二杯目の薬湯の間、私たちはぽつぽつと、互いの話をした。


診察室では、しない種類の話を。


「閣下は、悔しくないのですか。ご自分を射た犯人が、まだ法の外でぬくぬくと」


「悔しいさ。五年、夜ごと痛むたびに呪った。……だが、近頃は少し違う」


「違う?」


「ああ。あの毒がなければ、俺は貴女の患者第一号になれていない」


「……それは」


「もちろん、本気で言っているわけではない、が」


閣下は、薬湯の湯気の向こうで、少しだけ笑った。


「半分くらいは、本気かもしれん。――で、貴女はどうなんだ。悔しくないのか。謝罪文一枚で、八年と冤罪を呑み込んで」


今度は、私が問われる番だった。


暖炉の火を見ながら、考えた。この方は、嘘やきれいごとを言っても、たぶん気づく。


「……白状しますとね、閣下。あの夜会の晩、私、悔しいより先に『これで死なずに済む』と思ったんです」


「……死なずに?」


「前の……ずっと前に、私は一度、働きすぎて死にかけたことがあります」


死にかけた、ではないのだけれど。それはまだ、言葉にできなかった。


「患者のため、職場のため。断る場所のない仕事を全部抱えて、気づいたら、自分が一番ぼろぼろの患者でした。……王宮の八年は、少しずつ、あの頃に似てきていたんです。誰にも頼まれず、誰にも感謝されず、それでも私がやらねば、と」


「…………」


「ですから、放り出されたとき、怖かったのと同じだけ、ほっとした。我ながら、ひどい診断でしょう? 断罪されて、安堵する患者なんて」


閣下は、長いこと黙っていた。


やがて、低い声が言った。


「……この街に来てからの貴女は、どうだ」


「よく食べて、よく眠って、よく笑っています。弟子が三人に増えて、お得意さまが屋根を直してくれますので」


「そうか。……なら、処方は効いているな」


「ええ。よく効いています」


それきり、どちらも何も言わなかった。


暖炉の火が爆ぜる音と、雪の積もる気配だけの、静かな夜だった。


不思議なものだ。沈黙が、こんなに温かい飲み物だったなんて、私はこの冬まで知らなかった。



帰り際、閣下は戸口で立ち止まり、降りしきる雪を見上げた。


「……春になったら」


「はい?」


「いや。……春になったら、養蜂場を見に来るといい。花の季節は、薬草園の参考になるだろう」


「ええ、喜んで。お弁当を持っていきますね。あ、調理はリタさんに頼みますので、ご安心を」


「……俺は何も言っていないが?」


「目が言っていました」


閣下は笑って、雪の中へ帰っていった。


その晩、私は久しぶりに、前世の夢を見なかった。



――同じ夜。遥か南の、潮の匂いのする港町で。


一軒の船宿の主人が、高熱を出して寝込んだ。


「南方帰りの船員から、もらっちまったかねえ……」


医者は、よくある船熱だと言って、解熱剤を置いていった。


その熱が、よくある熱ではないと、まだ誰も知らない。


第二章、これにて閉幕です。雪の夜のお茶会と、南からの不穏な気配と。年明けから第三章、雪ごもりの章が始まります。ブックマークと評価が、冬を越す何よりの備蓄になります。

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