2026年 春 地獄の高校生活④ やってしまった
ガラリ、と戸が開く。
入ってきたのは担任ではない。
例の上級信者だった。
教室の空気が、一瞬で張りつめる。
神谷さんも、自分の教室へ戻りそびれたらしく、戸口の近くで立ち止まったまま成り行きを見守っている。
上級信者は当然のように教壇へ立つと、満面の笑みを浮かべた。
「皆さん、注目してください。今日は、大変喜ばしいお知らせがあります」
誰も喜んでいない。
「この学校から、二人もダーキニー候補が選ばれました。しかも、お二人とも、このクラスです」
教室がしんと静まり返る。
「冬月澪さん。森川葵さん。前へどうぞ」
気は進まなかったが、私と葵ちゃんは教壇の前へ出た。
いつの間にか教室へ入ってきていた担任が、ぱち、ぱち、と拍手を始める。
それに合わせるように、クラス全員が拍手をした。
誰一人、笑っていない。
まるで葬式だ。
それなのに、上級信者だけは満面の笑みだった。
「お二人は修行ステージが飛躍的に向上しました。もはや一般の信者とは別格です」
誰が一般信者だ。
「戒律を破ってもカルマを背負うことはありません。公的にも様々な特典が与えられます。また、お二人に対して無礼を働いた者は厳しく処罰されます」
……まず、お前が処罰されろ。
「本日より、皆さんと区別するため特別な制服が支給されます。本日は、その前にダーキニー候補証を授与します」
教団の紋章が入ったカードを渡される。
私はしばらく、それを見つめた。
プラスチック製の安っぽいカード。
こんな一枚で、人間の価値が変わるらしい。
「……確認なんですが」
私は顔を上げた。
「はい。何でしょう」
「これからは、何をしてもカルマは背負わないんですよね?」
「その通りです!」
「例えば、人を殴っても?」
「もちろんです」
「罰も受けない?」
「修行ステージの高い者には、そのようなものはありません」
「なるほど」
ドンッ!
私は上級信者の腹へ、思い切り前蹴りを叩き込んだ。
ちょうど、ドアの代わりに。
「ぐえっ!」
情けない悲鳴を上げ、上級信者は床へ転がる。
私はそのまま近づいた。
ガン!
ガン!
ガン!
ガン!
何度も踏みつける。
「ひぃぃっ!」
頭を抱えて丸くなる上級信者。
驚くほど軽い。
全然鍛えてない。
小学生の頃、男子と取っ組み合いの喧嘩をしたことがある。
あの時の相手の方が、よっぽど手ごわかった。
教室は静まり返っていた。
誰も止めない。
担任も。
クラスメイトも。
神谷さんだけが口をぽかんと開けていた。
「えぇぇぇぇっ!? ちょ、ちょっと冬月さん!」
その声にも構わず、私は最後にもう一発だけ蹴りを入れる。
ドスッ。
「これでカルマは落ちました?」
返事はない。
うずくまって震えているだけだ。
……ふう。
少しだけ、すっきりした。
ほんの少しだけ。
さすがにやりすぎたかな。
停学。
退学。
警察。
そんな言葉が頭をよぎる。
……いや。
待てよ。
これでダーキニー候補から外してくれるなら、それでもいい。
私は担任を振り返った。
「先生」
担任はびくっと肩を震わせる。
「気分が悪いので、早退します」
数秒。
担任は黙ったまま、こくりとうなずいた。
その口元は、ほんの少しだけ緩んで見えた。
私は葵ちゃんの方を向く。
「行こう」
「え?」
私は、戸惑う葵ちゃんの手を取って歩き出した。
誰も止めない。
止められない。
教室を出る直前、後ろから神谷さんの声だけが聞こえた。
「えっ、えっ!? ダーキニー候補って……こんなことしてもいいの!?」
……そこなのか。
私は振り返らず、そのまま教室を後にした。




