第17話:特注薬、再開。ただし——
「研修生二名、『栄養剤』の調合に成功しました。十一回目と、十三回目で」
王都への報告書に、私はそう書いた。
ユリウスさんとノエルさんは、抱き合って泣いた。リタさんが「あたしは九回目でできたけどね」と謎の対抗心を燃やしていたのは、見なかったことにする。
これで、殿下の維持薬は王都で作れるようになる。研修の第一目標は達成だ。
そして同じ週、王宮府から、想定どおりの書状が届いた。
『維持薬の安定供給体制が整うまでの間、特注薬の調合をグランヴェル嬢に正式委託したい。条件を提示されたし』
来た。
私はこの一通を、ずっと待っていた。
「――閣下。お知恵を拝借できますか。これは薬学ではなく、商いと政の調合ですので」
*
領主館の執務室で、閣下は私の書いた条件書の草案を、二度読んだ。
「……ふ。は、ははは!」
そして、声を立てて笑った。
「とんでもないことを考える。委託料は相場どおり、か。慎ましいことだ。その代わりに、こちらの条項を呑め、と」
条件書の第三項。そこには、こう書いてある。
『王宮府は、ノルデン産薬草の買い付けについて、以下を保証すること。
一、買い付け価格は、ノルデン薬師ギルドの定める適正価格を下回らないこと。
二、買い付け量は、ギルドの定める年間上限を超えないこと。
三、採取は「根を残し、群生の三割を残す」領法に従うこと。
四、以上に違反した買い付けが確認された場合、特注薬の供給は即時停止する』
「お気づきになりましたか」
「ああ。これは商談の皮を被った、山の保護条約だ」
そのとおり。
宰相の置いていった「独り言」のあと、私はグレタ婆とギルドの台帳を三十年分、洗い直した。
数字は、はっきりしていた。ノルデンの薬草の出荷量は三十年で四倍。買い付け価格は、ほぼ据え置き。聖樹の丘の周辺に至っては、ここ十年、上物の薬草がほとんど育たなくなっている。
採りすぎだ。山が、削られている。
「正面から『乱獲をやめろ』と訴えても、王都は動きません。買い叩きの仕組みは三十年もので、どこかの白髭の懐に深く根を張っていますので。――ですが」
「殿下の薬を人質に取れば、王宮府は呑まざるを得ない、か。……えげつないな、先生?」
「人聞きの悪い。相場どおりの正直な取引を求めているだけです。条文のどこにも、嘘も脅しもございません」
「ああ、そこが一番えげつない」
閣下は笑いながら、ペンを取った。
「領主として連署しよう。これは領法の話でもある。……それにしても」
署名をしながら、閣下はふと、声を落とした。
「貴女は、王太子の薬で王宮と渡り合い、勝ち取るものが自分の名誉でも財でもなく、山の薬草とは。……欲のない」
「欲だらけですよ、私は」
私は、窓の外の白い山並みを見た。
「あの山は、私の店の生命線です。リタさんの代も、その弟子の代も、ずっと。――百年先の在庫の話をしているんです。これ以上の強欲が、ありますか?」
*
条件書は、十日で承認されて戻ってきた。
ただし、王宮府の承認印の隣に、医薬局の所管事項としての副署が要る。副署の欄の名前は――バルテルミー・クローヴ。
「……署名、しましたね。あの局長が」
戻った書面を見て、私は正直、驚いた。
ノエルさんが、王都の事情を教えてくれた。
「断れなかったんだと思います。調査委員会の件で、局長、今すっごく立場が悪いんで……ここで殿下のお薬の供給を妨げたら、それこそ命取りですから。でも……」
「でも?」
「下町の知り合いから、変な噂を聞きました。局長の息のかかった商会が、ここ最近、北部の薬草の買い付け権を、手当たり次第に買い漁ってるって。まるで……駆け込みみたいに」
条約発効は、来春。
つまりこの冬の間は、まだ旧い値段で、旧いやり方で、買えるだけ買える――。
窓の外で、風が唸った。聖樹の丘のほうから吹く、北風だった。
*
「師匠、師匠! 大変、というか、すごいもの来た!」
数日後。リタさんが抱えてきたのは、王宮からの荷だった。
特注薬の委託料、初回分。それと、別便の小さな包み。
包みの中身は、上等な料紙の手紙が一通。
『グランヴェル嬢
特注薬、確かに受け取った。よく効く。よく効くから、なお苦い。
そなたが八年間、私に何を飲ませてくれていたのか、いまさら全部、侍医から聞いた。
礼は言わない。そなたに礼を言う資格を、私はまだ持っていない。
ただ、知らせておく。調査委員会は近く、結論を出す。
私は今度こそ、自分の目で証言を検める。全部だ。
アロイス』
「……殿下からって、ほんと? なんて書いてあるの?」
「『薬が苦い』という、患者さまの苦情です」
「ええー……王太子さまでも、そういうの言うんだ……」
ええ。言うんです。
そして患者が薬の苦さを正直に言えるようになったのは、回復の証拠でもあるので――処方は、このままでいいでしょう。
山の保護条約(という名の商談)、成立です。ただし白髭の駆け込み買いが不穏。次回、章の締めくくりは雪の夜のお茶会です。ブックマークと評価は、百年先まで作者の生命線です。




