堪情の月②
私たちが感じた違和感。
今まで何もいなかった周囲の空間に、一瞬だけ何かの気配を感じた。
ほんの一瞬だが、明らかに普通では無い、感じた事の無いような感覚があった。
「もしかして、ローレル殿の聖水のせいではゴザらんか?」
何を言い出すのかと思ったら、急に青色が良く分からない事を口走る。
「ローレルさんの聖水?」
案の定、それを不思議そうにこちらに尋ねて来るブッチャーさん。
「……テルミン? 一応聞くが、その可能性はあるのか?」
私はそれには返さず、自分の使い魔に対してそう質問をした。
「……あるかないかで言えば、あるにゃ」
予想外の答えに、私は驚いて目を丸くする。
「おい、だったらこれはローレルの仕業だって言うのか?」
「あくまで可能性だにゃ。言われてみれば、アレが現れてから、この地域で霊を見なくなった気がするにゃ」
私は霊を見なくなったのは、あくまで魔法少女の力のおかげだと思っていたので、実際に霊が居なくなっていたのには全く気づかなかった。
「いや、だったら流石に、この中の誰か気づくだろ?」
「居ないのはこの付近の限られた一帯だけだガウ」
「使い魔も常に浮遊霊まで監視しているわけではないホエー」
何だよ、本当に使えねぇなコイツ等はよぉ!
「あなたたち、一体何をやったの?」
ブッチャーさんが、かなり怪訝そうな目を私に向けて来る。
「いや、あれはローレルが……」
とは言え、あれをどう説明したものか私には分からない。
説明を丸投げしようと私は使い魔の方を見る。
「……何でや」
しかし、何故か全員が私の方に釘付けになっていた。
「悪いが、私には――」
「避けろっ!」
!!
咄嗟に私は身をかがめる。
何かが私の頭上をかすめたような感覚があった。
「え? 何っ!?」
「すぐにこの場から退避するわよっ!」
そう言って猛スピードでこっちに迫って来たブッチャーさんの巨体に、思わず悲鳴が出そうになる。
そのままブッチャーさんは強引に私の腕を掴むと、猛スピードで私を引っぱって行く。
よく見ると、既にスイクンと黄色の襟首も掴んでいた。
「「グエー」」
「全く、やっぱりあの女、裏切ってたわ!」
「何か知ってるんですかっ!?」
「アイツに嵌められたっ! ワタシ達はおとりよ!」
またその言葉を聞くことになるとは、心底ため息をつきたくなるが、腕を思い切り引っ張られるこの状況でそんな余裕は無かった。
「いいみんな、今から何かが起こると思うけど、絶対に自分を見失わないで。心を強く持つの!」
「一体、何を言ってるんですか!?」
「特に猫猫ちゃん! あたたが今回のキーになるわ!!」
その瞬間、視界がぐにゃりと歪む。
これは、前に経験したことがある感覚だった。
「これ、あのトンネルの時のっ!」
「いい、絶対に助けに行くから、それまで持ちこたえるのよ!!」
「だから、説明してもらわないと――」
「自分の姿を強く思い浮かべてっ――!!」
視界に映る風景がびよーんと伸び切る。
そして、それがぐるぐると渦を巻き始める。
「えっ!? ちょぉおっ!?」
急に腕に感じた力が抜け、それが落下する感覚に変わる。
「うっ!?」
そして、あの時のような猛烈な吐き気に襲われた。
ストン。
しかしそれは急に終り、お尻に固いものを感じる。
平衡感覚が戻るのは一瞬で、自分がタイルの上に尻もちをついているのを理解した。
吐き気も一瞬で吹き飛んで、今はむしろあり得ないくらい健やかな気持ちだった。
周囲は感じた事の無い静寂で、しかし景色には見覚えがあった。
「ここは……学校?」
そこは自分の通う学校の廊下だった。
もしかしたら似ているだけのどこかかもしれないが、何故だか確信があった。
さらに、周囲は不自然なくらい明るいが、はっきりと今は夜だと思える何かを感じるのだ。
私は立ち上がる。
そして、窓の外の不自然な光源に目を移す。
そこには、真っ暗な中にくりぬいたように浮かぶ、世界を飲み込むような大きな月の姿があった。
「な、何だこれ?」
窓から見える景色は不自然で、そこにはあるはずの校庭は無く、地平線まで砂漠のようにまっ平らな地面が続いていた。
そして、最初に目に入った異常な大きさの突きにはクレーターは無く、空は黒いばかりで星も見えない。
何かに似ていると思った。
そして、その既視感は、花札の”ススキに月”だと気づいた。
「なあ、ここが絶対にありえない空間なのは分かるんだが、何で学校なんだ?」
使い魔に話しかけたつもりで、独り言を言う。
そして、この場合の学校に何か意味があるのかを考える。
アニメやゲームのこういうシュチュエーションでは自分の心に最も残っている風景が反映されるのがセオリーだろう。
そして、この中で起こるイベントにはいくつかパターンがある。
先ほどのブッチャーさんの言葉と照らし合わせて、最も可能性があるパターン。
「精神攻撃か?」
過去のトラウマで精神を抉って来る精神攻撃。
化け物に追われるような直接的な物もあるが、言葉的に今回はそちらではないだろう。
いや、両方の可能性もあるが、いずれにせよこういう場合は碌な目に会わないと相場が決まっている。
しかし、それを察しても私の心は枯山水の如く穏やかで、全く恐怖を感じていない。
むしろ、それがかなり気がかりだった。
「猫猫?」
「……何だ?」
こうやって、居るかいないかはっきりしていなかった使い魔に急に話しかけられても驚きもしない。
「お前、普通に出てこれるんだな」
「魔法少女化が解けてたら怪しかったけど、どうやら大丈夫のようだにゃ」
そう言えば、場面的に私の服が学校の制服になっていてもおかしくないが、さっきまでの魔法少女の物だった。
「テルみん。ここが何だかわかるか?」
「うーん。まあ、予想はあるにゃけど……」
あまり頼りにしていたわけではないが、ここは一応聞いておくべきだろう。
「敵の精神攻撃でも始まるんじゃないかにゃ? 過去のトラウマで攻めてくるような」
「本当か?」
「嘘だにゃ」
心を健やかに保てるか心配になって来た。




