第四部 第7話:無自覚な神威と、高潔なる四重詠唱
小瓶にして数千本分にも及ぶ超高純度の聖水が、スピカのたった数秒の詠唱によって一瞬で完成する。
あまりにも規格外すぎる神威。
圧倒的な魔力量と、それを一切の無駄なく行使する神聖魔法の技術を間近で目の当たりにし、第三の聖女候補であるヴィンデミア・ブランジネットは、サファイアブルーの瞳を限界まで見開いたまま、ただただ呆然と佇むことしかできなかった。
「……バケモノなの……?」
普段はどこか抜けていて、恋バナに花を咲かせるどこにでもいるような少女。……だが、その本質は間違いなく、世界を揺るがし平伏させる本物の『神の寵児』であった。
ヴィンデミアは、第一聖女候補・スピカ・マセットが易々と起こしてみせた奇跡を前になすすべもなく、驚愕に顔をひきつらせ表情を改めることすらできずにいた。
一連の聖水錬成作業を終え、汗ひとつかいていないスピカへ、管理人のアルバートが恭しく声をかける。
「スピカちゃん、今日もお疲れ様。またまたありがたいものを見せてもらったよ。君の聖水が作られる光景を見ているだけで、なんだか寿命が数年は伸びる気がするよ」
「まぁ! アルバートさんたら、お上手なんですから〜。そんなこと言われたら、私また張り切っちゃいますよ?」
スピカはコロコロと鈴を転がすような声で明るく笑った。
作業台の階段を軽くトントンと降りてきたスピカは、未だに開いた口が塞がらない様子で固まっているヴィンデミアへ、気安く声をかけた。
「お待たせ、ヴィンデミアちゃん! 寮に戻りましょうか」
「……ええ。そうね」
ヴィンデミアは、自分でも驚くほどか細い声で静かに返答した。
女子寮へと続く夜道。静寂が二人を包み込む中、ヴィンデミアは胸のつかえに耐えかねたように、前を行くスピカへ問いかけた。
「……スピカさん。貴方は、一体どういうつもりで……どういうお気持ちで、聖水を作っていらっしゃるの?」
スピカは少し首をかしげ、夜空を見上げながら考えるように答えた。
「う〜ん……どういうつもり、かぁ。私はね、自分が作った聖水が、困っている誰かのほんの少しでも役に立てばいいなぁ、と思って作っているだけよ?」
「……聖女としての、義務感や野心ではなく?」
「私ね、無理に『聖女様』なんて大層な存在にならなくてもいいかなぁって思っているの。……」
「そうね、私はただ、困っている人のために聖水を作ってあげられる親切なおねーさん……それからおばさんになって、最後は優しく微笑んでいるおばーさんになれたらいいなぁって。そう思っているの」
それを聞いたヴィンデミアは、ピタリと足を止め、しばらくの間何も言わずに言葉を失っていた。
やがて寮の自室の扉前まで辿り着いた時、ヴィンデミアはゆっくりと振り返り、冷ややかな、しかしどこか揺れる瞳でスピカを見つめた。
「……無自覚、っていうのかしらね」
「え?」
「……貴方って、本当に嫌味な人なのね」
不意に投げかけられた言葉にスピカが目を丸くする間もなく、ヴィンデミアは「おやすみなさい」と短く告げると、スピカに完全に背を向け、バタンと静かにドアを閉めてしまったのだった。
◇
翌日――。
この日は、週に一度開催される『エキティカ聖女機構』の教義の日であった。各国から高名なハイアークプリーストが招聘され、聖女候補たちへ必要な教養や高度な技術を伝授する日である。
『エキティカ聖女機構』――。
先の国際学園サミットを機に発足した、エキティカ7ヶ国が共同で運営する国際組織。その主たる目的は、聖女候補の保護と育成、そして支援であった。
この組織の運営は、極めて順調に機能していた。各国の分担体制もさることながら、資金面において絶大な効果を発揮していたのが、他でもない「スピカの聖水」であった。
無償で各国の寺院や医療施設へ配分されるのが基本であったが、機構の運営資金確保のため、ごく一部が一般市場へ流通されていた。
『本物の聖女が作った聖水』は超高値で取引され、莫大な資金を機構にもたらした。
さらにミルキーウェールズやブリデンの優れた頭脳陣が市場を巧みにコントロールし、安定した財源を確立。シリウスやカノープスたちの立案により、世界規模の様々な福祉計画や貧困救済策が進められる目処すら立ち始めていたのである。
だが裏を返せば、このシステムは「聖女という存在が国家に莫大な富と権力を与える」という事実を、各国の首脳陣へ強烈に印象付ける結果にもなっていた。
本日の講義には、ブリデン王国から招かれた高名な老ハイアークプリーストが壇上に立っていた。
そして見学席には、第一王子シリウスとカノープスの姿もあった。
実質的に今日の教義は、ロメーダ帝国ゆかりの『第三の聖女候補』ヴィンデミアの実力をお披露目する、国際的な政治の場でもあったのだ。
ピンと緊張感が張り詰める中、ヴィンデミアは壇上に進み出た。
彼女は机の上に置かれた、一杯の澄んだ水が入った銀の器に静かに意識を集中させる。
『――エンチャント・ロングターム・ラージヒール!!』 (長期回復付与)
『――エンチャント・ロングターム・ホーリー!!』 (長期神聖付与)
サファイアの瞳に鋭い光が宿る。ヴィンデミアの詠唱はそこで終わらない。さらなる神聖魔力を編み上げていく。
『――エンチャント・ロングターム・リムーブポイズン!!』 (長期解毒付与)
『――エンチャント・ロングターム・リムーブパラライズ!!』 (長期麻痺解除付与)
神聖な光が幾重にも重なり合い、銀の器の中の水が、極めて緻密でクリスタルのように透明度の高い輝きを放ち始めた。
それを見ていたスピカは、目を丸くして心の中で叫んだ。
(す、すごーーーい!! まさかの『四重詠唱』!? 私なんて、この前やっと『二重詠唱』ができるようになったばかりなのに……!!)
量においてはスピカの規格外な魔力量に及ばずとも、付与する術式の精密さ、そして『長期保存・多機能』という「質」の面において、ヴィンデミアは完璧な聖水を作り上げて見せたのだ。
ブリデンのハイアークプリーストは感嘆の溜息を漏らし、深く頭を下げた。
「……素晴らしい。見事なまでの術式の美しさ。この件(聖水精製)に関して、私からお教えできることは何一つございませんな」
老神官は称賛を贈ると、今度は静かに見守っていたベガ・ドウィンへと視線を向け、穏やかに囁いた。
「ベガ殿。貴方もひとつ、試されてみてはいかがかな?」
ベガは表情一つ変えず、即座に涼しい顔で答えた。
「私はパスで……」
(……自分の不得意な土俵には、絶対に立たないベガ様であった)
スピカは横で一人、深く納得の溜息をつくのだった。
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