過去編: 1989年 初夏 大学祭は世紀末の様相だった 後編
――この小説はフィクションですが、この章で描かれる出来事の多くは、作者が当時実際に見聞きした体験に基づいています。――
ろくでもない実演を見せられて食欲も失せた俺たちは、露店を冷やかしながらキャンパス中央の並木道を歩き、その突き当たりにある学生会館へ辿り着いた。
ここまで来ると、人通りはずいぶん少ない。
それでも、いくつかの展示だけは開かれていた。
「おい、あれ……さっきの連中じゃね?」
友人が指差した先には、手描きのポスターが立て掛けられていた。
『麻原彰晃ビデオ説法』
『宗教は、超科学だ!』
その横には、印刷された麻原彰晃のポスター。
『日本で唯一の最終解脱者』
と書かれている。
……なるほど。
さっき道路の真ん中でゲロを吐いていた連中の本拠地は、ここらしい。
誰も居ない教室の入口は開け放たれ、中にはパイプ椅子が整然と並んでいた。
最前列に設置されたテレビでは、長髪に髭を生やした男が何か語っている。
これが麻原彰晃か。
本屋の平台や電柱のポスターでは写真を見かけたことがあったが、しゃべっている姿を見るのは初めてだった。
「入ってみようぜ。」
物好きな友人が半笑いで中へ入っていく。
俺たちも後に続いた。
壁一面には模造紙が貼られていた。
『宗教は、超科学だ!』
ビッグバン理論と仏教経典の共通点が延々と書かれている。
……ずいぶん大胆なこじつけだ。
その隣には、三角形の図。
『悟りの段階』
頂点には『最終解脱 麻原彰晃』。
中段には歴史上の宗教家たち。
底辺には『餓鬼道』『畜生道』等々。
どう見ても悟りというよりランキング表だった。
友人たちはニヤニヤ眺めている。
もちろん、誰も本気にはしていない。
静かな教室に、テレビだけがしゃべり続けていた。
「真理とは○○であると。
ゆえに、人類は○○であると。
したがって修行とは○○であると。」
聞き取りにくい。
滑舌が悪いのか、それとも話し方の癖なのか。
語尾が全部「~と」で終わる。
「あれ?君たち、」
いつの間にか主催者側と思われる大学生が三人、俺たちの後ろに立っていた。
「ああ、さっきデモンストレーション見てくれた人たちだよね?」
「あ、はい。」
「興味あるならワーク受けてみない?この近くの『道場』でもやってるから」
やっぱり勧誘か。
「いや、通りすがりに展示を見ていただけで。
理論物理、難しそうですね。皆さん、理学部ですか?」
「違うよ。僕ら、医学部」
マジかよ。
ここの大学の医学部なら、全国的にも有数の難易度じゃないか。
「浄化とか健康法に興味があるの?ヨーガとかやってる?」
「ヨガですか?」
「ヨーガね」
そこ、こだわるんだ。
「少しだけ。普通のを」
物まね程度だが。
「ハタヨーガ?」
「たぶん。」
「ふーん、体操ヨーガだね。」
少しだけ鼻で笑われた気がした。
あれ?なんか、見下された?
そこへ、
「田中さん、こちらです。」
学生たちが奥へ声を掛けた。
現れたのは上下スウェット姿の男だった。
どう見ても大学関係者には見えない。
何者?
「この子たち、体操ヨーガの経験あるそうです。」
「ふーん。」
『田中さん』は笑顔で近付いてきた。
いや、友好的な微笑みというより、ちょっと小馬鹿にするような笑いだった。
「もしかして、武術なんかやってる?」
「友達が太極拳を。あと気功」
「気功は良くないね。魔境に入りやすいんですよ。」
学生の一人が真顔で言う。
……魔境って何だ。
ゲームか何か?
『田中さん』は例の三角形の図の前に立った。
「悟りにも段階が有るんだ。
道場でワークを受ければね、この辺までは一日で来られるよ。」
指差した先には、
『空海』
の文字。
「は? あの空海ですか?」
「そう。
空海はここ止まりだったからね。
『悟りは無』なんて言ってたんだよ。」
ずいぶんな言われようである。
「なら、皆さんは、どの辺りですか?」
そう尋ねると
『田中さん』も学生たちも当然のように、空海よりずっと上を指差した。
……なるほど。
修行すると面の皮も厚くなるらしい。
でも謙虚さは大事だと思うよ、社会では。
「君はカルマが多いみたいだね。武術なんてやってるんだから、この辺りかな」
今度は三角形のかなり下を指差す。畜生道や餓鬼道か。失礼なやつだな。
「カルマって?」
「前世や現世の行いさ。
それを落とせば輪廻から解脱できる。」
「それ、死ななくなるってことですか?」
「いや、まさか。死ぬよ。」
『田中さん』は笑った。
「でも次はもっと良い人生になる。
だから僕は早く死にたい。」
「僕も。」
「僕もです。」
「僕も早く死にたい。」
学生たちまで口々に頷く。
……医学部、大丈夫か。
「じゃあ、自殺すれば早いんじゃないですか。」
「ふふ。自殺はカルマになるからね。」
まったく怒る様子もなく『田中さん』は答えた。
本気なのか。
これまた、小馬鹿にしたような笑顔だった。
そうか。
彼らにとって我々は、最下層クラスの人間なのだな。
彼らの世界においてのみ。
「そうだ。
せっかくだから丹田運動を見せよう。」
『田中さん』は腹をめくり、腹筋をぐるぐると波打たせた。
学生たちは一斉に、
「おおーっ!」
と歓声を上げる。
尊敬の眼差しで『田中さん』を見つめたあと、なぜか得意そうな顔でこちらを見る。
いや、自慢するのは『田中さん』であって君たちじゃないだろう。
「面白いな。」
太極拳をやっている友人が腹をめくった。
「無理無理。
そんな簡単に出来たら天才だから。」
『田中さん』が笑う。小馬鹿にしたように。
しかし。
二、三回試しただけで、友人はあっさり出来てしまった。
教室が静まり返る。
学生たちは互いの顔を見合わせた。
数秒後。
「はい、こちら資料になります。
道場の連絡先も書いてあるから」
何事もなかったように冊子が配られ始めた。
さっきのは、無かった事にしたのか。
……やっぱり、修行すると、面の皮が鍛えられるらしい。
受け取った冊子の表紙には、
『マハーヤーナ』
と書かれていた。
教団内部向けの機関誌らしい。
試しにページをめくる。
「水中クンバカ特集」
「尊師の超能力」
足が速すぎて誰も追いつけなかった。
食べたい物を言い当てた。
雨を避けた。
……正直、どれも微妙だ。
こんな超能力で、ハルマゲドンを生き残れるのだろうか。
教室を出る頃には、どっと疲れていた。
「医学部か……。」
友人がため息をつく。
「せっかく難関大学に入ったのにな。」
「あの調子で医者になるのか?」
「診てもらいたくないな。」
「昔なら学生運動やってたタイプが、こっちへ流れたんじゃないか。」
そんな話をしながら大学を後にする。
途中で友人が冊子を丸めた。
「こんなの持って帰るの?」
「俺は途中で捨てる。」
「親に見つかったらヤバいぞ。
エロ本より怒られる。」
確かに、それもそうだ。
俺は手にした冊子を眺めた。
……まあ、いい。
こういう物ほど、後になって価値が出る。
そうだな、将来、家業の古本屋を継ぐ事があれば、何かの役に立つかも。
そう思って、鞄の奥へしまい込んだ。
《ちなみに、この時もらった冊子がどうなったかというと―――
実は、三十年以上経った今でも、作者の本棚に残っているのです。》




