ムリアチック・キッス
「どおりゃぁああああああ!!!!」
私は、力いっぱいスイクンを掴み、力の限り引き上げた!
バシャァアアンッ!!
「嘘だろガウっ!?」
「奇跡だニャ!!」
「グェエエエエ!!」
水面から引き抜いたスイクンが、カエルのような声を上げる。
「ナイスですアヤメさんっ!」
「こ、これ……ど、どうすればいいっ!?」
「そのままにして置いて下さい!!」
「な、何だそいつはっ!?」
狼狽える魔王を尻目に、ローレルはこちらに向かって駆け出す。
「ぐ……ぐるじいでゴザル……猫猫殿ぉお゛……」
「あっ!」
私はスイクンの首根っこを掴んでいる事に気づき、慌てて手を放す。
——バシュンッ!!
!?
その瞬間、崩れ落ちたスイクンと私の手の間に、何かが物凄い勢いで通り抜けた。
「何ッ!?」
「そのままって言ったでしょうアヤメっ! でも、結果オーライです!!」
どうやら、魔王のスイクンへの攻撃を、私が手を放した事によって、たまたま回避したようである。
「ゲホゲホゲホっ!! ね、猫猫殿っ!! こ、ここは一体ゲホっ……ゲホゲぐむぅう!?」
「ぶちゅぅうううう!!」
その行動は予測できた。
だから、もうこんな事でツッコんだりはしない!
「クッ! なればもう一度っ!!」
「させないっ!!」
私は、スイクンとローレルと、魔王の間に立ちふさがる。
「あっ! 駄目だにゃ!」
「えっ!?」
バチュゥンッ!!
「痛っ!?」
肩に衝撃を受けたと思ったら、そこが激しく痛み始める。
「今の猫猫は魔力がほぼ空っぽの状態にゃ! だから防御魔法はもちろん、パッシブアーマーも発動しないにゃ!」
何だとっ!?
私は攻撃を受けて咄嗟に抑えた腕を見る。
特に変化は無いように見えたが、何か、そこだけ色が薄くなっているような気がしなくもない。
「なんだ。大したこと無いな」
「魔王も魔力に余裕が無いんだガウ」
「あんまり煽らない方が良いのでは?」
その兄の懸念は、すぐに的中する事になる。
「よかろうっ! だったら勇者が魔力を吸い終わる前に、この空間を終わらせるまでだ!!」
その言葉の通り、魔王は空間の崩壊を加速させる。
地面が揺れ、まるで何かのアトラクションのように目の前が捻じれ、私は思わずよろめいた。
「うぇえっ!? 何だこれ、気持ち悪いっ!」
眩暈がして、私は膝を付く。
周囲の人間も、私と同じように床にはいつくばっていた。
……背後の二人を除いて。
「ローレルっ!! 早くっ!!」
「ぶちゅちゅちゅちゅちゅ!!」
「んぐぅうーーーーーー!!」
こうしている間にも、空間の歪みは激しくなり、私の目には向こうにいる魔王が天井にいるように見えた。
「おえっ!!」
吐き気に耐えかねて私はえづくが、どんなに咳込んでも何も出てこない。
思えば今の私は実体がないはずなので、出るものも無いのかもしれない。
「皆さん! 目を閉じて下さい!」
太田さんと思われる声が聞こえる。
私はそれに従い、目を閉じる。
今、魔王に攻撃されたらなんて考えるが、どちらにせよ今の私に対抗する術は無いだろう。
「うおぉおおあぁあっ!?」
「き……気持ち悪いっ」
「ぶちゅちゅちゅれろれろれろっ!」
聞こえて来る呻き声によると、どうやら、周囲は阿鼻叫喚のようだ。
「グォオオオオッ!! ハハハッ!! ど、どうだウゲェエエエ!!」
「いや、お前も酔ってるんかーい!! おぇえっ!!」
「ゴボッオロロロロロロロ!!」
誰かが、耐えきれずに吐いた。
「ゴクゴクゴクゴク!!」
そしてそれを飲んだ。
……飲んだっ!?
「それはやりすぎホエー!!」
「もう、サンが生き残れるなら何でもいいガウ……」
「ゴクゴクゴクゴク!!」
一体……何が行われているんだ……。
「ぷっはぁ! スイさんの魔力。美味しゅうございましたっ! げぷっ」
「やっぱりお前かローレル! 流石にそれはキモすぎるぞっ!!」
「何勘違いしてるのか知りませんが、私はスイさんの魔力を吸い取っただけですよ。そもそも、スイさんはアヤメと同じ魂の状態ですから、胃の中には何もありません」
そうは言われても、音だけ聞いてるとゲロを飲んでるようにしか聞こえなかったおえっぷっ!
「では、満を持して行きますよっ!!」
「宣言しなくていいから、はよしてくれ!!」
「開けぇーー!! ゴマっ!!」
ローレルに殺意が目覚めた瞬間、床が抜けた。
いや、実際には見てないので、抜けたような感覚があって、それはフリーフォールで落下する時のような浮遊感へと変った。
「どわあぁあああっ!!」
「な、何ニィイイ!?!?」
思わず目を開けると、何かが縦横無尽に視界を横切っているように見えた。
視界が定まると、視界の全てがぐるぐると回転している事に気づいた。
「おいぃいいい! どぉおなってるんだこれぇええ!!」
「魔力がぁあギリギリなのでぇえ! とりあぁあえずポォーータルだけ開きまぁあしたぁああ!!」
「どぉおなるんすかそれぇえ」
「あぁああ吐く吐く吐くぅう!!」
目を閉じていても、まるで洗濯機の中にいるような感覚に常に襲われる。
「我はぁあこんなのぉお認めんぞぉおお!! 認めんぞおおぉぉぉ…ぉ………」
魔王の声が遠ざかり、そして消えて行った。
「そぉろそろぉお!! 現世にぃい着きますよぉおお!!」
「魔王ぉおはぁあどうなったぁああ!?!?」
「元のぉお世界にぃ帰ぇえりまぁぁぁしたぁああ!!」
それを聞けて、とりあえず一安心した。
「ただ!! この後ぉお私たぁちがどこに出ぇるか分っかぁらないのでぇえ!! 備ぇえて下さぁああいぃ!!」
と思ったのもつかの間だった。
「備えるってぇえ何にぃいい!? 何、にぃいい!?」
「気ぃもちの準ぅうんびでぇえすぅうう!!」
「はぁ!? 何てぇえ??」
「気・も・ち・の! じゅ・ん・びっ!!」
「はぁあぁあああ!?!?」
――ズズズズ……。
「うっ!? うぇえぇえっ!?!?」
またしても突然に、今度は肉体が何かに浸食されるような感覚が襲い掛かって来る。
「な、何っ!? なぁんだっ!? こ、これぇえええ゛゛!!」
先ほどまでの不快感を超える不快感。
自分がソーセージの皮だとすると、そこに肉が詰め込まれるような。
何なら、自分が肉側のような異常な感覚だった。
「ろ……ろ……ローレぅ……。あ……あたし……はぁ……」
ローレルからの返事はない。
そもそも、さっきまで聞こえていた絶叫や呻き声すらも聞こえなくなっていた。
「い……いや……嫌だぁあ……」
不快感と不安感で、私は押しつぶされそうだ。
強烈な耳鳴りと圧迫感。
もう、訳が分からないっ!
……っす。
「ふぅう!?」
それも、また突然に終わりを迎えた。
視界は真っ暗。
だが、回っているのは変わりないようだった。
今度はどうなった?
もしかして、現世についた!?
顔にや全身に感じる冷たい圧力。
これが、高い場所からの落下による、空気抵抗によるものだとようやく気付く。
そして埃っぽい臭い。
これに、私は覚えがあった。
私は体を広げ、全身で空気を受け止める。
「テルミンっ!! いるんだろテルミン!!」
「大丈夫かにゃ猫猫」
「ここは空の上か!?」
「多分、そうにゃ」
「なんとか飛べないのか!?」
「ちょっと、無理そうにゃ」
「だったら、どうすればいい!?」
「…………」
「テルミンっ!?」
「なんとも……なんともできないにゃ」
お前が黙った瞬間、そうだろうと思ったよ!!
視界に粒のような光が伸びる。
あれは町明かり。
どうやら、雲の中を抜けたようだ。
姿勢を制御しようとしたが全く上手くいかず、星の奇跡のように町明かりが視界を何度も横切る。
また、気持ち悪くなって来た。
「って、ちょっと待て! 思ったより高度が低くないかっ!?」
「なんとかするにゃ。墜落の瞬間、決死機構を発動させれば……」
「魔力はもう無いんだろ!?」
「……なんとかするにゃ」
コイツとは短い間ではあるが、濃密な時間を一緒に過ごして来た。
だから、分かる。
これはダメな時の反応だ。
「ローーーーレルぅうううう!! 何とかしろぉおおお!!」
聞いているかも分からないそいつに、私は大声で叫び続ける。
「ロォオオレルゥウウウウ!! お前の始めた物語だろぉおおお!!」
自分でも何を言っているか分からないが、他に頼れる当てはないので、必死である。
「ロォレルゥウウウウ!! ロォオオ——」
ふわっとした、急激な減速を感じだ。
どうやら、願ったかいがあったようだ。
「は、はぁぁ……」
私は、安どのため息をつく。
見ると、既に地上はすぐそこ。
眼下に広がる町明かりの規模的に、どうやら県庁所在地のようだった。
いや、そもそも、どこに出るか分からないと言う事は県内とは限らない。
何なら、日本であるかも分からない。
とにかく今はまだ、目が回っているような感覚があり、気分は最悪で何も考えたくない。
一刻も早く、地上で安静にしたい。
目を開けていると吐きそうだったので、目を閉じて時折、薄目で下を確認する。
するとどうやら、ひと際高いビルの屋上に向かって私は降りているようだった。
しばらくすると、そこで手を振る人物が見えて来た。
ヘリポートのように見えるそこは弱い光に照らされており、人物の特定までは至らない。
四隅がチカチカと赤く光るビルに、私はゆっくりと着地した。
「ふわぁあ……助かったぁ……」
背中に冷たいコンクリートを感じる。
そういえば全裸だったが、もはやそれを隠す気力すらなかった。
そもそも、手足が全く動かないほどに疲弊している。
「ふふふ……一番乗りはアヤメさんでしたか」
うっすらと、そんな声が聞こえた。
それは、ローレルの物で間違いなかった。
「他の……他の皆は……」
言いかけて、私は言葉を飲み込む。
どうやら彼女は少し離れた位置にいるようだし、何より今しゃべると胃の中の物が出そうだったからだ。
この感じ、ちゃんと肉体には戻れているみたいだ。
眼前に、誰かの人影が現れた。
やはり視界はうす暗く、誰かまでは判別はつかないが、それはローレルでは無いのは確かで、私以外の生還者だと思われた。
「ごぼろろろっ!!」
べしゃべしゃべしゃっ!!
「うひっ!?」
隣でバケツがぶちまけられたような音がして、思わず体がビクっとなる。
「お疲れさまです。瀬野さん」
「…………へぁあ……」
返事もまともに出来ない状態のお姉さんが、私の脇に着地した。
そして、すぐにぽつぽつと雨が降り出した。
……いや。
「待て……まさかこれ……」
「雨が降ってきましたか」
「ローレル……本当に雨で間違いないよな?」
「? ええ、雨ですよ?」
それを聞いて、体に落ちるこれが誰かの吐瀉物である可能性が無く——」
どばしゃぁあ!!
「ひっ!?」
「あらあら。みなさん大丈夫ですか?」
「さ、最悪の気分だ……」
その声は兄の物だった。
どうやら、兄も無事のようだ。
「彩芽……大丈夫か?」
「お、お兄ちゃんこそ大丈夫?」
兄の物なら全然大丈夫だが、私はあと四名ほどの空中爆撃の恐怖におびえる事となった。
しかし、そうはならずに、他の四人も順次、地上に降り立った。
「酷い目に会いましたねぇ。……はい」
「……元気そうっすね。課長……」
「慣れてますから」
「空が……回っているでゴザル……」
「あ、そのまま寝ておいた方が良いですよー?」
元より、起きる気力など一切残っていなかった。
てか、冷静になったら、ここってビルの上だよな?
いかに高いとはいえ、今は全員、完全に生身だ。
ここまでに誰かに目撃されたりしていないのだろうか?
ローレルに聞いてみるか?
そう思って、なんだかんだローレルに頼ってしまっている自分に苦笑した。
「ロ……」
ローレルの名前を呼ぼうとしたが、ロの次の言葉が出なかった。
もう一度試みるが、か細い呻き声のような物が出るだけだ。
叫び過ぎて、喉を潰してしまったか?
「あらあら、これはいけません」
「あれだけ無茶をしたのですから、当然でしょう。……はい」
おい。
まさかそれは私の事か……。
「彩芽っ! 僕の魔力を!」
「あ。あなたは安静にしてくださいね?」
「でもっ!!」
「仕方ありませんね。私の魔力を猫猫さんに」
「いえ、そのための私なので、お構いなく」
お兄ちゃんと天満さんを遮って、ローレルがこちらにやってくる気配がある。
「い、いや……」
「どう考えても、あなたにそんな余力があるとは思えませんが?」
天満さんがそう言うので、私はどういう意味か考えた。
しかし、彼女の足音はかなりおぼついていないように聞こえ、どうやらローレル自身も相当に危うい状況であるように思えた。
「私はあくまで”化身”ですので、例え魔力を使い切ったとしても何の問題も無いんですよ」
「ま、まあ。それならいいんだが……」
「神様ぁ……俺も魔力切れで死にそ…………あ、やっぱ大丈夫です」
?
今のやり取りに、私は妙な違和感を覚えた。
なぜそんな事をになったのかは、すぐに判明した。
「ろ……ろぉ……」
「しゃべらないで下さい。アヤメ」
「っ……ろぉ……れ……」
ローレル……や……や……。
「……神様も、ゲロって吐くんすね」
「スイちゃんのように、魔力とかじゃなくて?」
「勘弁してほしいでゴザル……」
「うふふ……せっかくご馳走になった晩御飯が、全部出ちゃいました」
彼女の白いブラウスは褐色に汚れ、口元には何かの食べ物の破片と思われる物が光っていた。
「すぐに、楽にして差し上げますからね?」
思えば、初日から私はそうだった。
「や……やっ……やめ……」
ローレルの唇が近づいて来る。
「流石に美人でも、あれはキツいわ」
「やめろっ……ローレr」
ぶちゅっ!
私の魔法少女としての人生は、ゲロに始まりゲロに終わった。




