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『灰燼の世界で、俺の白銀(アウラ)だけが消えない』 ──東方の刀『不知火』で切り拓く夜天の夜明け──  作者: 柊 篝


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第1話:灰の降る夜、白銀の熾

全てが冷たい灰に還る世界で、少年の魂の熱だけが燃え上がる。

父から受け継いだ一振りの太刀と、消えない白銀の光。

少年カナタの、過酷で熱き戦いの日々がここから始まります。

 夜の帳が下りる頃、山あいの寒村を包んだのは、耳が痛くなるほどの完全な静寂だった。

 カツン、カツンと、乾いた木片を削る小刀の音だけが土間に響いている。

 中央王国アストリアの最西端、そびえ立つ山脈の足元にへばりつくように拓かれた、名もなき寒村。そこで生まれ育ったカナタは、削り終えた木組みの継ぎ手を布でぬぐい、ふうと白い息を吐き出した。

「……冷えるな。秋の終わりにしては、異常だ」

 カナタが首を傾げながら土間の引き戸をわずかに開けた、その時だった。

 夜空から、音もなく舞い落ちてくる無数の粒子があった。

 雪ではない。

 それは、街灯の薄暗い光を浴びても一切きらめくことのない、淀んだ鉛色の粉──白灰だった。

 風に乗って庭先に積もった落ち葉へと落ちたひとひらの灰。その瞬間、葉はチリチリと凍りつくような音を立て、緑の輪郭を失ってボロボロと崩れ去った。木製の柵もまた、灰に触れた箇所から生気を吸い取られたように白濁し、脆い粉となって風にさらわれていく。

「父さん、これ……雪じゃないよな? なんでこんなに息が凍りそうなんだ……?」

 カナタが背後の作業場へ声をかけた瞬間、奥の板間から一人の男が飛び出してきた。

 父、ソウマだ。

 普段は口数が少なく、無骨な手で黙々と家具を彫り上げる職人の顔はそこになかった。鋭利な刃物のように研ぎ澄まされた眼光、異様な気迫。ソウマは土間の引き戸の隙間から外を一瞥するなり、息を呑んだ。

「……来たか。カナタ、奥の納屋へ入れ。絶対にそこから出るな」

「え……?」

「早くしろ!」

 怒号に近い叫びと同時に、村の広場の方角から地響きが轟いた。

 ドガァンッ、と木造家屋がへし折られる破砕音。

 それに続いて、夜気を引き裂いたのは、家畜の悲鳴でも火事の叫びでもない──極限の恐怖に歪んだ、村人たちの絶叫だった。

「ひ、火が……火が消えるッ!?」

「腕が……俺の腕が灰にッ、ぎゃああああっ!!」

 カナタの足が凍りついた。

 外の闇から姿を現したのは、この世の生物の形を留めていない異形だった。

 輪郭が泥炭のようにぐらぐらと揺らめく漆黒の巨躯。その体内、心臓にあたる部分で不気味に青白く脈動しているのは、絶対零度の冷気を吐き出す『核(コア)』だ。

 ──『灰燼種(アシェン)』。

 かつて旅の商人から聞いた、世界を蝕む死の天災。触れたあらゆる生命から体温と熱を奪い去り、文字通り灰へと風化させる怪物。

 逃げ惑う隣家の男に、怪物の鉤爪がかすった。

 ただ、かすっただけだった。

 だが男の右腕は、ジュウと肉の焼けるような、それでいて芯まで凍てつく音を立て、瞬時に皮膚から骨までが真っ白な灰へと変貌した。男が悲鳴を上げた瞬間、腕は自重に耐えかねてパラパラと地面に崩れ落ちたのだ。

「なんだよ……あいつら……触られただけで、村の人たちが……!?」

 カナタは手元にあった薪割りの斧を握りしめた。だが、指先がガタガタと震えて止まらない。

 触れれば死ぬ。抵抗など許されない。絶対的な理不尽が、眼前の闇を塗りつぶしていた。

 ドォンッ!!

 凄まじい衝撃とともに、自宅の板壁が無残に吹き飛んだ。

 土間に木煙と冷気が吹き込み、頭上から二メートルを超える灰燼種がぬらりと侵入してくる。輪郭のない黒泥の腕がしなり、冷気の刃となった鋭利な爪が、カナタの喉首をめがけて容赦なく振り下ろされた。

 死ぬ。

 脳がそう叫んだ刹那──カナタの視界が真横へと弾き飛ばされた。

「ぐっ……!?」

 荒々しい力で突き飛ばされ、カナタは土間の床を転がった。

 カナタがいたはずの空間に立ち塞がっていたのは、父だった。

 ザシュッ、と肉を断つ鈍い音が響く。

 怪物の鉤爪は、カナタを庇ったソウマの胸から背中にかけて、深々と突き刺さっていた。

「父さんッ……!? 父さん!!」

 カナタの絶叫が木霊する。

 傷口から、急速に青白い霜のような灰化が広がっていく。破れたソウマの着物の隙間から、カナタは見てしまった。

 父の胸元に刻まれていたものを。

 それは──十数年前の古傷。かつて激戦の果てに負い、今なお胸の中央にこびりついていた、決して温まることのない冷酷な『灰化痕』だった。

 心臓を巡るべき熱の流れをその古傷に塞がれ、全盛期のように身を守る光膜を張ることができない。

 ゴホッ、とソウマの口から熱のない血が零れ落ちる。

 だが、その瞳に宿る光は消えていなかった。

「ぐ……うおおおおッ!!」

 急速に白く風化し、崩れかけていく右腕に力を込め、ソウマは怪物の胸倉を蹴り飛ばして距離を取った。そして、作業台の足元、木材置き場の下に隠されていた「継ぎ目のない隠し床板」へと手を伸ばし、力任せにそれを引き剥がした。

 床下から現れたのは、黒漆に夜空の星雲を模した銀の研ぎ出しが施された、一振りの太刀だった。

 月と星の透かし彫りが施された鍔。刃渡り二尺六寸の古流太刀──東方の神器『不知火』。

 ソウマは十数年間、一度たりとも抜くことのなかったその柄を掴み、呆然とするカナタの胸元へ強く押し付けた。

「持っていけ、カナタ……っ。この刀は……お前が生き残るためのものだ」

「嫌だ……嫌だッ! 置いていけるわけないだろ! 一緒に逃げるんだ、父さん!!」

 カナタは父の手を掴もうとした。

 だが、その指先はすでにサラサラと白い粉へと変わり、掴むことすら叶わない。灰化は胸から喉へ、そして顔へと猛烈な速度で侵食していた。

 それでも、崩れゆく最期の瞬間、ソウマの双眸は真っ直ぐに愛する息子の顔を見つめていた。

「抜くなとは言わん。生きるために……お前自身の熱で、この刀を抜け。……すまない、カナタ。お前の成長を、見届けてやれなくて……」

「父さんッ……!」

「……立派に、生きろ」

 サァ……と、まるで砂の城が崩れるような音を立てて、父の肉体は完全に白い灰へと還った。

 夜風が吹き抜け、灰は夜空へと散っていく。

 カナタの腕の中に残されたのは、父のぬくもりが微かに残る太刀の鞘と、全身に降り注いだ冷たい灰の感触だけだった。

「あ……あぁ……」

 喉の奥から、言葉にならない掠れた声が漏れる。

 壁の破れ目から、さらに二体の灰燼種が土間へと這い入ってきた。怪異たちは、最愛の親を奪われて膝をつく無防備な少年を嘲笑うかのように、氷のような殺気を放ちながら四肢をもたげる。

 冷たい。恐ろしい。逃げ出したい。

 だが──その感情の底から、沸騰するような激痛が胸の奥を突き破った。

 奪われた。

 俺の家を。村の穏やかな日々を。

 不器用で、無口で、それでも誰よりも温かかった親父の命を。

 こんな、わけのわからない化け物に。

 ドクン、と心臓の奥底で、かつてない質量を持った何かが脈打った。

 それは、全ての人間が生まれ持つ生命の根源。

 魂の根源熱──『熾(アウラ)』の励起。

「父さんを……」

 カナタの指が、不知火の柄を握りしめる。

 父との薪割りで身体に染み付いた重心の落とし方。山の猟で培った無駄のない足運び。その全てが、無意識のうちに完璧な居合の構えへとカナタの身体を導いていた。

「父さんを、返せよ……ッ!!」

 カチリ──。

 死に静まった廃墟に、静謐な金属音が響いた。

 鯉口が切られた瞬間、カナタの激情に呼応した太刀が、爆発的な熱量を吸い上げた。

 ジャキィンッッ!!

 鞘から引き抜かれた刀身から、夜の暗闇を根こそぎ消し飛ばすほどの【眩い白銀の輝き】が噴き上がった。

 それは、通常の人間が灯す赤い熱ではない。吹き荒れる死の灰を本能的に拒絶し、触れる冷気をことごとく蒸発させる純白の光膜──『熾衣(アウラ・ヴェール)』!

 怪物が爪を振り下ろす。

 刹那、カナタの身体が前へと滑り込んだ。

 低く踏み込み、刀身の重みに身を委ねて振り抜かれた、研ぎ澄まされた一閃。

 触れれば即座に灰になるはずの理不尽を、不知火の白銀刃が紙一重で真っ向から両断した。

 ギシャアァァッ──!?

 断末魔の叫びすら上げられない。

 切り裂かれた怪物は灰になる猶予すら与えられず、白銀の光に焼かれ、光の粒子となってジュウジュウと虚空へ蒸発していった。

「消えない……」

 カナタは白銀の燐光を纏う刀を強く握り直した。

「俺の熱は……絶対に消させない……ッ!」

 だが、奇跡は長くは続かなかった。

 正式な訓練も受けず、激情のままにアウラを暴発させた代償はあまりにも重い。カナタの全身から急速に熱が奪われ、肺が焼けるような激痛とともに膝が崩れ落ちた。

 視界が明滅する。不知火の白銀が微かに揺らぐ。

 その隙を見逃す怪異ではなかった。倒した怪物の背後、崩れた屋根の上から、先ほどよりも一回り巨大な中型灰燼種が三体、同時にカナタめがけて死角から飛びかかってきた。

(身体が……動かない……っ!? 息が……ここまでなのか……!)

 頭上から迫る三つの冷気の爪。死を覚悟したその瞬間──

 夜空が、突如として漆黒の業火に染まった。

 ゴオォォォッッ!! という大気を焦がす轟音とともに、天空から巨大な影が降ってきた。

 ドォォォンッ!!

 大地を揺るがす地響き。飛びかかっていた三体の怪物は、上空から叩きつけられた身の丈ほどもある巨大な「大太刀」によって、地面ごとまとめて圧殺されていた。

 刀身に渦巻くのは、決して消えることのない不滅の黒炎。

 黒炎に触れた灰燼種は、灰化の冷気すら発揮できず、瞬く間に炭化して炭の粉へと消滅していった。

「……え?」

 呆然と見上げるカナタの前に、巻き上がる黒煙を手で払いながら、一人の男が悠然と歩み出てきた。

 深みのある夜天紺のロングコートを肩に羽織り、胸元を豪快に開けた無骨な風貌。その肩には、先ほど怪物を叩き潰したばかりの無骨な大太刀が軽々と担がれている。

「間に合わねえかと思ったが……へっ、しぶといガキが一人生き残ってやがったか」

 男の鋭い眼光が、カナタの手元へと向けられた。

 微かに青みを帯びた白刃に浮かぶ乱れ刃文。そして、夜空の月と星を精緻に刻んだ透かし彫りの鍔。

 男の瞳が、わずかに見開かれる。

「おいおい小僧……その太刀、まさか『不知火』か? ……お前の親父、ソウマって名じゃねえだろうな」

「……あんた、父さんを知ってるのか……?」

 息を切らしながら問い返したカナタに、男は肩をすくめて息を吐いた。

「知ってるも何も……いや、話は後だ。ここはもうじき灰の濁流に呑まれる」

 背後の闇から、馬の蹄の音とともに数人の騎士たちが駆け込んできた。

 漆黒の鎧を纏った一般兵たちが、周囲の惨状に息を呑みながら男へと敬礼する。

「クロード隊長! 生存者ですか……!? この村はもう防衛線を突破されており、撤退しなければ……!」

「ああ、分かってる」

 クロードと呼ばれた男は、大太刀の黒炎をフッと消し、背中の鞘へと豪快に収めた。

「だが、ただの生き残りじゃねえ。こいつは自分の力で灰どもを蒸発させやがった。それに、この太刀だ。……こんなところで凍え死なせるには惜しすぎる。王都へ連れて行くぞ」

「は、はっ!」

 緊張の糸が切れたのか、カナタの意識が急速に闇へと沈みかけていた。

 前に倒れ込みそうになるカナタの襟首を、クロードが大きな手でひょいと片手で担ぎ上げる。

「小僧、名前は?」

「……カナタ、だ」

「カナタか。俺はクロード。夜天守護騎士団(ノクティス・オーダー)の第7席──ま、ただの火消し野郎だ」

 クロードはカナタを肩に担ぎ直すと、獰猛で頼もしい笑みを口元に浮かべた。

「立てるようになるまで、王都で面倒見てやるよ。その消えねえ白銀……これからの戦いで、嫌ってほど振るってもらうからな」

 頑丈な夜天紺の天幕が張られた騎士団の軍用馬車が、燃え落ちる故郷の寒村を背にして発進する。

 窓の外、冷たい夜を切り裂いて疾走する車輪の音を聞きながら、カナタは父の形見である不知火を、胸の奥で固く抱きしめていた。

(父さん……俺は、生きるよ。この白銀を燃やして、絶対に……)

 果てしない夜の闇の中、中央の巨大都市──聖王都アストリアを目指して、馬車は駆けていく。

 全てが灰に還る世界で、消えない白銀の物語が、今静かに幕を開けた。

第1話をお読みいただき、本当にありがとうございます!

故郷を奪われ、父の命と引き換えに白銀の熾に目覚めた少年カナタ。

彼を拾った謎の剣士クロードと共に、舞台はいよいよ人類最後の砦『聖王都アストリア』へと移ります。

次回、第2話『聖王都アストリアと、おかしな第7小隊』。

カナタを待ち受けるのは、頼もしくも癖が強すぎる美男美女の仲間たち……!?

どうぞご期待ください!

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