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『灰燼の世界で、俺の白銀(アウラ)だけが消えない』 ──東方の刀『不知火』で切り拓く夜天の夜明け──  作者: 柊 篝


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第14話:嵐の前の静けさと、白狐の悪寒

第二城門を揺るがした装甲オーガ型を討ち果たし、三千の灰燼種を退けた鉄鋼砦!

訪れた束の間の静寂の中、命を救われた少年兵リックや軍医バートン、守備兵たちから英雄視され、カナタは照れくさそうに頭を掻く。

エレナの温かいスープと、仲間たちの笑顔。

だが──第一波の勝利に沸き立つ砦の片隅で、隊長クロードは険しい双眸を曇らせていた。

そして、カナタの首元にいた白狐コハクが、突如として全身の毛を逆立てて低く唸り声を上げる。

「逃げよ……! 来るぞ、規格外の怪物が……!!」

戦場を圧殺する異常な重力と、絶対零度の死の気配。

真の絶望の幕開けを告げる、嵐の前の静けさ──!

 荒野の彼方へと敗走していく灰燼種の後ろ姿を見届け、第二城門を囲んでいた轟音の嵐がようやく遠ざかった。

 黒鉄の胸壁から立ち上る硝煙の匂いと、焼け焦げた赤土の臭気。

 散乱していた破片や瓦礫の隙間を、冷たい風がひゅうひゅうと吹き抜けていく。

 三千の軍勢による総攻撃を、鉄鋼砦の守備兵たちはついに退けたのだ。

「ふぅ……っ、はぁ……」

 第二城門の内側、石造りの中庭に並べられた木箱の上に腰を下ろし、カナタは深く、長い息を吐き出した。

 膝の上に置いた父の形見──太刀『不知火』の鞘をそっと撫でる。

 手のひらが微かに震えていた。

 十数メートルの胸壁から身を投じ、落下速度のすべてを乗せて放った『熾衣・白銀纏刀』。

 装甲オーガ型の巨大な破城槌の角を叩き割り、体内の核ごと両断した一撃の衝撃は、カナタの肉体にも相応の負荷を強いていた。肩から背中にかけての筋肉が軋むように熱を持ち、地下病棟でリックを救うためにアウラを直接注ぎ込んだ消耗も重なって、全身の芯に重たい倦怠感が沈殿している。

「カナタ君、お疲れさまでした。これ、温かいうちに飲んでくださいね」

 柔らかな湯気とともに、木製のカップがカナタの目の前に差し出された。

 顔を上げると、そこには慈愛に満ちた笑みをたたえるエレナの姿があった。

 豊かな胸元を覆う法衣をわずかに揺らし、彼女はカナタの隣に腰掛けると、腰の『医療用短杖(ペンシル・ワンド)』の切っ先でカップの縁をトンと軽く叩いた。

 淡い蒼色の光がカップの中に広がり、立ち上るスープの香りがふわりと鼻腔をくすぐる。

「これは……?」

「後方の補給物資にあった乾燥薬草と、滋養効果の高い根菜を煮込んだ特製スープです。失われた体温と、アウラの循環を整える効能があるんですよ」

「ありがとうございます、エレナさん……いただきます」

 両手でカップを包み込み、そっと口をつける。

 じわりと広がる塩気と、薬草の爽やかな苦味。温かな液体が喉を滑り落ちて胃袋を満たした瞬間、凍りつきかけていた身体の奥底から、じんわりと心地よい熱が全身の毛細血管へと染み渡っていくのが分かった。

「はぁぁ……すごく美味しいです……生き返るみたいです」

「ふふっ、良かったです。無茶ばかりする男の子には、しっかり栄養を摂ってもらわないと困りますからね」

 エレナは満足そうに目を細めると、まるで母親が我が子を見つめるような温かな眼差しでカナタの頭をポンポンと優しく叩いた。

「ずるいにゃエレナ! アタイにもそのスープを一杯よこすにゃ!」

 ドタドタと慌ただしい足音とともに、二丁拳銃を太もものホルスターに収めたフェリが走ってきた。

 口の端に干し肉を一本くわえ、青いショートヘアを弾ませながらカナタの前に仁王立ちする。

 その青い三角耳は戦勝の高揚感でピンと垂直に突っ立ち、背後の青い尻尾はまるで振り子のようにパタパタと小気味よく左右に揺れていた。

「カナタぁ! さっきのダイブ、本当に肝が冷えたにゃ! でも、アタイがオーガの目を撃ち抜いたからこそ、綺麗に角を両断できたんだにゃ! 感謝するにゃ!」

「はい、フェリさんの援護射撃がなかったら、あの巨腕で叩き落とされていました。本当にありがとうございました、フェリさん」

「にゃっ!? そ、そんな素直に言われると照れるにゃ……! ほら、褒美にこの干し肉を一本やるにゃ!」

 フェリが顔を赤らめながら、懐から取り出した干し肉を突き出してきた。

 だが──カナタが手を伸ばすよりも早く。

 バフッ!

「むぐっ! 美味(うま)いのじゃ!」

 カナタの首元から突如として白い影が飛び出し、フェリの手から干し肉を器用に引ったくった。

 首元にマフラーのように巻きついていた白狐──コハクだった。

 コハクは木箱の上にちょこんと座り直し、小さな両前足で干し肉を器用に抱え込むと、シャクシャクと音を立ててものすごい勢いで平らげ始めた。純白の尻尾を誇らしげに立て、金色の瞳を細めて咀嚼している。

「ああっ!? アタイの虎の子の上等な干し肉を盗んだにゃ! この泥棒狐!」

「ふん、妾の主を散々働かせたのじゃ、この程度の駄賃は当然であろうが! もっと塩気の利いた肉はないのか、猫娘!」

「誰が猫娘にゃ! アタイは誇り高き猫獣人の戦士にゃ! 耳を引っ張るにゃ!」

 キーキーと騒ぎ立てるフェリと、尊大に干し肉を要求するコハク。

 二人のいつもの掛け合いに、張り詰めていた砦の空気がふっと和らぎ、周囲の兵士たちの口元にも笑みが零れた。

「……カナタ君」

 不意に、中庭の通路の方から、落ち着いた低い声がかけられた。

 振り返ると、血と煤で汚れた白衣を纏った軍医バートンが歩み寄ってくるところだった。

 その隣には──右腕を白い包帯と三角巾でしっかりと吊り、ぎこちない足取りで歩く若い兵士の姿があった。

 カナタと同い年の見習い歩兵、リックだった。

「リックさん……! もう起きて大丈夫なんですか?」

 カナタは慌てて木箱から立ち上がり、駆け寄ろうとした。

 だが、リックは首を振り、カナタの前でピタリと足を止めた。

 その土気色だった顔には血色が戻り、澄んだ瞳がカナタをじっと見つめている。

 そして──。

「ありがとう……! 本当に……本当に、ありがとうございました……!」

 リックは、カナタに向かって深々と、直角に頭を下げた。

 その両肩が小刻みに震え、足元の石畳にポタリと大粒の涙が零れ落ちる。

「バートン先生から聞きました。俺の腕を……心臓まで届きかけていた灰化痕を、あんたがその手で、命がけで溶かしてくれたって……。俺、もう死ぬんだって思ってました。冷たくて、息ができなくて……母さんの顔も思い出せなくなって……。でも、あんたの手が、すげえ温かくて……」

 リックは顔を上げ、涙で濡れた瞳でカナタの右手を、自らの動く左手でぎゅっと握りしめた。

「あんたが、俺の命を繋いでくれたんだ……! 一生、恩は忘れません……!」

「お、お願いですから頭を上げてください、リックさん……!」

 カナタは顔を真っ赤にして、慌てて両手を振った。

「僕、そんな立派なことをしたわけじゃありません……! 目の前で、僕と同じ年くらいのあなたが冷たく消えていくのが……どうしても嫌だっただけで……!」

「それでもだ、カナタ君」

 隣に立つバートンが、静かに、けれど熱のこもった声で割って入った。

 その目元にも、熱いものが滲んでいる。

「あそこでリックを救ってくれたあんたの白銀が、絶望していた俺たち全員の目を覚まさせてくれたんだ。あんたは間違いなく、この鉄鋼砦の命を救った英雄だよ」

「え、英雄だなんて……とんでもないです……!」

 恐縮しきって背中を丸めるカナタ。

 だが、その胸の奥底には、温かな実感がじんわりと広がっていた。

(救えたんだ……)

 故郷の村が焼かれたあの夜。

 父ソウマが胸を貫かれ、灰となって風に消えていくのを、自分はただ泣き叫びながら見ていることしかできなかった。

 あの無力感。自らを苛み続けていた暗い後悔。

 けれど今、自分の手から溢れ出た白銀の熱は、確かに一人の青年の命を救い、冷たい死の灰から引きずり戻すことができたのだ。

 父の形見である不知火の重みが、今は何よりも頼もしく感じられた。

「おいおい、湿っぽい礼は後にしてやれよ。カナタが照れ死にしちまうぞ」

 背後から響いた野太い声に、兵士たちがハッと姿勢を正した。

 クロードだった。

 肩に大太刀を担ぎ、鋭い黒い双眸を細めた男が、大股で歩み寄ってくる。

 その無骨な顔には、先ほどまでの豪快な笑みは微塵も残されていなかった。

「クロード様……!」

 バートンが敬礼を捧げる。

「外郭広場の残敵は、完全に荒野の彼方へ四散しました。城門の防護結界も、エレナ様の魔導で応急復旧が完了しています。これで、ひとまずは持ち堪えられたかと……」

「持ち堪えた、ねえ」

 クロードは第二城門の胸壁を見上げ、鼻を鳴らした。

「おい、鉄鋼砦の軍医さんよ。てめえは現場の医者だ。敵の死体も嫌ってほど見てきたはずだな」

「は、はい……それが何か?」

「じゃあ聞くがよ。あの三千の灰燼種ども……動きが妙だとは思わなかったか?」

 クロードの冷徹な問いかけに、バートンが言葉を詰まらせた。

 カナタもまた、訝しげに師の横顔を見つめる。

「妙、ですか……?」

「そうだ。知性のねえ野良の灰獣なんざ、本来は本能のままに生きた肉へ群がるだけのイナゴだ。だが、さっきの連中は違った」

 クロードは大太刀の柄を指先で叩いた。

「四足の群れが壁を登って弓兵を潰そうとし、有翼型が結界の要であるエレナを狙い、最後にはあのオーガが門の中央だけをピンポイントで突っ込んできた。……まるで、誰かが高い所から指図して、砦の防衛体制を『試して』いたような動きじゃねえか」

「試して……いた……!?」

 カナタの背筋を、冷たい針のような悪寒がツッと撫で上げた。

「浮かれるんじゃねえぞ、お前ら」

 クロードの低い声が、中庭の空気を凍りつかせる。

「三千の群れも、あのデカ物オーガも……敵にとってはただの『肉壁』、ただの『威力偵察』だ。こちらの戦力、十星天刃の有無、防衛兵器の配置を測るための捨て駒に過ぎねえ」

「捨て駒……三千もの数が、ですか……!?」

「ああそうだ。本命の『頭(ボス)』は……まだ姿すら見せてねえ」

 その言葉が終わるか終わらないかの瞬間だった。

 サァッ……。

 音が、消えた。

「……っ!?」

 胸壁の上から、銀白の影が音もなく中庭へと舞い降りてきた。

 シエルだった。

 黒塗りのニンジャ装束を纏った斥候の顔は、かつて見たことがないほど青ざめていた。

 銀白のポニーテールの隙間から伸びた長いエルフ耳が、まるで嵐の前の小枝のように、ピクッ、ピクピクと小刻みに、激しく跳ね上がっている。

「……シエル? どうしたにゃ?」

 フェリが不審そうに耳を傾ける。

「……風が、死んだ」

 シエルが震える唇から絞り出したのは、信じがたい報告だった。

「大気の魔導流……完全に途絶。熱風も、砂塵も、全て停止。……何も、動いていない」

 言われて、カナタは周囲を見回した。

 荒野特有の、吹き荒れていたはずの熱風が、ピタリと止んでいた。

 城壁に掲げられていた王国旗が、鉛のように垂れ下がったまま微動だにしない。

 煙も、舞い上がっていた灰の微粒子も、まるで空中で糊付けされたかのように静止している。

 完全なる、無音。

 大気そのものが何者かの巨大な掌によって握り潰されたかのような、息苦しいまでの重圧。

「ヒッ…………ッ!?」

 その時。

 カナタの首元で、これまでに聞いたことのない悲鳴が上がった。

「コハク……!?」

 カナタが首元に手を当てると、そこにいた純白の白狐は──全身の毛を、まるで針山のように逆立てていた。

 ガチガチと、歯の根が合わないほど激しく震えている。

 神獣として悠久の時を生き、百年前の厄災すら知るはずの白狐が、恐怖に瞳孔を極限まで収縮させ、カナタの首筋へ必死に爪を立ててしがみついていた。

「カ……カナタ……! に、逃げよ……!!」

 コハクの声は、恐怖で上ずっていた。

「逃げよ! 今すぐここを捨てるのじゃ! 来る……来るぞ! あのようなもの、人の手で抗える道理がない! 天から……とんでもない『天災』が降りてくるのじゃァッ!!」

「コハク、落ち着いてください! 何が来るんですか!?」

「言葉など……知るか! 肌が……魂が凍りつくわ! 妾ですら呑まれるほどの……絶対の……!!」

 ドズゥゥゥゥゥゥゥゥンッッッッ!!!!

 コハクの絶叫を塗り潰すようにして、第二城門の外郭防壁が──内側から、風船のように弾け飛んだ。

「なっ……!?」

 クロードが即座に大太刀を構え、カナタたちの前に立ちはだかる。

 爆発ではない。

 炎の炸裂でもない。

 厚さ三メートルを超える黒鉄と巨石の防壁が、まるで目に見えない巨人の拳で叩き潰されたかのように、一瞬にして飴細工のように圧搾され、四方八方へと粉々に吹き飛んだのだ。

 バキバキバキッ! ドガァァァァンッ!!

 数百トンもの瓦礫が雨のように降り注ぎ、立ち上る濃密な黒煙と白灰の噴煙が、砦の外郭を完全に覆い尽くす。

 その凄まじい衝撃波だけで、中庭にいた守備兵たちがドミノ倒しのように吹き飛ばされ、石畳を転がった。

「うわああああっ!?」

「な、何が起きたんだ!?」

 濛々と立ち込める白灰の煙。

 その煙の向こう側から、ザッ、ザッ、と砂利を踏みしめる重々しい足音が近づいてきた。

 周囲の空気が、急激に重くなる。

 いや、重いのではない。

 重力が、異常なまでに狂っているのだ。

 足元の小石が、浮き上がったかと思えば次の瞬間にはペシャンコに潰れて粉砕される。

 呼吸をするたび、肺の奥に氷水を流し込まれたような激痛が走る。

 そして──吹き払われた煙の奥、砕け散った巨大な防壁の瓦礫の頂上に、その影は忽然と現れた。

「…………」

 カナタは、息を呑んだ。

 そこに立っていたのは、獣ではなかった。

 五メートルの巨獣でも、無数の手足を持つ異形でもない。

 黒灰色の豪奢な長衣を風になびかせた──人型の影。

 だが、人間では断じてない。

 その額の両脇からは、禍々しくねじれ曲がった黒鋼の「竜の角」が天を突くように生え出ている。

 青白い皮膚には、血管のように黒い死灰の紋様が脈打ち、両の瞳は爬虫類のように縦に裂け、底知れぬ狂気と嗜虐の光を湛えていた。

 そして、その両の手首には──黒く重苦しい冷気を放ちながら、鎖の輪のひとつひとつが自律的に蠢く、異形の漆黒の鎖が巻き付けられていた。

 十二灰将の末席、第12将カリグスが率いる精鋭──。

 その右腕たる副官、竜角の略奪者・ドレイク。

 知性を持ち、重力を統べる死灰の幹部が、そこにいた。

「クハハ……」

 瓦礫の頂上から、低く、ねばつくような嘲笑が零れ落ちた。

 ドレイクは両手を広げ、足下に広がる鉄鋼砦の中庭を、まるで虫籠を覗き込むような冷酷な瞳で見下ろした。

「脆いな。人の造りし玩具など、触れるだけでこのザマか」

 その声が響いた瞬間、周囲の空間がキィンと不快な金属音を立てて軋んだ。

「……さて。下等な前座の掃除は、無事に終わったようだな? 王国の羽虫ども」

 ドレイクの右手が、緩慢に持ち上げられた。

 その手首に巻き付いた漆黒の重力灰鎖が、ジャラリと悍ましい音を立てて鎌首をもたげる。

「総隊長の玩具にしては、少しは楽しませてくれると良いのだがなァ……!」

 真の絶望が、鉄鋼砦の喉元に、その凶悪な爪を突き立てていた。

第14話をお読みいただき、本当にありがとうございました!

第一波を防ぎ切った鉄鋼砦に訪れた、束の間の休息。

助かったリックとの心温まる再会や、エレナの滋養スープに心が和むのも束の間……!

神獣コハクが感じ取ったのは、これまでの灰燼種とは次元の違う「絶対的な悪寒」でした。

そして鳴り響く外郭防壁の爆砕音!

瓦礫の向こうから現れたのは、知性を持ち、重力を統べる人型幹部──副官ドレイク!

第15話は鉄鋼砦を蹂躙する圧倒的な重力波の脅威に、第7小隊はどう立ち向かうのか!?

どうぞお楽しみに!

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