青色エレジー③
私はカーテンに近付くと、手をカーテンの裏にそっと差し込み、窓を少しだけ開くと耳を澄ませる。
調子の悪そうな車の音の輪郭がはっきりして、その車が玄関先で止まったのが良く分かった。
しばらくザラついたアイドリング音が聞こえていたが、それが「ガゴゴ」という断末魔のような音を立てて止まった。
静寂が辺りをつつみ、それは車のドアをガチャリと開ける音で終わる。
べいんっ!
靴が砂を踏む音の後、安っぽい、ドアを閉じる音がした。
それはウチにある古い軽トラの音に似ていた。
「……確かなのか?」
私は小声で、スイクンではなく彼女の使い魔に尋ねる。
これはもちろん、それがスイクンの父の物で間違いないかと言う事だ。
「見てみるホエー」
使い魔がふよふよとカーテンに向かって行くと、それをスルリとすり抜ける。
こういう時、非常に便利だ。
「残念ながら、間違いないホエー」
戻って来た使い魔が淡々とそう言う。
残念ながらと言う事は、ようするに間違いないわけだ。
私はスイクンの様子を伺うが、彼女は信じられないと言った表情で、何が起きているのか理解できないようだ。
「なあ、何がまずいんだ?」
何となく察する所はあるが、私は再度、彼女の使い魔に問いかける。
「ワタシの口からはなんとも」
想定通りの答えが返ってきたが、しかし、どうしてもそれをスイクンに尋ねる気にはなれない。
「は? 何だってのよ?」
「しっ!」
私は咄嗟に言葉を発した黄色を咎めてしまい、すぐにマズイ事をしたと気づいたが、黄色は機嫌を損ねた顔こそした物の、特段騒ぐようなことは無かった。
「これはマズいホエー」
「おい、匂わすんなら教えてくれよ」
もちろん、使い魔はそんな私の不満には答えず、気勢を上げながら気色悪い振り子運動を続ける。
「ホエー!! ホエー!!」
本当に気持ちが悪い。
しかし、もしかしたらこれが使い魔の気づかいの可能性がある事に気づき、いまさらながら音を聞くために窓を開けてしまったことに少し後悔をした。
……ピンポーン。
聞き慣れたチャイムの音が奇声を掻い潜って、かすかに聞こえた。
「……あ、その……えっと……」
男の声。
ホエーホエー!!
「……いやえっと……夜分にスンマセン…………です」
ホエーホエー!!
名前を名乗ったようだが、ホエーにかき消されて聞きとれなかった。
「ああえっと! ……あはい……その”海田”です」
海田……。
確かスイクンは最初に”海田ルリ”と名乗っていたような気がする。
「ええとその……ええと、娘が今日……本日お世話になって……いるのでその……ご挨拶に……」
どうやら、彼女の父親で確定のようだ。
そこから少しの間、男の声は聞こえず……。
ホエーホエー!!
……ホエー以外聞こえず。
てかこれ、私たち以外の人間には聞こえてないんだよな?
「うるせぇ……」
「しっ……ヒマワリさんダメっ」
小声だとしても、この時間帯の人の声は想像以上に響く。
「ホエェ……」
そして何故か黄色にそう言われたホエーは、素直に黙った。
なら最初から騒ぐなよ、とも思ったが、あのまま叫び続けたら黄色が耐えかねて発狂するかもしれないとでも思ったのかもしれない。
ガラガラガラ……。
そしてその間に、どうやら母屋の玄関の扉が開いたらしい。
「……海田君」
「あっ……その、ご無沙汰してます」
父の声に続いて、スイクンの父親の声がする。
「まさかとは思ったが……」
「えっとその…………スンマセン……」
どうやら、父とスイ父は知り合いであるようだ。
「言ったはずだよね? 二度とウチの敷居は跨がせないと」
「いやえっとっ……スンマセン……いやでも……その……」
父の低い声に答ようとする、スイ父の歯切れが悪い。
「娘さんのことなら、今夜は僕達が責任を持って面倒を見るから、とりあえず今日は帰って貰って――」
「いっ! いやぁちょっとっ! ちょっと娘の顔だけでも見させてもらえませんか!?」
急に声が大きくなるスイ父。
「海田君。ちょっと静かにして……」
それをすかさず、父が咎める。
私が聞いた事の無いような、冷たい声だった。
「す、スンマセン……」
「こんな時間に急に尋ねて来たのはどういう要件だい? 電話くらい出来ただろう?」
「いやその……えっと……あっ! 携帯止められてて!」
「海田君……」
明らかに嘘っぽいその言葉に対してか、はたまたその声量に対してかは分からないが、再び父はスイ父を嗜めるように名前を呼ぶ。
「ちょっと昼間は用事がありまして……こんな時間にスンマセン」
「娘さんは大丈夫だから。とりあえず今は……」
「待って下さい部長っ! とりあえず娘に合わせて下さいっ!!」
父さんを部長呼びか……。
「…………はぁ」
……頭を抱える父の様子が想像できる。
「落ち着いてくれ海田君。そんな事を大声で叫ばれたら、ご近所さんが誤解するかもしれないだろう?」
「!! うぇあぁあっ!? ……す、スンマセン」
「いいかい海田君? 君は随分前にウチの工場を解雇されたんだ。それはいいかい?」
「えぁはい! ……はい、そうです……」
「そして、キミはその時に、ウチの敷地には二度と立ち入らないと言う誓約書を書いたはずだね? それは覚えてる?」
「ああはいっ! それは覚えてまっ! ……す、スンマセン」
スイクンの手前、こんな事を思うのは申し訳ないが、今の所なんとも頭が悪そうな印象しかない。
「えぇえそれは覚えてます……。でも調べたら、それには法的な拘束力は無いと……ネットで……」
父のため息が、実際には聞こえないが聞こえたような気がした。
「あのねぇ海田君? まず、あれは警察の立会いの元に書いた、ちゃんと効力のある物だ」
「いやぁでもぉ……」
「多分、君が調べたのは……いやもうそれはいいんだよ。僕が言いたいのは……はっきり言うけど、どの面下げて、今、君がここに居るのかと言う事だ」
「そ、それは娘の……」
「いいかい? 娘さんに合わせてくれと言う君の申し出を受ける事を断る事はこちらには出来ない」
「!! だ、だったら早く――」
「だがその場合、警察に立ち会ってもらう事になる」
「!!?!?!? っへぁああっ!?!?」
明らかに”警察”という言葉に反応して、スイ父の声がデカくなる。
「君の娘さんは責任を持って、明日、家まで送り届ける」
「……!! じゃ、じゃあその後、俺の話を――」
「君と話す事は何もない。悪いが警察を呼ばれたくないのなら、早く帰ってくれないか?」
父の語気が、だんだんと強くなる。
「まっ!! 待って下さいぃ!! 娘はもういいので! 話っ!! 話だけ――」
「静かにと言っているのが分からないのか? いいから黙って帰ってくれ」
普段温厚な父にここまで言われるとは、一体スイ父はウチで何をやらかしたのだろうか。
さっきスイ父が父の事を”部長”と呼んでいたと言う事は、スイ父が家で働いていたのは少なくとも十年は前の事だろうと思われる。
「む、娘をっ! 娘をココで雇ってもらえませんか!!」
「スミレさん。警察を呼んで」
「!! ああぁ待ってっ!」
「入るなっ! 来霍! そっち押さえてっ!」
「ま、待って下さいっ!! あ、暴れないからっ! 待って!!」
何かが玄関の引き戸にぶつかって、ガンッというガラスの鳴る大きな音を立てる。
なんか思ったよりも大事になっている。
「あのっ! じゃあ、じゃあこうしましょうっ!」
「頼むから帰ってくれっ! 騒ぎになると君もマズイだろう!?」
「娘はっ! そ、その……恐羅漢の方で……」
ついに、恐羅漢の名前まで出て来た。
「恐羅漢? じゃあウチじゃなく恐羅漢の方に直接言って――」
「娘は、ちょっとちんちくりんかもしれませんが、けっこう可愛いと思うんですよ!」
「? それがどうしたんだ?」
もみ合う音が消え、父はどうやら、突拍子もない事を言い出したスイ父の言葉の先を思案しているようだ。
だが、私にはその言葉の先が、どうにも禄でもない事に続くような気がしてならない。
「その……、恐羅漢って昔、そういうのやってましたよね?」
「??」
「だからその……まだあるなら、娘をエヘヘ……その店でって――」
!!
「!! 待って父さんっ」
「いや大丈夫だ来霍。とりあえずここはマズいから、とりあえず中に――」
「エヘヘ……アイツ小学生くらいに見えません?」
「おいっ、その先を言うな」
「じゃけぇ、そう言う意味の需要もあると思うんスよね。 何なら俺が――」
ガタンッ!!
「!?」
突然隣で物音が聞こえて驚いた。
気が付くと、スイクンが猛スピードで部屋から飛び出して行き、階段を下る音がする。
「スイクンっ!!」
「……ヤバ」
黄色の声を残し、私もそれを追って飛び出す。
「待ってスイクン!!」
やっべスイクンって呼んじゃってる。
スイクンは玄関の扉を開けようとして、鍵が閉まっている事に気づき、外の薄明りで光る引き戸をガチャガチャ鳴らしてそれを開けようとしている。
「お父さんっ!! 止めて!!!!」
そして扉を乱暴に引くなり、そう言って外に飛び出して行く。
マズい!
「!! ルリぃい!!」
「来ちゃだめだっ!!」
「スイクン待ってっ!!」
ダメだ、これは間に合わない。
「お願いお父さん!! みんなに迷惑かけないでぇっ!!」
「!! お前っ!! 父親に対して迷惑とはなんじゃぁあ!!」
「海田っ!! 来霍っ!! 押さえつけろっ!!」
「聞いとったんなら早う出て来んかぁバカタレェ!!!!」
突然、豹変したスイ父を止めようと、兄と父がスイ父に飛び掛かる。
「己斐さんどうしたっ!? 大丈夫か!?」
そして父が危惧した通り、ご近所さんが騒ぎを聞いて駆け付けて来る。
「お父さんっ!!」
「はなせぇえええええ!!!!」
「彩芽っ!! ルリちゃんをっ!!」
「ルリさんっ!! こっちっ!!」
取り押さえられたスイ父の前で立ち止まったスイクンの手を、乱暴に引きながら私はそう叫ぶ。
っ!!
しかし、抵抗があると思って引いたその手は、あっけないほど軽く、引っ張った拍子に二人して後ろに倒れ込む。
「……っ。ご、ゴメン、スイクン」
いや、だからスイクンじゃねぇえって私っ!!
「う……うぐぅ……」
「大丈夫スイクン!? 怪我してない??」
だから(略)
「……さい」
「??」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
…………。
「おいっ!! 一体何が……ってあんた、まさか海田君か!?」
「お嬢ちゃん大丈夫かい!?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「おい誰かっ! 警察に電話っ!!」
「……こりゃぁ。なんとも」
「ルリちゃん落ち着いて? もう大丈夫だから」
「うぅ……ごめんな……ごめ……うわぁああああああああああん!!!!」
「ああ……まったく……ああ……」
「海田君だって?」
野次馬が続々と集まって来る。
そして私は気づく。
そのほとんどが何かを察したように、可哀想な物を見るような目でスイクンの父親を眺めていた。




