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『灰燼の世界で、俺の白銀(アウラ)だけが消えない』 ──東方の刀『不知火』で切り拓く夜天の夜明け──  作者: 柊 篝


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第26話:黄昏の砦と、戦士たちの祝杯

天空を閉ざしていた鉛色の灰雲が真っ二つに割れ、降り注いだ奇跡の陽光。

十二灰将第12将カリグスの消滅とともに、鉄鋼砦を襲った史上最大の防衛戦は幕を下ろした。

瓦礫の広がる中庭で交わされる、生還の涙と確かな抱擁。

「ありがとう……! 俺たちの砦を守ってくれて、本当にありがとう……!」

守備兵たちの熱い感謝、そして深手を負いながらも一命をとりとめた十星天刃第9席カインとの語らい。

夕暮れの茜色に染まる砦で、過酷な死闘を潜り抜けた戦士たちの、ささやかであたたかな祝杯が交わされる──!

 ぽかぽかと、肌を撫でる熱があった。

 それは、クロードの纏う猛烈な黒炎の熱気でもなければ、カリグスが放っていた肌を焼き焦がすような超重力の摩擦熱でもない。

 どこまでも柔らかく、どこまでも慈悲深い──天から降り注ぐ、本物の太陽の光。

「あたたかい……ですね」

 崩れ落ちた第二城門の瓦礫に腰を下ろし、カナタは空を見上げてぽつりと呟いた。

 全身の筋肉が熱い鉛を流し込まれたかのように軋み、指先ひとつ動かすのすら億劫なほどの疲労感が全身を支配している。丹田の奥底にあった純白の火種も、今は小さく静かに灯るのみとなっていた。

 けれど、見上げる頭上には、この地を呪いのように覆い尽くしていた鉛色の灰雲が嘘のように消え去り、吸い込まれそうなほど澄み切った青空がどこまでも広がっていた。

「ふむ……死灰の根源が断たれたのじゃ。空が晴れるのも道理よな」

 カナタの膝の上で、ふかふかの白い毛玉が小さく丸まり、長いため息を吐き出した。

 全霊の神気を使い果たしたコハクである。

 かつての威厳ある九尾の幻影は影を潜め、今やすっかり子猫ほどの愛らしい手のひらサイズに戻っていた。黄金の瞳をトロンと細め、カナタの太ももに顎を乗せて毛繕いをしている。

「妾も今回は骨が折れたわい。あの銀髪の小僧……妾の縛鎖を力づくで引きちぎろうとしおってからに。小童、後で極上の油揚げと甘味を沢山献上せねば許さんぞ」

「あはは……善処します、コハク」

 カナタは苦笑しながら、小さな白狐の頭をそっと撫でた。指先に触れる柔らかい毛並みが、戦いで強張っていた心を優しく解きほぐしてくれる。

 少し離れた中庭の一角では、エレナが額にびっしりと汗を浮かべながら、壁の瓦礫に横たえられたカインへ必死の治療を施していた。

「波立つ生命よ、痛みを鎮め、肉を紡ぎ給え──『天恵の水療陣(アクア・ヒーリング・サークル)』……!」

 エレナが両手で構えた『医療用短杖(ペンシル・ワンド)』の切っ先から、淡い青緑色の清らかな光が溢れ出し、カインの胸元を包み込んでいく。

 超重力大剣によって深く切り裂かれ、骨まで達していた凄惨な裂傷。

 だが、エレナの注ぎ込む渾身の治癒魔力と、カイン自身の強靭な竜人の生命力が共鳴し、傷口がジュウジュウと白い蒸気を噴き上げながらみるみるうちに塞がっていった。

「ハァッ……ハァッ……! よ、よかった……! 傷口の癒合、完了しました……! 心拍、血圧ともに安定……もう大丈夫です……!」

 エレナが疲れたようにその場にへたり込んだ。

 特注の魔導ローブは泥と煤で汚れ、自身も重傷を負っていたというのに、エレナは安堵のあまり大粒の涙をポロポロと零しながら微笑んでいた。

「……感謝するよ、エレナ殿」

 掠れた、けれど力強い声が響いた。

 胸元に分厚い清潔な包帯を幾重にも巻かれたカインが、ゆっくりと身を起こしたのだ。

 頭部の黄金の角はすっかり元の小さな突起へと収まり、碧眼の瞳孔も穏やかな人間の丸みを取り戻している。純白と群青の軍服を肩から羽織り、カインは痛む胸元を片手で押さえながら、静かに立ち上がった。

 その足取りは、まだ覚束ない。

 しかし青年騎士は、誰の手も借りず、瓦礫を踏み締めて真っ直ぐにカナタの元へと歩み寄ってきた。

「カインさん……! まだ立っちゃ駄目です、身体が……!」

 カナタが慌てて立ち上がろうとすると、カインは静かに首を横に振ってそれを制した。

「座ったままでいいよ、カナタ君」

 カインはカナタの目の前で足を止めると、その端整な顔を僅かに綻ばせ、真摯な碧眼で少年を見つめた。

「君に、礼を言わせてほしい。……僕の命を救ってくれたこと。そして、この砦のすべてを、背負って護り抜いてくれたことを」

「そ、そんな……! 僕なんて、皆さんが繋いでくれた道に飛び込んだだけです! カインさんが最初にあの巨大な竜を撃ち落としてくれなければ、僕たち全員、最初のブレスで消し炭になっていました!」

 カナタが両手を振って必死に弁明する。

 だが、カインは小さく笑い、ゆっくりと己の右手を差し出した。

「謙虚なところも君の美徳だが、自分の偉業を否定してはいけないよ。あの十二灰将を、十星天刃すら敵わなかった本物の天災を、君のその太刀筋が真っ向から両断したんだ。……あんなに美しく、澄み切った白銀の輝きを、僕は生まれて初めて見た」

 カインの手の平には、戦士としての固いタコと、淡い黄金の竜鱗の名残があった。

「ありがとう、カナタ君。十星天刃の第9席としてではなく──カイン・アルヴァレストという一人の男として、君に心からの敬意を。……君は、僕の命の恩人であり、最高の友だ」

「カインさん……」

 カナタの胸の奥が、熱いもので満たされた。

 身分も、種族も、騎士団の階級すらも遥か雲の上の存在。王都の誰もが憧れる若き英雄が、一介の新人である自分を、対等な「友」として認めてくれている。

 カナタは姿勢を正し、差し出されたその大きな手を、両手でしっかりと握り返した。

「はい……! ありがとうございます、カインさん!」

 二人の手が固く結ばれた瞬間、中庭に暖かな風が吹き抜けた。

「──カナタさんッッ!!!!」

 その時、内郭の地下通路の扉が勢いよく開け放たれ、叫び声とともに数人の人影が駆け寄ってきた。

 先頭を走ってきたのは、右腕を三角巾で吊った若き守備兵、リックだった。

 その後ろから、初老の軍医バートンや、松葉杖をついた守備兵たちが続々と姿を現す。

 彼らは中庭に広がる青空を仰ぎ見て呆然と立ち尽くし、やがて瓦礫の真ん中に立つカナタたちを見つけると、堰を切ったように駆け寄ってきた。

「カナタさん……! カナタさんッ!」

 リックはカナタの前に辿り着くや否や、その場に膝から崩れ落ち、カナタの腰元にすがるようにして号泣した。

「勝ったんだな……!? 本当に……あの化け物どもを、全部追い払ってくれたんだなッ!?」

「リ、リックさん……!」

「俺たちの砦が……俺の故郷が、守られたんだ……! あんたが……あんたが抜刀して、あの銀髪の化け物を真っ二つにした光が、地下にまで届いたんだよ……! ありがとう……! 本当に、本当にありがとう……ッ!」

 リックの後ろで、軍医バートンもまた、深く刻まれた皺に涙の筋を光らせながら、直立不動の姿勢で深々と頭を下げた。

「王国軍医として、そしてこの鉄鋼砦に生きる一人の人間として、夜天守護騎士団の皆様に最大の感謝と敬意を。……我々はあの鉛色の空の下で、いつ死ぬとも知れぬ恐怖に怯えながら戦いました。あの太陽を……青空を再び拝める時が来ようとは、夢にも思いませんでした……!」

「うおおおおおぉぉぉぉッッ!!」

「助かったんだ……! 俺たちは生き残ったんだッ!!」

「夜天守護騎士団万歳ッ! 白銀の剣士万歳ッッ!!」

 砦のあちこちから、生き残った数百人の守備兵たちの大歓声が沸き起こった。

 互いの肩を抱き合い、瓦礫の上に突っ伏して涙を流し、武器を天へと突き上げて勝利を叫ぶ兵士たち。

 カナタは、四方八方から注がれる温かな感謝の眼差しに顔を真っ赤に染めながら、何度も何度も頭を下げ返した。

「あ、あの……! 僕だけじゃありません! クロードさんも、カインさんも、小隊の皆も、そして砦を守るために戦ってくれたリックさんたち全員の力です……!」

 必死に手を振るカナタの初々しい姿に、兵士たちから温かな笑い声が零れ落ちる。

「──おいおいおい! いつまで湿っぽい面してやがるんだ!!」

 ドガァァァンッ! と地面を揺らすような怒号が響き渡った。

 振り向けば、砦の地下貯蔵庫の方向から、人間三人がかりでも抱えきれないような巨大な樫の木の酒樽を、たった一人で肩に担いだ大男が歩み寄ってきていた。

 クロードである。

 その瞳には微塵の疲労の色もなく、口元に豪快な笑みを浮かべた隊長は、担いでいた巨大な酒樽を中庭の中央へと無造作に叩き落とした。

 ズゥゥゥンッ! と石畳が軋む。

「クロード隊長、それは……!?」

 バートン軍医が目を丸くすると、クロードはニヤリと八重歯を覗かせた。

「砦の備蓄庫の奥に眠ってた、十年物の特製黒麦酒だ! 生き残ったんだ! 空も晴れた! 十二灰将をぶちのめしたってのによォ、祝杯も挙げねえで何が戦士だッ! 怪我人だろうが何だろうが、全員ジョッキ持って集まりやがれェッ!!」

「オオオオオォォォォッッ!!」

 兵士たちの野太い歓声が、砦を揺るがした。

 空が、ゆっくりと茜色に染まり始めていた。

 青空から黄昏へ。

 紫と橙が美しく混ざり合う夕暮れのグラデーションが、崩れた城壁や瓦礫の山を優しく包み込み、まるで長い戦いを労うかのように黄金の光を投げかけている。

 中庭の広場には、瓦礫の木材を集めて巨大な焚き火がいくつも焚かれた。

 パチパチと爆ぜる火の粉。

 立ち昇る煙に乗って、砦の備蓄庫から運び出された干し肉や保存ソーセージ、岩塩を振った巨大な猪肉が直火で炙られ、香ばしい油の匂いが中庭いっぱいに広がっていく。

「うみゃあぁぁぁぁぁぁぁっっ!! お肉! お肉が焼けたにゃーっ!!」

 全身を包帯だらけにしたフェリが、松葉杖を放り投げて焚き火の前に飛びついていた。

 青いショートヘアを弾ませ、青い三角耳をピンと天へ突っ立たせながら、太い青い尻尾をちぎれんばかりに左右へぶんぶんと振っている。

 両手に持った特大の串焼き肉を、熱狂的な勢いでガツガツと頬張る。

「ハフッ、ハフッ……じゅわ〜って肉汁が出るにゃ! 生きててよかったにゃーっ! エレナ、おかわり! おかわりあるかにゃ!?」

「もう、フェリちゃんったら! 怪我人なんですから、落ち着いて食べなさい!」

 エレナが苦笑しながら、木皿に乗せた焼き立てのソーセージをフェリの前へと差し出す。

 エレナのその目元には優しい母のような温もりが宿っていた。

「……フェリ、喉に詰まらせる。スープ、飲むといい」

 その隣で、シエルが素焼きの器に入った温かな野菜スープを差し出した。

 包帯を巻かれたシエルの長いエルフ耳が、黄昏の穏やかな風に吹かれてピクッ、ピクピクと心地よさそうに揺れている。

 いつもは冷徹な斥候の双眸が、今は焚き火の炎を映して柔らかく細められていた。

「……こんなに静かな夕暮れ、初めて。風に……死の灰の匂いが、ひとつもしない」

「ふん! 妾の胃袋にも、その肉を寄越すがよい!」

 カナタの肩の上に乗ったコハクが、身を乗り出してフェリの串焼き肉を指差した。

「神気を使い果たしたのじゃ、極上の栄養を補給せねば元の麗しき姿に戻れぬわ! ほれ小童、肉を細かく裂いて妾の口へと運べ!」

「にゃんだとー!? この毛玉狐、さっきから威張り腐ってるにゃ! 肉は戦った者の特権にゃ!」

「誰が毛玉じゃ! あの時、妾の縛鎖がなければ貴様ら全員ミンチになっておったわ!」

「キーッ! 耳を引っ張ってやるにゃ!」

「やめるのじゃ、無礼者めがーっ!」

 ギャアギャアと騒ぎ立てるフェリとコハクの掛け合いに、周囲の迅雷騎兵団や守備兵たちからドッと大きな笑い声が沸き起こる。

 カナタはその様子を眺めながら、思わず吹き出してしまった。

 過酷極まりない死闘の直後だというのに、ここにあるのはどこまでも温かく、賑やかで、かけがえのない日常の空気だった。

「どうだ、カナタ。悪くねえ景色だろ」

 隣に腰を下ろしたクロードが、巨大な木製ジョッキをカナタのジョッキへとガチンッ! と音を立ててぶつけてきた。

 中から泡立つ琥珀色の黒麦酒が飛び散る。

「はい……本当に、綺麗です」

 カナタはジョッキを口に運び、苦味と甘みが混ざり合った冷たい酒を喉へと流し込んだ。

 熱を持った五臓六腑に、麦酒の冷たさが染み渡っていく。

「僕……故郷の村が死灰に呑まれた時、温かな日常はもう二度とやってこないと思っていました。……でも、違ったんですね。戦えば……諦めずに剣を振れば、温かな日常は取り戻せるんですね」

「当たり前だ」

 クロードはジョッキの酒を一息に煽り、豪快に唇を拭った。

 その瞳が、弟子の横顔を誇らしげに見つめる。

「俺たちが夜天の黒衣を纏うのはな、暗闇に怯えるためじゃねえ。いつかあの日差しを、誰もが当たり前に浴びられる世界を取り戻すためだ。……お前の一閃は、その最初の一歩を刻み込んだんだよ」

 その言葉に、カナタは深く、噛み締めるように頷いた。

 やがて、夕暮れの茜色は夜の帳へと溶け込み、空には満天の星々が瞬き始めた。

 死灰の雲に閉ざされていた過去には決して見ることのできなかった、無数の銀貨を散りばめたような本物の夜天の星空。

 戦士たちの歌声と笑い声が、星空の下へとどこまでも響き渡っていく。

 その時だった。

 ピキィィィィン……!

 澄み渡る夜空の彼方から、青白い光の尾を引いて飛来する影があった。

 空気を切り裂く澄んだ羽音。

 光を放ちながら中庭へと舞い降りてきたのは、純白の魔導光で編まれた一羽の「伝令鳥」だった。

 聖王都の最高中枢からしか放たれることのない、最高優先度の緊急信書を運ぶ魔導生物。

「……ん?」

 クロードがジョッキを置き、太い腕を差し出した。

 伝令鳥はクロードの腕へと止まると、その嘴から黄金の星の刻印が施された一本の巻物をポロリと落とし、そのまま光の粒子となって夜風に溶け去った。

「十星天刃の直轄印……聖王都からの親書か」

 カインが碧眼を細め、巻物を見つめた。

 中庭の喧騒が、僅かに静まる。

 クロードは無造作に封蝋を親指で弾き割り、中に入っていた羊皮紙を広げた。

 そこに並ぶ流麗な文字を一読した瞬間──クロードの太い眉が跳ね上がり、口元に獰猛な、けれどこれ以上なく愉快そうな笑みが浮かび上がった。

「おい、カナタ。第7小隊全員……それと、カイン」

 クロードが羊皮紙をバサリと巻き直すと、焚き火を囲む仲間たちを見回した。

「聖王都への凱旋命令だ。……総隊長殿が、直々にてめえら全員をお呼び出しだそうだ」

「えっ……!?」

 カナタが目を丸くした。

「そ、総隊長……? 夜天守護騎士団の、トップの……?」

「ああ、そうだ」

 カインが苦笑混じりに頷いた。

「十星天刃の頂点──第1席、ユリアス総隊長だよ。……十二灰将を討伐したとなれば、聖王都中がひっくり返る大騒ぎだ。間違いなく、歴史的な凱旋式典になるね」

「第1席……王国最強の騎士……」

 カナタの喉が、ゴクリと鳴った。

 どんな厳格で、どれほど恐ろしい威厳を持った大英雄なのだろうか。

 満天の星空の下、戦士たちの物語は、鉄鋼砦の死闘から──栄光と未知の待つ聖王都の凱旋へと、新たな幕を開けようとしていた。

第26話をお読みいただき、本当にありがとうございました!

十二灰将カリグスを討伐し、鉄鋼砦に何十年ぶりかに戻ってきた奇跡の青空と太陽の光!

死線を共に潜り抜けたリックやバートンたち守備兵からの涙の感謝、そして十星天刃第9席カインとの種族を超えた熱い友情の握手が交わされました。

黄昏に染まる砦で囲む焚き火と、黒麦酒に肉の宴!

フェリとコハクの微笑ましいやり取りや、クロードの師としての温かな言葉に、張り詰めていた心がじんわりと温まります。

そしてラストには、聖王都からの緊急凱旋命令!

十星天刃の頂点、第1席ユリアス総隊長からの直々の呼び出しが下されました!

次回、第27話もどうぞよろしくお願いいたします。

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