after 37
ハリー・エジャートンは満面の笑みで、リリーとダレンを招き入れてくれた。
ダレンとは学生時代からの親友ということもあり、彼には気安く「よく来たな」と声をかける一方、リリーには「お久しぶりです」と丁寧に微笑んでいた。
ダレンと婚約した時、ハリーには反対されたこともあったが、今ではすっかり二人の結婚を祝福してくれて、こうして屋敷に招かれるほど親しくなっている。
リリーが妊娠した時も、ずっと気にかけてくれた人であり、実は、リリーの妊娠中、ダレンが愛読していた医学書を贈ってくれたのもハリーだった。
「どうだ、ダレン。君は子どもに言いなりの甘々な父親になっているんじゃないのか?ジニーの時もそうだったし」
「否定はしないよ。でも、多くの父親は皆そうだろう」
「まあな、幸せな証拠というやつだ。じゃあ、もう少し大きくなったら、ぜひ、君たちのギルフォードもここに連れて来てくれ。妻も喜ぶ」
そうハリーが言った時、客間の扉が大きく開いた。
リリーよりも少し年上の、目鼻立ちがはっきりした女性が、綺麗な金髪をなびかせながら、扉から入ってくる。
女性は真っ先にダレンへ歩み寄り、「いらっしゃい。久しぶりね」と話しかけ、それからリリーを見やった。
瞳がキラリと輝いたように見えたのは、きっと気のせいではない。
その証拠に、女性は「ようこそ、お越しくださいました」と弾んだ声で言った。
「会えて光栄ですわ」
あまりに熱烈な歓迎に、リリーが少し驚いていると、ハリーが苦笑気味に「気合いが入り過ぎだよ」と制した。
「紹介が遅れたね。彼女は妻のプリシラだ」
「リリー・アルバーンです。本日はお招きいただきありがとうございます。侯爵夫人とお会いできて、私も光栄に思っております」
「侯爵夫人だなんてやめてちょうだい。どうか、私のことはプリシラと呼んで。私もあなたのことを、リリーとお呼びしても?」
突然の申し出だったが、リリーは素直に頷いた。
ダレンの親友の奥方なのだから、リリーとしても仲良くなりたいと思っていた。
「良かった。私、あなたのことはダレンと婚約する前から知っていたのよ」
「それは……」
「ああ、誤解しないで。あなたの噂について言っているわけじゃないの。あんな馬鹿げた噂、私は一切信じていなかったわ。むしろ、あなたにはとても感謝しているの。だから、今日はどうしてもお礼が言いたくて」
「ど、どこかでお会いしましたか?」
「直接はないわね。でも、私、社交界デビューした妹の為に、舞踏会の会場に付き添ったことがあったの。その時にあなたのことを知ったのよ。クレア・ポッターを覚えている?」
リリーは記憶を辿ったが、どうしても思い出すことができなかった。
「……申し訳ありません」
「いいのよ。もう十年以上前の話ですもの。覚えていなくても仕方がないわ。でも、私たち家族は、あなたの親切をずっと忘れていないわ。あなたがクレアにドレスのリボンを貸してくれたおかげで、あの子、意中の男性とダンスができたのだから」
"ダンス"に"リボン"と聞いて、リリーはハッとした。
舞踏会で壁の花になっていた時、ドレスの裾を調整できなくて困っていたご令嬢に、自身のリボンを貸してあげたことを思い出したのだ。
「クレアは私の妹なの。あの子、舞踏会で踊った殿方と結婚したのよ。あなたのおかげね。だから、妹に代わってお礼が言いたいの。あの時は助けてくれて本当にありがとう」
穏やかに微笑まれ、リリーも何だか嬉しくなった。
もちろん、クレアが結婚できたのは、リリーだけの手柄ではなかったけれど、誰かの幸せのきっかけになれたのであれば、素直に嬉しかった。
ーーあの時の記憶は、決して悪いことばかりではなかったもの。
リボンを貸したことで、リリーが転倒してしまった時、助けてくれたのはサイラスだった。
皆が遠巻きにする中、唯一、手を差し伸べてくれたサイラスとの出会いは、今も鮮明に覚えている。
「すごく嬉しそうだね」
ダレンに言われ、リリーは頷いた。
「夫人の……プリシラのお話を聞いて、幸せな記憶を思い出していたのよ」
「それって、もしかして……」
プリシラは一瞬、意味ありげに目を見開いたが、すぐに何でもないように首を振った。
「いえ、何でもないわ。それよりも、ダレンとリリーにプレゼントがあるの。どうか受け取って」
ハリーとプリシラからは結婚祝いとして銀器を贈られていたので、これ以上、何かを貰うのは申し訳ないと思ったが、どうやら出産祝いを兼ねているらしく、美しく加工された歯固めやギルフォードの名が刻印された乳歯入れをプレゼントされた。
最近、何でも口に入れてしまうギルフォードにとって、この歯固めは大変重宝するだろう。
ダレンもリリーも、贈られた品を嬉しそうに眺めた。
「子どもの生涯の繁栄と魔除けを願う品だ。我が家に代々受け継がれている品と同じ意匠で作られている。ぜひ、使ってくれ」
「ハリー、プリシラ、素敵なプレゼントをどうもありがとう。大切に使うよ」
「ええ、きっとギルも喜びます」
ーーそれにしても、さすがウェルズリー侯爵家ね。伝統的な贈り物だけれど、品があって実用的だわ。
リリーが、その細工の細かさに感心していると、ふと隣のプリシラが口元をレース扇子で覆いながら、小声で話しかけてきた。
「ねぇ、リリー。実は、私たちの縁は妹だけじゃないの。私ね、ジェイソンとも知り合いだったのよ」
「え?!そ、そうだったのですか?」
「私の母親と彼の実のお母様が懇意にしていてね、ジェイソンとは小さい頃からの付き合いだったの。彼のお母様が亡くなってからは、疎遠になっていたのだけれど、あなた達が結婚した後、ジェイソンとはとある社交の場で再会したわ。その時、あなたは居なかったけれど」
「そうですね。当時の私は社交界が苦手で、あまり顔を出さなかったものですから」
「あら、それは意外ね。今のあなたからは想像できない。今や、あなたは社交界でも引く手あまたですもの。でも、昔は苦手だったのなら、きっとあなたは物凄く努力したのね。素晴らしいことだわ」
素直な賞賛に、リリーは思わず頬を緩めた。
貴族として、人付き合いを上手くこなしていくのは当然のことだった。
まして、次期公爵の妻ともなれば、社交が苦手などとは口にできない。
だからこそ、リリーは並々ならぬ努力を重ねて、苦手意識を克服してきた。
その努力まで認めてもらえたようで、何とも胸が熱くなった。
「そういえば、あなたにずっと聞いてみたいことがあったの。あなた、ジェイソンから何か素敵なプレゼントを貰わなかった?」
「プレゼントですか?」
ジェイソンから改まって贈り物を貰うことは、婚約中も婚姻中もついぞなかった。
そういうタイプの人ではなかったのだ。
でも、と、リリーはふと思い出して呟いた。
「詩集を……古い詩集を貰いました。愛を詠った詩を沢山綴ったものです」
その瞬間、プリシラは満面の笑みを浮かべた。
「ジェイソンもやるじゃない。私のアドバイスをきちんと理解していたみたいね」
「どういう意味ですか?」
「ジェイソンと再会して間もなく、彼から相談されたのよ。妻に何を贈ったら喜ぶかって。相当悩んでいる様子だったから、私、あなたにとって奥さんがどういう存在か考えて、それを表す物を贈ればいいって言ったの」
「そんなことがあったなんて知りませんでした。彼は何も言っておりませんでしたが、その贈り物があの詩集だったということでしょうか?」
「ええ、十中八九そうね」
あまりに自信満々にプリシラが頷くものだから、リリーはジェイソンから詩集を贈られた意味について考えた。
あの詩集は今も寝室のサイドテーブルに置いてある。
空で言えるくらい何度も読み返した大切な一冊だ。
様々な愛の形を詠った詩集、それが意味することはーー。
「"僕にとって、君は愛そのもの"。ジェイソンはそう言いたかったんじゃないかしら」
プリシラは目を閉じ「ロマンチックだわ」と微笑んだが、彼女の告白がいかにリリーに衝撃を与えたか、きっと気付いていないだろう。
ーーあの時は、何気なく手渡されただけだと思っていた。まさか、あの詩集にそんな意味があったなんて……。でも、そういえば、サイラスも言っていたわ。
詩集に書かれていたメモは、子どもの名前案で、ジェイソンはお腹の子のことを想っていたこと。
リリーが好きな詩から名前を付けようとしていたのは、心からリリーを愛していたからだということ。
それは、リリーがずっと欲しかった答えだった。
リリーの片想いではなく、きちんと愛されていたのだという事実、それに気付けたのは、まず間違いなくサイラスのおかげだった。
ーー私はずっと、ジェイソンは社交的で要領が良い人だと思っていた。だけど、そうじゃなかったんだわ。
適当に「愛している」とでも言えば、当時のリリーはそれだけで十分、喜んだだろうに、ジェイソンは詩集の中に、想いの丈を忍ばせた。
こんな形で愛を伝えるなんて、あまりに不器用すぎる。
でも、その愚直さが何より嬉しかった。
「リリー?」
リリーの頬を流れる涙に気付いたダレンは、心配そうに、床に膝をついて顔を覗き込んできた。
けれど、その涙が悲しみから流れたものではないと、ダレンはすぐに察したようだった。
むしろ、慌てたのはハリーの方で「プリシラ、君は何をしたんだ」と、自身の妻とリリーを交互に見やった。
「ハリー、私達は少し席を外しましょう」
「はぁ?いや、それよりも説明を……」
「もう、本当に野暮な人ね!」
ピシャリと言ってから、プリシラは嫌がるハリーの腕を掴んで、無理やり引きずって行ってしまった。
「彼女は相変わらずだな」
ダレンは苦笑すると、リリーに向き直って「何があったのか聞いても?」と尋ねてきた。
リリーはコクリと頷いて、詩集を貰った経緯を伝えた。
「ジェイソンってね、出逢った頃から、人当たりが良くて、何でもそつなくこなせる人だと思っていたの。でも、実は違ったみたい。私と同じように、すごく不器用な人だった。だからこそ、彼なりに、私に愛を示そうとしてくれていたことがわかって嬉しいの。私にとって、あの詩集がとても大切なのは、きっと詩集そのものがジェイソンの愛を雄弁に語っていたからなんだわ」
「でも」と、リリーは続けた。
「もし、もっと早くそのことに気付けていたら、私たちの関係は違っていたのかもしれない。ジェイソンの死は阻止できないとしても、何かが変わっていたんじゃないかと思うと、少し切ないわ」
リリーが苦しそうに胸を押さえると、ダレンの暖かい手がリリーのそれに重なった。
「ジェイソンはきっと、君に後悔なんてして欲しくないと思うよ。上手に表現できなかっただけで、彼は君のことを愛していたんだ。だから、過去を悔やまず、今を幸せに生きていて欲しいと思うはずだ」
「……ええ、そうよね。今なら、私も素直にそう思えるわ。ありがとう」
リリーが微笑むと、ダレンはリリーの手を労るように撫でてくれた。
ダレンのその優しい手つきを見つめていると、リリーはどうしても尋ねずにはいられなくなった。
「ねぇ、もしかして、あなたも同じように考えたことがあるの?」
少しの沈黙の後に、ダレンは「……そうだよ」と頷いた。
やはりと思う。
リリーはダレンが最初の妻を亡くした時、どれほど苦しんだのか、はっきりとは知らない。
それでも、一言「そうだよ」と頷いたダレンの表情からは、過去を乗り越え、未来へ向かう人特有の強さと優しさが見て取れた。
リリーはどうしようもなく愛おしくなって、ダレンに抱き付いた。
感情がぐちゃぐちゃになって、涙を止めることができなかった。
そんなリリーを、ダレンは優しく抱きしめ返してくれ、落ち着くまで背中をさすってくれたのだった。
泣き止んだ後も、リリーが離れがたく思っているのが伝わったのか、二人はしばらく抱き合ったまま、お互いの体温を感じていた。
ダレンは指先で優しくリリーの涙を拭いながら「それにしても」と穏やかに口を開いた。
「君が大切にしている詩集にそんな意味があったなんてね。いやぁ、嫉妬してしまうな」
リリーはハタとして、抱擁を解いた。
慌てて言い訳しようとすると、ダレンは笑って、それを制した。
「リリー、冗談だよ。嫉妬なんてしていない。君は夫から愛されて当然の人だからね」
「ダレン……ありがとう」
「どういたしまして。それにしても、自分にとってどういう存在かを表現している物を贈るというのは、凄く良いアイディアだね。私も今度の君の誕生日には、そういう物を贈ってもいい?」
「ええ、とっても嬉しいわ。私もあなたの誕生日には絶対にそうする。ギルにも……いえ、あの子が今一番喜ぶのは、レイチェルの指貫だからやめておくわ」
リリーとダレンはひとしきり笑い、やがて静かに見つめ合った。
どちらからともなく顔を近付け、そっと口付けを交わす。
その瞬間、リリーの胸は幸福で満たされた。
様々な愛の形を描いた詩集のように、リリーの三人の夫は、それぞれ違う形で愛を伝えてくれた。
不器用な贈り物で。
リリーへの言葉で。
そして、今こうして寄り添ってくれる温もりで。
そのどれもが、確かにリリーへ向けられた愛だった。




