after 33
「レディー・ジニー」
エイミーは屋敷の庭のさらに奥まった場所にあるサンルームのような建物の中で座り込んでいるジニーに声をかけた。
今までジニーとは顔を合わせる程度の付き合いしかない。
けれど、リリーが大切にしている義娘だからこそ、エイミーは彼女の意思を尊重したかった。
「入っても構いませんか?」
その問いは、ジニーに選択を委ねるためだった。
放っておいて欲しいと思うのであれば、断ればいいのだから。
対して、ジニーは「どうぞ」と言って、エイミーを拒むことはなかった。
エイミーは気付いていなかった。
ジニーは、人と衝突することを何よりも厭う性格だった。
相手を傷付けるくらいなら、自分が我慢する。
そんな少女だった。
もちろん、そんなジニーの内心を、エイミーは知らない。
「どうぞ」と言うことばに従い、そのまま足を踏み入れた。
「ここは、もしかしてアトリエですか?」
室内に漂う油絵の具の匂いと、整頓された画材一式から導き出した問いだった。
ジニーが素直に頷いたので、やはりという気持ちで周囲を見渡す。
室内には、風景画や人物画が所狭しと立てかけられていて、特に多かったのがリリーとジニーの人物画だった。
色彩が豊かで、被写体のことをよく観察して描いたのがわかる。
技巧よりも、描き手の愛情が伝わる絵だった。
「全て子爵がお描きに?」
「はい。父は下手の横好きだと申していますが」
「とんでもない。とても素敵な絵だと思います。被写体への愛情を感じますもの」
ジニーは微笑を浮かべた。
そのまま、一枚の絵画を手に取り、そっと撫でる。
それはリリーの人物画だった。
「父は義母を愛しています。義母の望みは全て叶えてあげたいと思う程に深く。愛情深いことは、素晴らしい素質だと思います。でも……」
「子爵が傷付かないか心配なんですね」
ジニーは涙ぐみながら、小さく頷いた。
「私の母は私が小さい頃に亡くなりました。そのことで、父は苦悩し続けてきました。今ようやく幸せを掴んだのに、また苦しむことになるかもしれないと思うと不憫で仕方がないんです。私だって、義母のことは大好きです。初めて会った時から、ずっと慕っていました。でも、父が辛い思いをするとわかっていて、出産する選択をした義母がどうしても許せないんです」
「……レディー・ジニーは、子爵夫人が流産の経験があることを知っていましたか?」
「え?」
実は、ジニーはリリーと出会う前の出来事については詳しく知らなかった。
リリーの悪評は、社交の場に顔を出すようになって耳にしていたが、リリーの人となりを知るジニーにとっては、理不尽で悪意ある噂に酷く腹を立てていたので、ほとんど聞いていなかったのだ。
「最初の結婚で、夫にすぐに先立たれたとは伺っていましたが……」
「その時、彼女は妊娠していました。でも、悪意ある人のせいで流産してしまった。夫を亡くした上に子どもまで一気に亡くしてしまったのです」
「なんて痛ましい……」
「私もそう思います。でも、一番苦しかったのは本人です。子どもを失った母親は自分を責めます。誰に責められなくても、自分だけは自分を許せなくなる。悲しみ、怒り、後悔、様々な負の感情がない混ぜとなって、母親自身を襲うのです。こればかりは実際に体験した本人でなければ、本当の意味で理解できない苦しみです。私も、そうでした」
「あなたも流産を……?」
「はい。医師からは、初めての妊娠では珍しいことではないから、気を落とすなと言われました。私に非はないとも。それでも、私は、自分を許せません。私にはどうすることもできない事柄だったのだとしても、母親としてできることはあったのではないかと、未だに後悔しています。だから、もし産むという選択肢があるのであれば、私なら何を犠牲にしても産みたいと思います。愛する家族に恨まれたとしても、子どもが成長した時、その隣に居られなくても、それは母からの愛そのものだからです。きっと、子爵夫人も同じ気持ちなのだと思います。子爵はその想いを理解していたのでしょう。だからこそ、例え悲しみに再び襲われるとわかっていても、夫人の選択を尊重したのだと思います。愛した時間はなくなりません。大切な人が亡くなっても、その人から貰った愛は心に残り続けます。それは誰にも奪えない宝物なんです」
エイミーはハラハラと涙を流していたが、それでもなお胸を張って、堂々としていた。
彼女の言ったことは、きっと半分は自分自身に向けたことばだったのだろう。
艶やかな容貌は変わらない。
しかし、その内面はもう別人だった。
リリーに救われ「変わりたい」と願い続けたエイミーは、今や誰かの背中を押せるほど強くなっていた。
「レディー・ジニー、あなたにもいつかわかる日がきます。親は子どもの為なら、何だってできるし、誰よりも強くなれるものなんだと。あなたのご両親はとても強い人です。今、必死に困難に立ち向かおうとしています。あなただってそう。ご両親を間近で見てきたあなたが、決して弱いはずがない。だから、今度はあなたが戦う番です」
ジニーは気圧されたようにエイミーを見つめていた。
今まで、エイミーのような堂々とした女性は周囲に居なかったからだ。
しかし、そこで、ジニーはハタと気付いた。
ーー違う。お父様もお義母様も戦っていた。喪失感と後悔に苛まれながらも、ずっと立ち向かおうとしていた。二人共、強く気高かった。
対して、ジニー自身はどうだろう。
いつも温かい真綿に包まれるようにして育ててもらっていた。
ずっと、彼らの優しさに甘えていただけではないか。
「……私、お義母様に謝ってきます。そして、一緒に頑張りたい、支えたいのだと伝えてきます。それが私なりの戦い方だから。でも……」
「まだ心配ですか?許してくれないと?」
「いいえ。お義母様は優しいから、すぐに許してくれると思うんです。でも、それが、私、とても辛いんです。大嫌いだなんて全く思っていないのに、とても酷いことばを浴びせてしまったから」
シュンと肩を落とすジニーとは対照的に、エイミーはにっこりと微笑んだ。
華やかな美女のエイミーだと、笑みには妙に凄みがあった。
「それなら大丈夫です。昔、とても浅慮で愚かしいことをしてしまった時、私、あなたのお義母様に謝罪したことがあるんです。レディー・ジニーが仰る通り、彼女はすぐに許してくれました。だから、私、申し上げたんです。決して許さないで欲しいと」
「お義母様は、それでどうしたんですか?」
「許さないでいてくれました。これからの私自身の言動で償っていくと誓った私を信じてくれたのです。だから、私、実は今も許されてはいないんですよ?私はむしろ、ありがたいと思っていますけどね。身体だけ成長して、内面は愚かな子どものままだった私が変わろうと努力できたのは、許さないでいてくれたあなたのお義母様のおかげなんですから」
「じゃあ、私も許さないでとお願いしてみます。そうしたら、私たち、お揃いですね」
お互いにクスクスと笑い合う。
そうしていると、まるで姉妹のように見えた。
実はこの二人、そこまで歳は離れていない。
性格も境遇も正反対な二人だからこそ、わかり合えることもあった。
この日を境に、ジニーとエイミーは少しずつ言葉を交わすようになった。
「許さないで同盟」という小さな秘密から、二人の距離は縮まっていったのだった。




