あなたの月のように
ゆらゆらと水面に浮かぶ月が見えた。
どれだけの時間がたったのか。
いや、そもそも時間など存在するのか。
ただ、こうやって水の流れに身を任せ、ゆられているのが気持ちが良かった。
いつまでも、いつまでも。
漂っていることが、あたたかかった。
たとえ、この身が水に解けて消えてしまっても、それでよいと思えた。
しかし、突然頭上にそれは現れた。
水面に浮かぶ、まん丸な月。
眼前を覆い隠すような大きな月。
それは私を襲ってきそうで、少し怖かった。
この心地の良い私の時間を奪うようで嫌だった。
ただ……。
「スイっ! 気が付いたホエー!?」
…………。
「スイっ! スイっ!! 返事をするホエー!!」
……うるさいなぁ。
「聞こえているホエー!? スイっ!!」
私だけの世界に、現れた月と謎の声。
私の安息地に、土足で踏み込んで来る。
不快だった。
不快と言うより、不安だった。
…………ただ。
ただ……ただ何だか少し、懐かしい感じがした。
「ホエーーーホエーーーーホエーーーーーー!!」
…………。
「ホエーーーホエーーーーホエーーーーーーーーーーーー!!」
……うるさい。
「ホエーーーホエーーーーホ」
「うるさいっ!!」
「!?」
何なんだこの声!!
すごく。
すごく不快だ!!
「スイ!! 気付いたホエェエ!!」
それはさっきも聞いたっ!
「少し静かにしてっ!」
「声が聞こえるホエね!!」
「聞こえてるから静かにしてっ!!」
「ホエーーーー!! ホエェーーーー!!」
「静かにしてって!!」
「嫌だホエーー!! 静かにしないホエェエエエエ!!!!」
あぁああああ!!
もうなんだコイツっ!!
「ホェエエエエエエエエ!!!! ホェエエエエエエエエエ!!!!」
「うるさいうるさいうるさああああい!!」
「ホエェエエエエエエエエエエ!!!!」
本当にうるさいっ!!
そもそもこいつ、どこにいるんだ!?
耳を塞いでも、声が聞こえるような!!
…………耳?
耳ってどこ?
というか、わたしの体は??
…………あれ??
「ホェエエエエエエエ!!!! ホォォエエエエエエエエ!!!!」
待って……。
……いや、そんなことどういいか。
ただこの不快な声を、気にしなければいい。
またゆっくり、深い眠りに着けば――。
「ホォホォオオオエエエエエエエエ!!!! ホォオオオオオオエェエエエエエエエ!!!!」
いや無理だろっ!
あまりにもやかましすぎる!!
お父さんのイビキより。
トイレでえづく音よりも、はるかに不快。
「オホォオオオオエェエエエエ!!!! ホォエェエエエエエエエエ!!!!」
そして、少しだけ変化を付けてくるところがしゃらくさい。
「………………」
「………………」
……あれ?
「……………………」
何故か急に静かになる。
眼前には、大きくて丸い月。
きーんという耳鳴り。
…………。
「…………」
……怖い。
「…………」
……あれ?
なんでだろう。
急に、不安になった。
「……ねえ」
「…………」
怖い。
「ちょ、ちょっと!」
返事はない。
ど、どうしよう……。
「ねぇ!! 返事してよ!!」
「ホエ?」
「えぇ……」
何か、普通に返事が返って来た。
そして、さっきまであんなに不快だった声に、私は安心した。
かなり不本意だが、すごく安心した。
「聞いてほしいホエ」
「…………」
私は、あえて返事を返さずに待つ。
「ここは、スイにとってとても心地がいい場所だと思うホエ」
その声の言う通り、ここは私にとってとても居心地がいい。
お前の声が聞こえてくるまでは、もっと心地が良かったが。
「でも、ここはスイがいるべき場所じゃないホエ」
そう言って来る事は、何となくわかっていた。
「このまま、ここに長くと留まるのは良くないホエ」
しかし、私はここにずっといたいのだ。
「今までスイは、辛いことが多すぎたホエ」
そんなこと、覚えていない。
「でも、今のあなたには大切な仲間ができたホエ」
そんなこと、知らない。
「スイ、あの月を見るホエ」
その月は、まるで私の心の中を照らすように、そこに存在する。
いくら目を逸らしても、まるで追いかけるように、ずっと私の目の前にある。
それを意識すると、私はそれに吸い寄せられるような感覚に見舞われる。
時折、月は波で大きく揺らぎ、その度に私は自分の意思が変わらない事を認識する。
「私はずっと、ここにいたい。どうか、そっとしておいてほしい」
「それは本当かホエ?」
「もう、私から声を掛けたりしない。だから、黙ってほしい」
「本当に、それはあなたの本心ホエ?」
「あの月も、すぐに消して」
「よく考えてホエ。もし、そうなった時の事を」
「くどいよ? 私は今、とても気持ちがいいの。そろそろ、ゆっくりと休ませてほしい」
「思い出してスイ。沢山嫌なことがあって、あなたはずっとそれを我慢していたホエ」
「だから! だからそろそろ休ませてって言ってるの!」
「でも、最近のあなたは生き生きしていたホエ? 猫猫やサンに会って、あなたは変わったホエ」
「もう止めてって言ってるでしょ! そっとしておいてよ!」
「思い出してきたホエ? あなた、お泊り会をあんなに楽しみにしてたじゃないホエ」
「でも、結局辛い目にあったじゃん! だったら、友だちなんて最初から居ない方が良い!」
「じゃあ、あなたはずっと父親に虐げられる生活が続いていた方が良かったホエ?」
「そうは言ってない! もう全部嫌だから、私は楽になりたいの!」
「魔法少女になった時の事を覚えてるホエ? あなた、その時なんて言ったホエ?」
「知らないっ! 魔法少女なんてもう嫌だ!!」
「嘘ホエ。あなた、魔法少女になってからずっと楽しそうだったホエ!」
「それが嘘っ! 私はずっと辛かった!」
「…………」
「魔法少女になる前も後も、ずっと蚊帳の外だった!!」
「…………」
もう……疲れた。
「私は一生、主人公にはなれないの!!」
「……確かに、それはそうかもしれないホエ」
「え……いや、そこ肯定しないでよっ!!」
——ぐらっ……。
!?
ひと際、大きく水面が揺れ、突きの形が崩れる。
「……マズいホエ」
「え?」
何がマズいって?
「どうやら、あなたにはここで安らかにする権利も無いみたいホエ」
「そ、それってどういう……」
——ぐわっ!!
さらに大きく視界が歪む。
今度は水面だけでは無く、体が捻じられるような不快感も同時にあった。
「えっ!? こ、これって……?」
「どうやら、この空間を構築した人物が、この空間を閉じようとしているようだホエ」
と、閉じる?
「そ、そうなると、どうなるの?」
「あなたの存在が、空間と共に消滅するホエ」
「!? しょ……」
消滅!?
「スイ。お願い……思い出すホエ!」
……いや。
「もう、それでいい」
消えて無くなった方が、きっと楽だ。
「違うホエ! 今までのと、今回のこれは違うホエ! このままだとあなたは、空間に押しつぶされたり、ねじ切られたり、きっと壮絶な最後を遂げることになるホエ!!」
「それでいいのっ! もう私に構わないでっ!!」
「これはあなたの考えているような生易しい物じゃないホエ! いつまで続くか分からない地獄のような苦痛を、それを気の遠くなるような長い時間。 それに、消滅って言うのは”魂”の消滅ホエ! あなたの意識は、今後二度と目覚める事は無いホエ!!」
「それで良いって言ってるじゃん!!」
「それじゃ良くないホエ!!」
「もうっ!! 分からず屋!! アヤメ殿もサン殿もっ! みんな分からず屋でゴザルっ!!」
バシャァアアアアンッ!!!!
!?!?
「いたっ!! スイクン!!」
「ね、猫猫殿っ!?」
目の前の水面を大きく泡立てて、猫猫殿の顔が現れた。




