君は真朱色①
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「おしっこ行きたい」
「……はぁ」
散々叫んだあげく、今度はそれかガウ。
「まだ全然大丈夫だガウ」
「……行きたい」
もう、ここで何を言っても癇癪を起すので、オイラは黙って置く。
そもそも、この女は何で生身で居られるのだろうガウ。
異空間で生身で居られる事はむしろ、魂の保護という観点で言うと大きなメリットだガウ。
でも、この空間が仮に崩壊した場合、肉体を伴ったまま異空間に放り出されることになるガウ。
その場合、そもまま肉体を保てればいいガウが、そんな保証は全くないガウ。
一番恐れるべきは、肉体が引き裂かれてしまう事ガウ。
そうなると肉体の再生は困難な上に、魂がバラバラになってしまい、とんでもない事になってしまうかもしれないガウ。
それだけは本当に避けたい事態だガウ。
…………。
まさか……。
まさか、この空間を作った人間はそれを想定しているガウ?
……いや、それは流石に考えすぎだガウ。
「ああぁぁああ漏れるぅううう!!」
しかしこの娘、いっつもこうだガウ。
早めにトイレに行けと言っても行かず、こうやって突然尿意を申告して周囲を困らせるガウ。
しかもそれは寝る時も同様で、オイラが来てから既に五回はおねしょをしているガウ。
そして膀胱自体はいっちょ前の物を物を持っているので、後片付けする人が大変なんだガウ。
もうこれは、トイレを我慢する事を楽しんでいるとしか思えないガウ。
「ああああああもうここでするぅううううう!!!!」
「勝手にするガウ。でも、困るのはサン。お前ガウ」
じょぉおおおおおおおおおお!!
……コイツ、マジでやりやがった。
そのパンツをずらすのの、早い事速い事。
「どうなっても知らんガウ」
「………………」
じょろろろろおおおおおおお!!
「…………」
じょじょじょじょじょおおおおおお!!
「…………」
あーあー……。
どんどん足元に広がって、座る場所が無くなって行くガウ。
それは檻の外にも流れて、サンの部屋のラグに染みて……。
……??
あれ、何で尿は外に出れるんだガウ?
サンがそうイメージしているからか、いや、さっきサンが手を出した時は、見えない壁に阻まれていたガウ。
もし内外にサンの意思が介在しているなら、檻だって彼女の意思で取っ払う事が出来るだろうガウ。
と言う事は、この部屋自体がサンの意思の産物で、もしかしてこの檻は全く別の誰かの設置物ガウ?
……全然、分からんガウ。
分からんが、一つ言えることがあるガウ。
「なんか嫌な予感がするガウ。サン、そろそろそれを止めるガウ」
「途中で止めらんないしっ!」
もしかして尿だけが外に出れると言う事は、檻の設計者がそれを想定していないんじゃないだろうか。
そうなるとつまり、この檻は……。
……ズズズ。
!!
外に流れるサンの尿の先端が、何か黒い物に浸食されたガウ。
「サンっ!! すぐに止めるガウ!!」
「うるせー黙れポンデ〇イオン!!」
ズズズズズズズ。
「……え、なにこれ」
いや、どのみちもう手遅れだガウ。
ガギギギギギギギギギッ!
「!? きゃぁあああああ!!」
その黒いのが檻の縁に辿り着いた瞬間、格子全体が軋み始めた。
「何っ!? なにこれぇえええええ!!!!」
「サンっ! 落ち着くガウ!」
この檻は恐らく、サンを守るための物で違いないガウ。
となればワンチャン、本当にワンチャン、この檻自体をサンの魔力で強化できるかもしれない。
「きゃぁああああああああ!! きゃぁああああああぁああ!!!!」
ああダメだこれは。
せっかく強固な魂を持っていても、その精神力が幼稚園児並では宝の持ち腐れガウ。
「……腹を括るガウ」
まだ、ガウリンガル三号になるには早いガウ。
――――――――――
――――――――――
「テルみん待ってっ!」
猛スピードで飛んで行くテルみんを全力で追いかける。
テルみんの行く先の扉が音を立てて開かれ、その先にグングンと進んで行く。
バチクソ早いっ!
だが、全力疾走しているはずなのに疲れは無く、追いていかれそうだと思っても、何故だか離されることは無い。
テルみんはこちらを振り返ることなく、ただひたすら無言で前を目指し――。
「……あっ」
……あ?
「…………」
…………。
「おいっ! 今絶対、入るとこ間違えただろっ!」
「……ちょっとくらい、問題ないにゃ」
本当かなぁ?
だが、どうやらやみくもに進んでいるわけでは無く、何か当てはあって進んでるようだ。
こうやって走ってる間、私は色々な事を考えた。
なぜ私は異空間に囚われてしまったのか。
誰が何の目的でこんなことをしているのか。
他の二人……いや、三人は無事なのか。
そしてブッチャーさんは一体何を知ってたのか。
そこにローレルはどのように関わっているのか。
「なあテルミン! これって実は、逆に誰かが私を守ってくれてる可能性は無いか!?」
「どうだろうにゃ」
なぜ私がそう考えたのかと言うと、普通に私を襲うのであればこんなにまどろっこしい事をせずに一瞬で攫ってしまえばいいだけだ。
しかし何故か、私は謎の空間に囚われている。
これが他者によるものなのか私の中の何かがそうしているのか分からない。
ブッチャーさんのいう事にゃ、私はこの空間で心を強く持たなければいけないらしい。
そして、私がキーでもあると言っていた。
私はその言葉で、これは敵の精神攻撃で私達はそこから逃れようとしているのだと何となく思っていた。
そして、私の中の防衛機構的なものが働いて、それがこうやって目に見える形で具現化しているのではないかとも考えた。
だが、そもそもブッチャーさんのいう事が正しいと言う確証は無い。
であれば、この空間がそもそも敵由来でも自分由来でも無く、それ以外の第三者の誰かが設置した可能性も出て来る。
「行くべき道はそれであってるのか!?」
「だから、わからないにゃ」
「もしこれが私を知っている第三者による可能性があるなら、もう少しよく考えた方がいいんじゃないか!?」
「ああ、猫猫もその考えに思い至ったにゃ?」
と言う事は、テルミンも同じ考えのもとに、この行動をとっているわけなのか?
「結局、三択なんだにゃ。自分の感覚に従って進むか、その逆に進むか。はたまたじっと助けを待つか」
「じゃあ何で逆に進むことを選んだ!?」
「それはキミが逆張りだからにゃ」
!?
「まあキミに一応説明しておくと、ボクはこれが敵の精神攻撃だと考えていて、キミの魂の防衛機構がそれに抗っていると考えたにゃ」
「いやだから、それを最初から言ってほしかったんだがな!」
「そして、これが敵の攻撃であるならば、自分の方へ向かってくるように仕向けるはずにゃ」
……なるほど。
「逆に、もし味方がキミを守っているとするなら、キミの逆張りな性格を踏まえて、直感とは逆に進むように促すはずにゃ」
まあ何というか、言っている事は一応、筋が通っているように思わんでもない。
……だがこの使い魔は重要な事に気づいていない。
「私だったら、こんな事をしている奴の正体が知りたいから、あえて敵の方に進む道を選ぶがな」
「だから分からんって最初っから言ってるにゃ! どうせ何言っても猫猫はそうやって文句を言うんだにゃ!!」
別に文句を言ったつもりは無いのだが、なんか理不尽に怒られた気がする。
「じゃあもう、じっとしてた方が良かったんじゃね? あえて……」
そう言いかけた時、私は背後に一瞬、寒い物を感じた気がした。
「ほら、それだけは無いと思うにゃ」
何だこの感覚は……。
何かに追われてる?
いや、どっちかいうと、追われていると言うより迫ってきているという感覚に近いだろうか。
「どうやら空間が縮んでいるにゃ。これは間違いなく、外部からキミを侵食しようとしてる動きだにゃ」
「お、今回は言い切ったな! で、その心は?」
「……なんとなくにゃ」
駄目だこりゃ!!
「!?」
そんな時だった。
「…………」
テルミンが何個目か分からない引き戸を開けた。
そして、正面に今まで一向に出てこなかった光景が広がっていた。
「ほら! どうだにゃ?」
「ど、どうだって……」
そこは、学校に来て一番最初に目にする物。
靴箱が整然と並んだ、そう……。
「玄関だ」
「ついに来たにゃ」
なんか自信満々だが、ここが終点かはぶっちゃけ分からない。
しかし、この場所が出入り口を示す場所という以上に、ここがこの学校で最後の場所だと言う気がしている。
「さあ、どうするにゃ?」
全面ガラスで出来たドアが二対ある、典型的な学校の玄関。
しかしそのガラス戸の先は、真っ暗で何も分からない。
「どうするって……」
ここまで来て、その先に行かないと言う選択肢は無いだろう。
私は一応、周囲を確認するが、それ以外に選択肢は無いとでも言うように、あるはずの左右の廊下は無く、不自然にも玄関だけが存在する部屋であるようだった。
「おあつらえ向きだなおい」
そう言った私の言葉に、テルミンは反応せずに黙っている。
「行くぞテルミン」
「もっと悩むかと思ったけど、今回は早かったにゃ」
嫌みを言われた気がするが、もう他に選択肢が無いのだから仕方ない。
まあ、戻ると言う選択肢があるにはあるのだが。
私は左右に並んだ靴箱の中心を歩き、ガラス戸に向かって行く。
木製の靴箱のどれにも、誰の靴も入っていない。
そして戸の前に辿り着くと、私は躊躇なくその戸の取っ手に触れる。
冷たくも温かくも無く、それが逆に違和感だった。
私はそこに辿り着いた勢いのまま体重をかける。
考える時間があると、躊躇してしまいそうだったから――
「――だぁっ!?!?」
しかし、私が力を掛けた瞬間、それは一瞬で消失したのだった。




