2026年 春 高校入学③ 彼女は空中浮揚が得意らしい
体育館に入ると、正面に白い布の掛かった大きな板が立てられていた。
写真か絵だろうか。
その横にはテレビモニター。
もちろんブラウン管だ。
薄型テレビなんて、この世界ではまだ存在しない。
葵ちゃんと並んで床に座る。
やがて例の上級信者が入ってきた。
彼は布の掛かった板の前で恭しく一礼すると、生徒たちを見回した。
「皆さん、御起立ください」
全員が立ち上がる。
信者はゆっくり布を取り払った。
「麻原尊師の御尊顔です。合掌してください」
現れたのは麻原の肖像画だった。
油絵だろうか。
若い頃を描いたらしく、ずいぶん美化されている。
私は思わず首を傾げた。
写真じゃないんだ。
そういえば、この世界へ来てから何日も経つのに、麻原本人の写真を一度も見ていない。
テレビにも出てこない。
街角にも貼られていない。
教祖なのに。
スマホで検索すれば、元の世界の写真なんて山ほど出てくるのに。
なんだか妙な話だった。
続いて上級信者はテレビの前へ移動し、装置に四角いケースを差し込んだ。
「あ……あれって、VHS?」
昔の録画用テープだ。
改古堂で見たことがある。本と一緒に、棚に並べられていた。
私が生まれるよりずっと前に使われていたらしい。
2026年にもなって現役なのか。
「冬月さん、ビデオ見たことないの?」
声がして振り向く。
いつの間にか神谷さんが隣に座っていた。
いや、アンタ別のクラスだよね?
なんでいるの?
「実際に動いてるところを見るのは初めてかな」
「ぷっ」
神谷さんが吹き出した。
「そうなんだ」
なにか勝手に納得したらしい。
勝ち誇った顔をしている。
私の世界では動画はネットで見るんだよ。
と言いたかったが、説明できるわけがない。
こういう相手は放置が一番だ。
モニターに映像が現れた。
麻原だった。
……いや、麻原らしき人物だった。
一目でCGと分かる。
しかもかなり粗い。
元の世界のCG技術とは比べものにならない。
それでも奇妙だった。
どうして本人映像を使わないのだろう。
教祖なのに。
CGの麻原が語り始めた。
「……皆さんは選ばれた魂であると。……修行によってカルマは浄化されると。……欲望を捨てた者だけが真の自由を得るのであると」
いかにもそれっぽい話が続く。
けれど。
……声が違う。
口調は似ている。
話し方も似ている。
だが、どこか違和感があった。
毎晩AIと話すついでに、元の世界の麻原動画も何本か見ていた。
だから分かる。
少なくとも私の知っている声ではない。
もっとも、七十歳を過ぎているはずだ。
年を取れば声くらい変わるのかもしれない。
映像が終わると、いよいよ実習が始まった。
まず結跏趺坐。
そして、
「修行するぞ! 修行するぞ! 修行するぞ!」
を千回、唱える。
続いて、
「うれしいなあ! うれしいなあ! うれしいなあ!」
を千回。
さらに、
「徹底的に帰依するぞ! 徹底的に帰依するぞ! 徹底的に帰依するぞ!」
を千回。
以上。
実にくだらない。
喉だけが無駄に痛い。
学校向けに短縮しているそうだが、本来は一万回以上やるらしい。ひと晩かかるって。
正気とは思えなかった。
ようやく解放され、教室へ戻る途中。
神谷さんが追いかけてきた。
「いやあ、いくら最初の実習だからって、今日はヌルかったね」
「そう?」
「空中浮揚くらいやりたかったなあ」
「あのピョンピョン跳ねるやつ?」
「そうそう。私なら一メートルくらい飛べるし」
ほう。
「調子が良いと二秒くらい空中で静止できるかな」
ほうほう。
この教団には嘘つきしかいないのか。
「へえ。今度見せてよ」
私が言うと、神谷さんは少し困った顔をした。
「それは無理かな」
「なんで?」
「心の穢れた人が近くにいると飛べないから」
そう言って、ちらりと私を見る。
……ん?
ああ。
そういう意味だったのか。
だったらオマエ、最初から無理だろ。




