第三話 助け助けられ
トレントから逃げ切る頃には、バイクの速度もだいぶ落ち着いていた。
「ふー、あぶなかったねー」
イリアはわざとらしく息を吐く。
「思ってないだろ。くそ、無駄に焦らされた」
「ごめんごめん。けど、基本はあんな感じで大丈夫なんだよ。逃げ切れるし。まあ、乗り物必須だけどね」
確かにあの加速は凄まじかった。
あれが標準搭載なら、そこまで危険ではないのだろうか。
だが、それでも街の外が十分危険なのは分かった。
「一応あとで討伐依頼、ギルドにお願いしとこう。ちょっと危ないかな」
「イリアならあれを狩れるのか?」
「うん。結構よゆーだよ」
じゃあ、いずれは俺もあんなのを倒せるようになるってことか?
全然想像がつかない。
倒せる倒せないじゃなく、どうやって戦うんだ。
「めっちゃ早い魔物とかいたらやばくないか?」
「いいとこ気づくね。けど、めっちゃ早い魔物は力が弱かったりするんだよ。まあ、魔物の分布とかは分かってるから、そういうのがいる場所は装甲カスタムをするよ。ほら、あの車みたいに」
イリアが指差す方を見ると、そこには無骨な自動車があった。
バイクがあるんだから、自動車もあるだろう。
今さらそこには驚かないが、銀色のフレームが特徴的な車だ。
少し分かってきた。
このバイクもそうだが、銀色の金属こそが、この世界を支える特殊な物質なのかもしれない。
自動車を眺めていると、俺は奇妙なことに気づいた。
俺たちが動いているせいで分かりづらかったが、先ほどからあの車、全く動いていないのだ。
「イリア。あの車、さっきから動いてなくないか?」
「え? そうかなあ?」
イリアは気にも留めない。
俺は気づいた。
イリアは分かっていて流している。
「とぼけてるな? このままだと魔物に襲われるんじゃないか?」
俺から見れば、人が良いイリアがこんな態度を取るのは意外だった。
てっきり、人助けを率先して行う人間だと思っていたからだ。
んー、とイリアは淡々と話し始めた。
「街の外に出るってことは危険はつきもの。自己責任なんだよ。助けた挙句、共倒れなんて意味わからないでしょ? これは暗黙の了解なんだ。それに──」
分からなくは無い。
常識の尺度なんてものは、その地域で異なるだろう。
城郭都市を構えるような世界においてのリスクヘッジとしては納得できる。
「ああやって困ってるふりして、反撃に遭うこともあるんだよ?」
そういうパターンもあるか。
だが、先ほどのトレントが頭をよぎる。
「けど、本当に助けを求めてるかもしれない。行こう」
「ソウマくん、お人好しなんだね」
「別にそういうわけじゃない。ただ、目に入ってしまったんだ」
俺は人助けが趣味な人間ではない。
誰彼構わず気にかけるなんてことはしない。
身に余る助けには手を差し伸べられないのも分かっている。
正直な話、らしくない発想だが、命のやりとりをしたからだろうか──
「寝覚めが悪いってやつ?」
イリアが俺の心を見透かしたかのように言った。
「そういうことになるな」
イリアは大きなため息をつくと、バイクを急旋回させた。
「私の命もソウマくんに救ってもらったものだからねー。今回は特別だよ?」
「ありがとう。ごめん」
バイクは車に向けて真っ直ぐ走る。
車との距離がすぐに縮まっていく。
やはり動いていなかった。
「ソウマくんが強いのは分かるけど、勝てない相手だったらどうする? もしかしたら危険な魔物がそこにいるかもよ?」
「無理そうだったら逃げる。だからイリアは少し離れたところでバイクに乗っててくれ。俺が様子を見る」
そうすれば、最悪イリアだけでも逃げられる。
「ま、現実的な案だね。採用。でも、少しでも変だったらすぐ逃げてね? 置いてくよ?」
「ああ。そうしてくれ」
俺の返答に、イリアは呆れた調子で、
「ちょっとは反論してよー! 一緒に逃げるに決まってるじゃん」
「どっちなんだよ……」
車の側まで来る。
話した通り、イリアには走って辿り着けるぐらいの場所に待機してもらった。
今の俺の足なら造作もない距離だ。
車の側で初老の夫婦が俯いて座り込んでいた。
何が起きてるかは離れていても分かった。
大きな穴に前輪が嵌り、空輪状態になっている。
一応周囲を警戒するが、人が隠れられそうなところはない。
車の中にも影にも怪しい点はなかった。
「こんにちは。手伝いましょうか?」
俺が声をかけると、夫婦は顔をあげ、分かりやすく怯えた。
俺たちが警戒するなら、向こうもそりゃ警戒するか。
だが、その怯えが何よりの証拠だ。
本当に困っているのだろう。
もし困っているふりなら、演技力に負けたことにする。それぐらいの怯えようだった。
「中のものはやるから、命は取らないでくれ」
お爺さんが震えながらそう言う。
抵抗する気はなく、いそいそと車の中に戻ろうとする。
「いえ。何もいりません。というより、車の中に入る方がこちらとしては怖いです」
「じゃあ何が目的なのよ!」
お婆さんが声を荒げた。
「だから手伝うだけですよ。車を持ち上げればいいんですよね?」
「……本当に手伝ってくれるのか?」
「ええ。僕が怖いなら、少し離れていてもらって大丈夫です」
夫婦は俺と車から距離を取る。
その間も、俺から視線を外すことはない。
街の外ってのはどれだけ無法なんだ。
俺は車の様子を見る。
自動車のようではあるが、角張ったデザインから、ほとんど装甲車と言ってもいい。
かなり重そうだ。
少し車体に触れて押してみる。
……俺の力ならなんとかなりそうだ。
穴に入って押し上げてもいいが、それは視界が狭まって少し怖い。
であれば……後ろに引っ張るか。
俺は車の後ろに回り込むと、掴みやすいところを探し、ひょいっと引っ張った。
「なんと!?」
「まあ!?」
夫婦の驚きの声が聞こえた。
まあ、俺自身も驚いている。
空の木箱でも引っ張った気分だった。
そのまま車を、旋回しやすい位置まで移動させる。
「これで出られそうですか? まだ動かした方がいいなら言ってください」
俺が声をかけると、夫婦はヨタヨタと駆け寄ってきた。
「十分じゃ! ありがとう! なんと礼をすれば良いか。待っておれ、今金を払う」
「ありがとう……! 若いのにすごい。きっと魔術師なのね」
「何もいりません。というより、早くここを出発した方がいいです。この先にトレントがいますよ」
「何!? それは早く出た方がいい。けど、本当にいいのか?」
「ええ。互いに急ぎましょう。命あってこそですよ」
お爺さんが懐から一枚の紙を取り出した。
「君のことは忘れん。ザヤに来ることがあれば、是非ここに寄ってくれ。ご馳走する」
「若いのに立派だわ。生きて会いましょう」
そう言って二人は車に乗り込んだ。
ほどなくして、排気パイプから白い煙が吐き出される。
白く立ちのぼるそれは、煙というより湯気に近い。
俺はようやく理解した。これは蒸気だ。
この世界の乗り物は蒸気駆動なのか。
窓からお婆さんが顔を覗かせた。
「本当にありがとう! あなたもどうか無事で!」
そのまま車は出発した。
その後ろ姿を見続けていると、
「なにもらったの?」
「わっ!?」
急に後ろから声がかかり、俺は驚く。
咄嗟に振り向くと、そこにはバイクにまたがるイリアがいた。
エンジン音がないから分からなかったのだ。
「めっちゃ驚くじゃん」
イリアはからかうように笑った。
俺は貰った紙に目を通すが、理解できない文字の羅列と簡単な地図が書かれていた。
そうだ。俺はこの世界の文字が読めない。
「すまん、読めない。何が書いてあるんだ?ぱっと見、案内のようだが」
「文字読めないんだ! 記憶喪失の影響かな?」
イリアは特に気にした様子もなく、俺から紙を取った。
こういうところを気にしないのは本当に助かる。
「ふむふむ。お! これ、ザヤでもかなり有名なレストランだよ。あそこの店主だったのかー」
「行ったことあるのか?」
そう聞くとイリアは少し悲しそうな目をした。
「昔ね。行ったことあるよ」
イリアはそれっきり黙ってしまう。
何かよくないことを聞いたか?
さっきまでの軽い調子が、不自然に途切れる。
空気に耐えかねて、俺は少し早口で返してしまった。
「今度行こう。礼をしてくれるらしい」
イリアは顔をあげて微笑んだ。
「……いいね。実質ソウマくんの奢りだ!」
「そういうことになるのか? ……あっ」
俺は一つ思い出した。
「どうしたの?」
「名乗るのも、名前聞くのも忘れてたな」
あははー、とイリアが笑う。
「きっと覚えてるよ。外でこんなことする人間のこと、忘れないよ」
俺はイリアの後ろに跨りながら聞く。
「イリア。本当は車のこと気になってたんだろ。最初から無視するつもりなら、車を指差さない」
「そういうのって言わない方がいいんだよ。ソウマくん」
イリアのらしくない返しに俺は笑ってしまう。
「あー!笑ったな!」
「いや、笑ってない。さあ出発してくれ。……無茶言って悪かったな」
「全然!結果オーライなら全部問題なし!」
さっぱりしたやつだ。
バイクは蒸気を噴き出すと発進した。
**********
それからまたしばらくバイクで走り続けた。
遠くに目を向ける。
地平線に向かって、太陽が落ちるところだ。
気づけばもう夕方だった。
思考がようやく整理されてきたような気がする。
ここが本当に異世界だとするなら、あれもまた俺の知る太陽と同じなのだろうか。
そんな疑問すら浮かんだ。
同時に好奇心も湧く。
一体この世界はどんな世界なのだろう。
段々と赤く染まる景色を眺めていると、ふと思った。
確か出発したときは昼過ぎだったから、結構な時間が経っている。
数時間はかたい。
「すまん。長いこと運転してもらってるよな」
「気しないで!慣れっこだから。でもおしゃべりしてるとあっという間だね」
言われてみれば、俺たちはずっと何かしら話していたな。
なんなら少しだけ異世界であることすら忘れていた程だ。
少し間があってから、イリアが口を開いた。
「ちょっと気になってたんだけどさ」
息を吸う音が少し聞こえ、
「ソウマくんはどうして助けてくれたの?」
さっきのことか?と思ったが、違うな。
助けてくれた──その言い方からして、イリアのことだろう。
「今更だな。助けるだろ」
「だって私の方が悪かったかもじゃん」
「イリアが悪いやつだったら、俺に逃げろなんて言わないだろ」
「ま、それもそうかー」
イリアは納得しているようなしていないような声で答える。
「どうであれ、死ぬのはよくない」
妙な間が空いた。
前からの声が少しだけ小さくなった。
「命あってこそ、か」
ん?その台詞どこかで聞いたな。
というか俺が老夫婦に喋ったことだ。
「おい、聞いてたのか!」
「聞こえちゃったんだよー」
盗み聞きしておいて、引用するのはどうなんだ。
なんか恥ずかしくなってきた。
俺は誤魔化すように咳払いをすると、
「なんにせよ、俺としては、助けた女が悪いやつじゃなくてよかったよ」
初めてイリアの名前を聞いた時を思い出す。
確かそんなことを言っていた気がしたのだ。
引用には引用を、だ。
「やり返しのつもり?てか、それを言うなら私もそうだよ!」
「俺が悪いやつじゃないとでも?」
俺は結構得体の知れないやつだと思うけどな。
「うん。私にとってソウマくんは良い人だよ。理由は色々あるけど、命の恩人なのは大きいよ」
イリアは考えるように一呼吸置くと、
「けど、ソウマくん、よく私に付いてきてくれたよね?」
「どういう意味だ?」
これに関しては本当に言葉の意味が分からない。
「私って悪いやつじゃないにしろ、端から見たらけっこーやばくない?」
「まあ……やばいか。強いし、銃持ってるし、不法侵入だしな」
うぐ……とイリアが声を漏らす。
俺は続ける。
「けど……イリアしか頼れないし──」
そう言いかけてから、少し違う気がした。
頼れる相手が他にいるなら、そっちでよかったのかといえば、多分そうでもない。
俺は一瞬の思案の後、
「……俺もイリアを良い人だと思ってる。あと、話していて楽しいよ」
イリアはぱっと声を上げる。
「私も! ソウマくん、記憶なくて、強くて、なんか変だけど、私も楽しい!」
「それはよかったよ」
「おんなじ気持ちだね!」
「気恥ずかしいセリフだなあ」
「嬉しいことじゃん!」
バイクの上、俺たちの会話はまたくだらないものに戻る。
右も左も分からない。
いつ詰んでもおかしくない状況だった。
そんな中、最初に出会ったのがイリアで本当によかった。




