第五章 転校生と出かける
土曜日の朝。本来ならゆったり過ごすはずの時間、俺は洗面台の鏡とにらめっこしながら頭を悩ませていた。妹とクラスメイトと三人で出かけるのだから、あまりだらしない格好は見せられない。早起きして髪を整え、服の襟元を何度も直す。
「お見合いじゃあるまいし、気合い入れすぎだよ」
一晩ぐっすり寝て気持ちを切り替えた真咲は、いつもの毒舌妹に戻っていた。
「おまえこそ、わざわざ着替えたんじゃないか」
「せっかくお兄ちゃんと出かけるんだもん」
「……へえ」
まったく、この妹はどうしてこんなにかわいいんだろう。
レースのあしらわれた白のワンピースに、淡いブルーのカーディガンを羽織り、長い黒髪をさらりと下ろしている。秋を感じさせる装いだ。ワンピースの裾は膝丈あたりまで落ちていて、太ももが見えることもない、安心の長さ。足もとは女子高生らしいローファーに白いソックス……。
「お兄ちゃん、視線がやらしい」
「心外だな。俺の目にかなう格好かどうか、チェックしてただけだぞ」
「そのチェックの仕方がもう怖いんだって!」
真咲は数歩あとずさり、痴漢を見るような目で俺を睨む。
「それに、こんな時期からマフラーなんてしてると、よけいあやしいし」
いくらなんでも大げさすぎる。俺はやれやれと肩をすくめた。
「でも、その服はよく似合ってるよ。めちゃくちゃかわいい」
「え? そう……? ありがと」
ぱっと頬を染めて、うつむき加減になるその姿は、まさに純情可憐な美少女そのものだ。
「よし、そろそろ出かけるぞ」
「は、はいっ」
真咲はあわてて両手で頬をぱちぱちと叩いて気合いを入れ、足早に俺のあとを追ってきた。クラスメイトと三人で出かけるのは初めてだから、身なりには気をつけておいたほうがいいだろう。そんなことを考えながら、ふたりで家を出た。
駅へ向かう道は、すっかり秋の気配に染まっている。川沿いの並木は、葉を鮮やかに色づかせたものもあれば、すでに散ってしまって、川面にぽつんと浮かんでいるものもある。吹きつける風には冷たさが混じっていて、夏の湿気はもうどこにも感じられない。夏はとうに遠ざかり、もの寂しさが滲む秋が訪れていた。
「なんか寒いね……」
隣を歩く真咲は、足をすぼめ、両手で体を抱くようにして身を縮こまらせている。まだ秋も深まってはいないけれど、こうして寒さを意識する季節にはなっていた。
「だから俺はマフラーを巻いてるんだよ。フリースじゃなくて、秋向けのアイスシルクだからな」
「よくわかんないけど」
「だから昨夜、タイツを履いてけって言ったんだ」
「いやだよ。タイツはまだ蒸れるもん」
「しょうがないやつだな……」
将来、おしゃれに走りすぎてスカート丈を詰めたりする不良娘にはなってほしくないものだ。
「なにさ……っ!?」
真咲がまばたきをした、その一瞬の隙に、俺は自分の首からマフラーを外し、くるりと彼女の首もとへ巻きつけた。
「お兄ちゃん……」
「どうかしたか?」
「ううん……なんでもない」
真咲は、自我に目覚めたばかりのロボットみたいに、きょとんと俺を見てから、そっとマフラーに手を触れた。それから、ふわりとほほえむ。どうやら気に入ってもらえたようだ。早起きした甲斐もある。
「そろそろ、あったかい服も買い足さないとなあ……」
「お金、だいじょうぶなの?」
そう言う真咲の声には、かすかな心配が滲んでいた。
「心配いらない。真咲はどんな服が着たいかだけ考えとけ。金はなんとかする」
「そっか。お兄ちゃん、ありがと」
「おう……いや、べつに」
てっきり飛び上がって喜ぶかと思ったのに、こんなに穏やかにお礼を言われるとは……今日はどうしたんだろう。あらためて彼女の顔を見ようとすると、真咲はすぐに顔をそらし、長い黒髪で頬を隠してしまった。
「気分が優れないなら、ちゃんと言えよ」
「優れなくなんかないし……もう、早く行こう!」
「お、おう」
急かされるままに歩きつづけ、二十分も経たないうちに近くの駅へ着いた。
LINEで白河と待ち合わせの連絡をしてあった。俺は真咲を連れて改札を通り、ホームで電車を待つ。週末とあって、人の出は思ったより多い。
「そういや、クラスのやつと出かけるのって初めてだな」
「もしかして照れてる?」
「照れてるっていうより、落ち着かないだけだ」
だいたい、今回の目的はデートじゃなくて、落としもののペンダント探しだ。……夢を頼りに行動してる俺たちは、ちょっとしたオカルトマニアにも見えるかもしれないが。
そんなことを思いながらスマホを取り出し、白河からのメッセージが来ていないか気にしておく。
ほどなく、市街へ向かう電車がゆっくりとホームに入ってきた。俺と真咲は同じ乗車口から乗り込み、空いている席に並んで腰かける。ドアが閉まり、揺れとともに電車が静かに走り出す。車内の乗客は多くなく、座席は八割ほど埋まっている程度で、立っているのは数人だ。
窓の外に目をやると、建物や街路樹が後方へ飛び去っていくだけの景色なのに、それでも不思議と心が落ち着く。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
ふと、真咲が思考をさえぎった。顔を向けると、スマホの端子に有線のイヤホンを差し込み、片方を自分で耳にあて、もう片方を俺に差し出している。
「はい、こっち」
「ああ……」
俺がイヤホンを受け取って耳に押し込むと、やわらかく澄んだ女性の歌声が流れてきた。恋愛をテーマにした、甘くかわいらしい曲調で、どこかのラブコメアニメの主題歌みたいだ。
「どう?」
「ああ、悪くないけど、とくに特別ってほどでもないかな」
「特別に決まってるでしょ! この歌手、いま一番人気のアイドルなんだから!」
「アニメの主題歌を気にしたことないし、アイドルを推す趣味もないしな」
「お兄ちゃんってば、つまんないんだから」
口ではそう言いつつ、真咲はおとなしく俺の隣に座り、ふたりでイヤホンを分けあって静かに音楽を聴いている。
そんなふうに黙ったまま二駅ほど過ぎ、もうアパートはとっくに見えなくなり、電車は市の中心部へ向かって揺れていく。ふと、むかし真咲とふたりでラブコメアニメを見た日々を思い出した。誰かと一緒に見るのは楽しいけれど、ときに気恥ずかしいシーンもあって、そのたびに兄妹で微妙な空気になったものだ。妹の前で自分の趣味をさらけ出すのは、いま思い返しても恥ずかしさで床に潜り込みたくなる。
「……」
イヤホンから流れる歌声がしだいに気持ちを落ち着けてくれたので、俺は目を閉じ、電車の揺れに身をまかせた。
十分ほど経ち、終着駅のホームに電車が滑りこむ。ドアが開いた。
「真咲、着いたぞ」
「ん……はあい」
どうやら俺の肩にもたれて眠っていたらしい。真咲は間延びした声で返事をし、目もとをこすった。昨夜もきっと遅くまで起きていたんだろう。
電車を降り、ホームから階段を下りて地下通路を抜け、北改札をくぐった。歩きながら、LINEで白河にメッセージを送る。
(俺たち、もうすぐ改札を出る)
(白河:ちょうど私も着いた。駅前の噴水で待ち合わせにしましょう)
(俺:問題ない)
階段を上がって地上へ出ると、ひらけた広場と明るい日差しが目に飛び込んでくる。
「噴水で待ち合わせだって。たぶん、あそこだな」
「なんだか、デートっぽくなってきたね」
「三人じゃデートとは言わないだろ」
思わず突っ込みながら、若者中心に行きかう人々のなかを眺めていると、やがてひとりの白いショートヘアの小柄な子が目に入った。まじまじと見るまでもなく、間違いなく白河だ。
ブラウン系のVネック裏起毛スウェットに、チェックの白いミニスカート、下は厚手の黒タイツ。足もとはダークブラウンの編み上げブーツ。俺の姿を認めると、小気味いい足音を立ててこちらへ歩み寄ってくる。
「お待たせしましたか?」
「いや、俺たちも数分前に改札を出たばかりで」
「よかった。時間はきっちり計算したつもりだったので」
ふたりで顔を見合わせて笑う。こういうさりげないユーモアのおかげで、俺みたいなぼっちでも気楽に接することができる。よく気の回る子だ。
「それで、どう思います?」
「なにが?」
「服ですよ。私だって一応女の子なんで、男の子の感想を聞いておきたくて」
「ああ……そういうことか」
なるほど、人間味があるというか……近寄りがたい雰囲気の白河でも、人の目を気にすることがあるんだな。
そんなことを考えながら、あらためて彼女の装いを眺めた。全体に落ち着いた色合いでまとめられていて、彼女の雰囲気によく馴染んでいる。かわいらしさと女らしさが、うまく調和している感じだ。
「すごくきれいだよ。よく似合ってる」
「そうですか」
「反応うすいな」
「だって……あなた、さっきも誰かに同じようなこと言ったんじゃないかと思って」
「はは……」
となりに立っていた真咲は、ぽりぽりと頬をかいた。「クラスメイトと一緒に出かけるのが初めてだから、ちょっと緊張してるんだよね」と小声で言う。
「それはかまわないけど、まさか二人揃って来るとは思わなかった」
「だって私は妹ですし。お兄ちゃんについていくのは当然です」
「ずいぶんお兄さんが好きなんですね」
「なっ……そ、そんなことないし」
真咲はわずかに目を伏せ、頬をほのかに染める。妹がそんな顔をすると、余計に保護欲をかき立てられてしまう。だったら、さっさと用を済ませて、ショッピングにでも繰り出すのが得策だろう。
「よし、行こうぜ」
「探検だー!」
やけにやる気満々で両手をあげた真咲を見て、白河もようやくうなずき、笑みを見せた。
「……ええ。ありがとうございます」
知り合ってまだ二日の転校生に微笑んでもらえたということは、案外俺もなかなか魅力的なのかもしれない。そう都合よく肩をすくめ、気合いを入れ直してから歩き出す。
× × × × ×
駅前の大通りを市街の外れへ向かって歩く。このあたりは街でいちばんの繁華街で、観光客や自撮り棒をかまえた配信者をしょっちゅう見かける。それでいて物価はよその街より安いから、俺がここを気に入っている理由のひとつだ。
歩きなれた道でも、となりに妹とクラスメイトがいると、景色が少し違って見える。
「月島くんは……このへんに詳しいんですね」
「まあ、二年近く住んでるからな」
「え? そうなんですか?」
意外そうな顔をされたが、それも無理はない。高校二年で、中学のときに知らない街へ越してきたようには見えないのだろう。俺だって、あのころはだいぶ苦労した。
真咲の様子をちらりと窺い、いまあいつがスマホに夢中なのを確かめてから、身をかがめて小声で白河に言った。
「まあ、ちょっといろいろあってな……」
「なるほど」
白河はすぐに事情を察してくれたらしく、その瞳にほんの一瞬だけすまなさそうな色がよぎった。
「私は今年の春に引っ越してきて、女子学校に通いはじめたけど、二ヶ月も経たずに転校になったんです」
「そりゃまたハードだな」
思わず苦笑が漏れた。
「そうなんです。高校だけでもう三校目です」
「じゃあ、この街に来る前にもなにか……?」
「いろいろありました。人を探してもいるんです」
「ずいぶん苦労してそうだな。なにか手伝えることがあれば、いつでも言ってくれ」
白河の口ぶりからは、彼女自身がなにか不愉快な体験を抱えてこの街へ来たことがはっきりと感じられた。プライベートを詮索する気はないけれど、できれば何か力になりたい。
「お兄ちゃん、白河さんにはやさしいんだね」
「俺は誰にでもやさしいんだよ」
いつか女の子に好人カードを突きつけられる日が来ても、このやさしさだけは曲げないつもりだ。それが月島明のこれまでの生き方だから。
「月島くんみたいな人が友だちいないなんて、ちょっと信じられないですね」
「兄貴はがんばりすぎて、友だち作る暇も体力もなかっただけなんだよ」
「そうなんですか。いろいろ大変だったんですね」
なんだか、俺を見る目がだんだん哀れみを帯びてきた気がする……。
「ゴホン……」
気まずくなって咳払いした。ふたりに褒められて悪い気はしないが、ちょっと持ち上げすぎだ。すれ違う通行人が「あの男子、二股か?」とひそひそ言う声も聞こえてきて、ひやひやする。
「二人の美少女とデートの気分はどうよ、にいちゃん?」
まるで小悪魔みたいな表情で、真咲が白河の陰からひょっこり顔を出した。
「妹が美少女かどうかは、まだ検討中でな」
「妹だからいいんじゃん。わかってないなあ」
バイト先でやたら経験者ぶる先輩みたいな台詞だ。殴りたくなる衝動が湧くが、ぐっとこらえる。なにしろ真咲は妹だからな。衝動は愛に変換されて消えていく。
俺の表情を見てか、白河がそっとささやいた。
「もしかして、シスコンですか?」
「い、いや……ちがう」
ややうしろめたさを覚えつつそう答え、結局だんまりと二人のあいだを歩いた。
市街の通りを抜けるにつれ、人の波もしだいにまばらになっていく。それでも女子高生やスーツの社会人があいかわらず行きかっている。そうこうするうちに、俺たちは女子学校の前に立っていた。
この学校については人づてに聞いたことがある。とにかく校風が厳しく、長期休みには成績優秀者だけを集めて補習をさせるらしい。そんなスパルタ教育はあまり好みじゃない。
実際に目にした第一印象は――
「……でか」
まず何より驚いたのは、校地の広さだった。レンガ色の校門から点字ブロックが校内へ延びている。守衛の詰所には人の気配がないが、それでも学校全体に漂う威圧感のようなものは隠せない。いったいこの敷地にどれだけの建物があるんだろう。学食だけでも三つはありそうだ。うちの生徒食堂なんて一つしかないのに。
正門からまっすぐ伸びる道の両側には高い木が立ち並び、同じくらいの高さの四角い校舎が次々と連なっている。校門から見上げると、中心にそびえる時計塔と翼の彫刻がはっきりと目に入った。夢で見たのと寸分違わない……背筋がうすら寒くなる。
「どうですか?」
白河が小首をかしげて、目で問いかけてくる。
「夢のまんまだ。ちょっと、これが現実なのか自信がなくなってきた」
「つねってあげましょうか?」
「できれば踏んでほしい」
「……」
「ごめん、冗談だ」
こんな妙なことを涼しい顔で口にした俺に、二人とも絶句してしまった。
俺と真咲は白河の後ろについて、女子学院の校地へ足を踏み入れた。なにがあったのか詳しくは知らないが、いまはもう生徒を受け入れていない。幸いにももともと生徒数はさほど多くなく、調整のうえで他校へ振り分けられたらしい。
SNSでは、女子学院の一部のお嬢様たちの愚痴ツイートがよく流れてくる。目に余る言葉も多いから、あまり見ないようにしているけれど。
「白河は、むかしここに通ってたんだよな」
「ええ。短いあいだでしたけど、勝手はだいたいわかってます」
「女子校かあ……ツンデレお嬢様がいっぱいいるんだろうなあ」
なにかの漫画を連想したのか、真咲の口もとが思わずほころんでいる。そういえば、夜中になるとこいつの部屋からオタクみたいな笑い声が聞こえてくることがあるが……あれも漫画を読んでいるのか。
そんなとりとめのないことを考えながら、三人で校舎のなかへ入る。校内の配置を知り尽くした白河が先導した。
「この先が、私の教室です……」
白河は廊下のつきあたりにある教室を指さし、それから顔をあげて、俺のほうを目で確認してきた。
「うん。夢でも、あの教室でペンダントが見つかった」
「もし本当に夢のとおりだったら、どうするつもりですか?」
「こっちのセリフだよ、白河」
ペンダントの持ち主は白河なのだから、どうするかは彼女が決めるべきだ。
そう投げかけると、白河はしばし胸に手を当て、迷うような表情を見せた。
けれど、すぐにいつもの落ち着いた顔に戻る。
「わかりました。どうあっても、私はあれを取り戻したい」
「よし、じゃあ行こう」
俺はふたりより先に立ち、夢に見たあの教室へ向かった。白河の力になりたいのもあるが、それ以上に、あの夢が本当なのかどうかを確かめたかった。
……なぜ急にそんなことを気にし始めたんだろう。
「ここです」
白河の声で我に返る。目の前には、うっすら埃をかぶった教室のドアがあった。
「……ふう」
ひとつ深く息を吸い、ドアノブに手をかける。覚悟を決めて力をこめると、軋んだ音とともに扉が押し開かれた。数ヶ月も使われていなかったせいで、蝶番がこわばっていたらしい。枠からこぼれた埃が落ちてこないよう、俺はあわてて腕で遮った。
カーテンが閉め切られた教室のなかはかなり薄暗い。でも、だからこそ、目指すものはかえってよく目立った。
「お兄ちゃん、あれ……」
真咲が指さす先を見て、俺は思わず息をのんだ。
夢で見たのと同じだ。水色のペンダントが、机の上に静かに横たわっている。
「本当に、ここにあったんだ……」
「でも、どうしてこんなところに……?」
白河の声は、隠しきれない動揺で震えている。すぐにペンダントを取りに行こうとはせず、うつむいてなにやら小声でつぶやいていた。
まさか、俺はまだ夢のなかにいるのか……そんなはずはないか。
「……ふう」
一歩踏み出し、手を伸ばして机の上のペンダントを持ち上げた。白河にとって大切なものなら、このまま放置しておくわけにはいかない。誰かに持ち去られるよりはいい。
「白河」
「……はい。すみません、ちょっと呆けてました」
白河は俺からペンダントを受け取ると、ようやく落ち着きを取り戻し、まるで宝物を扱うみたいに、ぎゅっと手のひらに握りしめた。
「うーん、謎は深まるばかりだねえ」
「おまえは探偵かよ」
「だって、そっちのほうがかっこいいし。それにこの学校、いまじゃ有名な心霊スポットなんだから」
「はいはい。目当てのものも見つかったし、そろそろ出ようぜ」
もしあとから動画撮りに来た連中に見つかったら、ろくな言い訳にならない。そう判断したのか、白河はペンダントをポケットにしまい、俺たちと一緒に校舎をあとにした。てっきり少しは名残を惜しむかと思ったが、彼女にとってこの場所は、どうやらさして思い入れのある場所ではないらしい。
「付き合ってくれてありがとうございました。まさかこんなところにあるなんて……」
「妙な話だけど、見つかったのがいちばんだ」
学校を出ても、白河はすぐに別れて帰ろうとはせず、成り行きでショッピングモールまで一緒に洋服を見に行くことになった。曰く、これがペンダント探しを手伝ってくれたお礼なのだそうだ。
「へえ〜、お兄ちゃんがいつか春夢でも見たらいいのにね」
「もしかして、もう見てたりしてな」
「うわ、この人、変態だ……」
真咲はきゅうり一本分くらい距離を取り、心底いやそうな目を向けてくる。俺はべつに構わないが、白河の前でそういう話をするのはやめてほしい。誤解される。
「白河はなにか買いたいもの、あるのか?」
「いろいろあります。ペンダントが見つかって、ほっとしたので……これで心置きなく買い物ができます」
そう言う白河は、無意識のうちにそっとほほえんでいた。
「よかったな。ちょうど真咲に服を買ってやろうと思ってたところだし、一緒にどうだ?」
「いまさら誘うのおそすぎでしょ」
「どうせついてきてるんだし、形式だけだよ」
わざと肩をすくめてみせると、白河は目をぱちくりさせた。
「見かけとずいぶん違うんですね。少し驚きです」
「そうか?」
「想像以上に図々しいです」
「……あ、そう。はは……」
まさかそんな評価をもらうとは。うん、俺、なかなかやるじゃないか。
通りを一本抜けると、ショッピングモールの入り口に着いた。
白河は施設案内図をじっと見ながら、腕組みをして考え込んでいる。
「けっこう広いんですね……私、初めて来ました」
「マジか。白河はふだん買い物とかしないのか?」
「ネット通販か、コンビニで済ませてます」
まさかのインドア派だった。
頭のなかには自然と、一緒に漫画専門店やゲーム街をぶらつく構図が浮かんでくる。けれど、今回はあくまで服を買いに来ただけだ。いろいろ手を出しすぎると、かえって時間の無駄になる。
「じゃ、入ろうか。真咲にもなにか買ってやらなきゃいけないし」
俺がそう言うと、白河はとくに異論もなくうなずいた。真咲は多少ぶつくさ言っていたが、それでもおとなしく後ろをついてくる。
俺が三人の先頭に立ち、広い館内を進む。普段から食材の買い出しはこうした大型モールを利用しているから、エリアが複雑でも迷子にはならない。
「すごい品揃えですね……さすがショッピングモール」
「コンビニよりはにぎやかだろ?」
「でも、ネット通販よりずっと高いんですね」
「……それは、まあ、否定できない」
愚痴りつつも、あちこち熱心に見て回り、実物のグッズを眺めてはちょっとした興奮を覚えているようだ。店員が興味のありそうな目つきの白河に気づき、「お包みしましょうか?」と近づくと、彼女は気まずそうにぶんぶん手を振って断る。
だから、オタクっぽい客を見かけても、店員さんはあまり売り込みに行かないほうがいいと思う。
そうしてぶらぶら歩いているうちに洋服売り場へ着き、真咲はたちまち色とりどりのレディースファッションに目を奪われた。
「わああ、かわいい服がいっぱい!」
「あまり遠くに行くなよ」
「わかってるって」
もう高校生のくせに、まるで初めておもちゃ売り場に来た子みたいにあちこちへ走っていく。でも、これが妹のかわいいところだ。
「白河も、なにか服を見たらどうだ」
「はい、ちょっとだけ」
彼女も展示品のあいだをゆっくり歩き、やがて一体のマネキンの前で立ち止まった。
「これ、あなたの妹さんにすごく似合うと思います」
「そうか?」
マネキンが着ているのは、白地に細かいストライプの入ったオフショルダーワンピースだ。スカートの丈もほどよく安全圏で、生地が薄手のため、肩を出すことで自然と涼しげな印象になる。このワンピースを着た真咲を頭のなかで想像してみると――
「うお……天使が見えた」
「なにを言ってるんですか」
「なんでもない。まずはそっちの買い物を済ませてくれ。俺はあっちで待ってるから」
異性の俺が近くにいると、白河も服を選びづらいだろう。女性ものの売り場へ入っていく彼女を見送ってから、出入り口に置かれたベンチに座って待つことにした。
妹に鍛えられたおかげで女の買い物に付き合うのには慣れているから、待ち時間のだいたいの見当もつく。……ところが、五分も経たないうちに、白河はレジを済ませて戻ってきた。
「もう買い終わったのか?」
「ええ。これ、私にぴったりだと思ったから、すぐ決めました」
「決断はええな……」
思わず感嘆のため息が漏れる。そのころ、真咲はまだ少し先で、二着のワンピースを前に悩み続けている。
白河が俺の隣に座ったとき、彼女がまだペンダントを手のひらに握りしめているのに気がついた。
「そのペンダントのこと……聞いてもいいか?」
「これですか?」
白河はペンダントを顔の前に持ちあげ、それから俺を見た。その目が、しだいにやわらいでいく。
「母の形見です」
「……え?」
その答えに、心臓がドキリと沈んだ。胸の上に石ころを乗せられたみたいに重くなる。ようやく口を開くまで、だいぶ時間がかかった。
「……悪かった」
「いいえ。もうずいぶん前に、吹っ切ってますから」
「白河は、強いんだな」
「ぜんぜん、そんなことありません」
彼女は苦く笑って首を横に振り、手のひらをそっと開いてそのペンダントを見つめた。
「ただ、母のような人になりたいだけです」
「お母さんって、どんな人だったんだ?」
「私が思うに……魔法少女みたいな人です」
その曖昧な言い方に、俺は思わず首をかしげた。
「魔法少女?」
「ええ。誰の目にもまぶしくて、あたたかくて、いつも希望をくれる……母が生きていたころは、家でいつも父とイチャイチャしていて、私の居場所がないくらいでした」
「なんとなく想像できる」
家族のことを話す白河の目には、人にうつるかのような優しさが浮かんでいた。彼女のこんな顔を見たのは、初めてだ。
「だから私も、母と同じように、誰かの役に立てる存在になりたかった。でも、できなかったんです」
「白河……」
「結局、大事な友人まで傷つけてしまいました」
そう言うと、彼女はひとつ深く目を閉じて息をつき、気持ちを切り替えるように顔をあげ、申し訳なさそうにこちらを見た。
「ごめんなさい。なんだか愚痴みたいになっちゃって」
「誰だって、そんなときはあるよ。気にするな」
この世の中の多くの人は、大小あれど、かなえられなかった夢や果たせなかった願いを抱えている。でも、よかった。俺は彼女を手伝うことを選んだ。あのペンダントが彼女にとってどれだけ大切か、その重みは、俺の申し訳なさなんかよりずっと大きなものだ。
まだもう少しだけ白河の話を聞いていたかったが、洋服売り場のほうから真咲が手を振って俺を呼んだ。
「あなたは先に行ってあげてください。私はここでもう少し休んでるので」
「わるい。すぐに戻る」
洋服売り場まではそれほど距離もないし、なにかあってもすぐに駆けつけられる。
ベンチを立ってもとの場所へ戻ると、真咲は耳のあたりの髪を指でとかしながら、ハンガーから服を取っているところだった。
「どうだ、気に入ったのはあったか?」
「うん。……これでいいかな」
「お……」
少し意外だった。彼女が手にしているのはシンプルなトレーナーだ。見た目こそ地味だが、値段は安い。割引品だ。
「こんなので満足かよ」
「どうせ服なんて、うちで洗い直せばちゃんと着られるし」
「それでも、たまにはきれいなワンピースも買ってやらなきゃな。……ほら、これなんか」
やや迷い顔の真咲をよそに、さっき白河が勧めてくれたワンピースを手に取り、真咲の体の前であてがってみる。
ううん……少し丈が長いな。スカートの長さが安心できるのはいいが、そのぶん歩きにくそうだ。でも、このくらいで音をあげるわけにはいかない。かつて俺は、ちゃんと洋裁まで習った男だ。
「よし、このワンピース、すごく似合ってる……真咲?」
自信たっぷりに薦めようとしたとき、真咲の頬が、いつのまにか熟れたリンゴみたいに真っ赤になっているのに気づいた。視線もしきりにあちこちへ泳いでいる。
「どうかしたか?」
「え? い、いいや……なんでも……。あの、それ、高くない?」
「たしかに少し高いけどな。前にも言っただろ。バイトで稼いだ金が俺たちの暮らしを豊かにできなきゃ、なんの意味もないって」
「お兄ちゃん……」
何を考えているのかはわからないが、ふだんの毒舌妹に比べると、ずいぶんとしおらしい。真咲は二、三歩さがると、俺からそのワンピースを受け取り、大事そうに胸に抱えた。
「ありがと。じゃあ……これ、買ってもいい?」
「それでこそだ」
不安から喜びへ変わっていく彼女の表情に、心の底から温かいものを感じ、そのまま手を伸ばして、そっと彼女の髪に触れた。真咲は日ごろから見た目をきちんとしているから、髪の手ざわりは細くてやわらかく、まるで絹糸のようにしなやかだ。左右にそっと揺らすと、気持ちのいい感触が手に残る。
多少不服そうな顔も見せたが、真咲は目を伏せて、なすがままに俺の手を受け入れていた。
レジで会計を済ませるとき、こっそりスキンケア用品も買っておいた。でも真咲には秘密だ。どうせ無駄遣いが過ぎるって怒られるに決まっている。
ショッピングモールを出てから、この話を白河に伝えると、彼女はあきれ顔で目を細め、冷ややかに言った。「やっぱり妹が好きなんですね……しかも、かなり重症の」
否定できる要素はゼロだった。
気まずそうに頬をかく俺をしり目に、三人で駅へ戻る。白河の住む住宅街へ帰る方向がたまたま同じだったので、自然と足はそちらへ向かった。
「白河さん、よかったら途中まで一緒に帰らない?」
「……いいですよ」
少し考えてから、白河はかすかに笑って返事をした。どうせ同じ方角へ帰るなら、いまここで別れる必要もない。
道すがら、真咲と白河はファッション誌や電子ゲームの話題で盛りあがっている。
長いゆるやかな坂をのぼりきると、駅の改札に着いた。行きとくらべてホームはかなり混んでいて、どうやら帰宅ラッシュの時間帯にぶつかったらしい。それでも運よく、電車にはまだ空席がいくつかあった。もし立ちっぱなしで帰る羽目になっていたかと思うと、考えるだけで息が詰まる。
電車が小さく揺れてから、ゆっくりと発車する。
俺は後部ドアに近い席に座り、その隣には真咲、さらにその隣に白河が座った。耳に入るのは、電車の走行音や窓を叩く風切り音、そして乗客たちのざわめきばかりだ。
「それ、音楽ですか?」
隣の真咲がイヤホンをつけたのを見て、白河が興味ありげに尋ねる。
「うん! 私、移動中に音楽を聴くの、だいすきなんです。白河さんも聴いてみます?」
「白河でいいですよ」
「じゃあ……白河お姉ちゃん、イヤホンどうぞ」
白河はこくりと頷くと、イヤホンを受け取って耳に当てた。すっかり打ち解けたようで、安心した。そのまま少し目を閉じて休もうかと思ったが、その前に、耳に何かが押し込まれた。
「おい……」
「お兄ちゃんも聴けばいいじゃん」
「それはべつに構わないが、これじゃおまえ、聴こえないんじゃないか」
「もう何度も聴いてるから、歌詞を見てれば十分だよ」
「……そうか、わかった」
白河とイヤホンのコード越しに目を見合わせて笑う。とたん、耳に流れ込んできたのは、優しく透きとおる歌声だった。恋愛の香りがあふれるこういう曲は、俺にとってはかなり好みの部類で、バイトのあとに聴くと気持ちがほぐれる。
「白河お姉ちゃん、どう?」
「いい曲ですね……なんだか不思議な感じがします」
「へえ〜、気に入ってもらえてよかった」
不思議って、ちょっと大げさじゃないか。
「あの……この曲、誰が歌ってるんですか?」
「え?」
思いがけない質問に、スマホの画面を眺めていた俺も顔をあげた。
「突然、どうしてまた」
「ちょっと気になって」
そういうことなら、たぶんアレだろう。なにか言いづらい事情があって、はっきりは言えないんだろうな。
「この曲、歌ってるの、すっごい人気のアイドルなんだよ!」
「アイドル?」
その手のことに詳しい真咲が、さっそくスマホで何かのSNSを開いて見せてくれた。アカウントの情報は公式運営らしい。そこに記された名前は――
『桜井結月』
「顔出しはしてなくて、配信もいつもバーチャルキャラでやってるんだけど、その歌唱力とあまい声で大ブレイクしてる新人アイドルなんだよ」
「なるほど。ありがとう」
「えへへ……よかったら、他の曲もいっぱい持ってるから聴いてみる?」
耳もとにはふたりの会話のほかに、あいまいな話し声もいくつも重なって、異国の言葉みたいにごちゃ混ぜになって聞こえてくる。
俺は目を閉じて、音楽の力を借りながら、知らず知らずのうちに体の力を抜いていった。車両の座り心地は悪くないし、今日はよく歩いたから、つい眠気がやってくる。
左肩に、真咲の右肩がふと触れた。彼女のぬくもりがそこからじんわり伝わってくる。その体温を感じているうちに、睡魔には勝てなくなり、意識はゆっくりと夢のなかへ落ちていった。




