第四部 第5話:メンタル至上主義と、毒虫の罠
魔法生物飼育室での過酷な作業――小魔法生物たちへの魔力提供や、不気味な飼育ケースの掃除など一通りの仕事を終え、スピカ、ヴィンデミア、ザニアの三人はようやく解放された。
委員長のサム・ペンサーは、機嫌良く鼻歌を交えながら三人に手を振った。
「いやぁ、今日は本当に助かったよ! また来週もよろしく頼むよ。魔法生物たちはいつでも君たちを待っているよ!」
運動着姿のヴィンデミアは、サムの笑顔を軽く鋭い視線で睨みつけると、どこかふらふらとした覚束ない足取りで飼育室を後にした。トグへもんに頭部を丸呑みにされ、顔中を舐め回された屈辱と疲労が、まだ尾を引いているようだ。
そんな彼女の後ろから、スピカがパタパタと駆け寄って声をかける。
「ヴィンデミアちゃん! 私はこれから『アークプリースト訓練施設』に行って修行をするんだけど……ヴィンデミアちゃんは今日、トグへもんさんに魔力を提供したばかりだし、修行はやめておく?」
その言葉を聞いた瞬間――ヴィンデミアのサファイアブルーの瞳に、ギラリと鋭い意思の光が戻った。
(……トグへもんに舐め回されたくらいで、私が引くわけにはいかない……!)
「いいえ。私もご同行させていただくわ」
◇
こうして三人は、敷地内でも一際厳重に封鎖された「上級ジョブ訓練施設」の検問所前へとやってきた。スピカが柵の前に立つ衛士に気安く声をかける。
「リョーマさん、こんにちはー!」
「これはこれは、こんにちはスピカ様。どうぞ中へお入りください」
衛士のリョーマは朗らかに応じたが、スピカの後ろに続くヴィンデミアとザニアの二人を見ると、すっと真面目な顔になって制した。
「失礼だが、お二人のお名前は?」
「ヴィンデミア・ブランジネットです」
「……ザニア・サスク」
二人がそれぞれ名を告げると、リョーマは手元の分厚い名簿に目を落とし、素早く確認した。
「……はい、確認できました。ヴィンデミア様はアークプリースト、ザニア様は忍者でございますね。どうぞお通りください」
無事に検問を抜けると、ヴィンデミアが不思議そうにスピカに話しかけた。
「……このエリアに入るのは、やけに検問が厳重なのね?」
スピカは思いつきでテキトーに答える。
「あー、このエリアは一部の上級ジョブの生徒しか入れないのよ。やっぱり、こう……『プレミア感』を出すためかしらね?」
スピカの言葉に疑問を覚えたヴィンデミアは持論を述べた。
「プレミア感……? いいえ、これは単なる優越感ではなく、将来国を背負う若く貴重な人材を、陰謀や刺客から確実に保護するための防犯措置じゃあないかしら」
「ッ!」
それを聞いたスピカの顔が、一瞬で真っ赤になった。
(う、うわぁぁぁ〜〜〜っ! ヴィンデミア様の前で『プレミア感』とか適当なバカっぽいこと言っちゃったぁぁぁ! 流石公爵家のお嬢様、物の考え方の次元が違うわね……恥ずかしい……!)
スピカが一人で精神的ダメージを受けている間に、一行はアークプリースト訓練施設の重厚な扉の前まで辿り着いていた。
スピカがゆっくりと扉を開けると、そこにはメレンヘア学園校長でありハイアークプリーストのドン・ウイリーと、一人の先客が教義を受けている最中であった。
ベガ・ドウィン――。
メレンヘア学園生徒会会計を務める、艶やかな黒髪を持ったミステリアスな美女。
学園「四天王美女」の一人であり、言い寄る男子生徒を何人も冷徹に撃沈してきた実績を持つ。その実体は、いざとなれば対邪神龍の秘密兵器を身に忍ばせている物騒な薬剤師にして、鋼鉄の意志を持つアークプリーストである。
「こんにちは、校長先生! ベガさん! 今日はヴィンデミアさんとザニアさんを連れてきました!」
スピカが明るく挨拶すると、ベガがゆっくりと振り向き、ヴィンデミアへと視線を向けた。
「私はベガ・ドウィンよ。よろしくね」
ヴィンデミアもまた、気品ある動作で一礼を返す。
「ブランジネット公爵家長女、ヴィンデミアです。お見知りおきを、ベガ・ドウィン様」
そう口にしながらも、ヴィンデミアはベガから漂う只者ではない気配を感じ取り、彼女の漆黒の瞳の奥をじっと覗き込んだ。
(……ベガ・ドウィン。スピカ・マセットに並ぶ、ミルキーウェールズ第二の聖女候補。先のクラーケン討伐では、完全に海の魔王を沈黙させたという実力者……。やはり、只者ではないわね)
二人の視線が交錯し、静かな火花が散る。その横でスピカは感嘆の息を漏らしていた。
(うわぁぁ……二人とも何か只ならぬオーラで、高度な探り合いをしてらっしゃる……! 私みたいなのが入っちゃいけない空気感だわ……)
そんな緊迫した室内を一瞬で和ませたのは、校長のドン・ウイリーであった。
「フォッフォッフォ! ようこそ、ミス・ヴィンデミア・ブランジネット。今日は見学かな? それとも、早速訓練を始めるのかな?」
「訓練を受けるつもりで参りました」
ヴィンデミアが即答すると、ハイアークプリーストであるドン・ウイリーの眼光が、ぎらりと鋭く光った。
「良し! では問おう、ミス・ヴィンデミア。アークプリーストに最も必要なものは何かな?」
ヴィンデミアは誇り高く、即座に答えた。
「……清らかなる『信仰心』でしょうか?」
ドン・ウイリーは自信満々に胸を張り、太い声で言い放った。
「メンタルじゃ!! アークプリーストとは、圧倒的な『メンタル』の持ち主のことなのじゃよ!!」
「……はい?」
予想外すぎる脳筋論理に、ヴィンデミアが呆気にとられていると、スピカがふと疑問に思ったことを尋ねた。
「あの、校長先生。カーライム先輩は今日、どうされたのですか?」
ドン・ウイリーは急に気まずそうに咳払いをし、歯切れ悪く答えた。
「……み、ミスター・カーライムはな……『メンタル不調』のため欠席じゃ」
「「…………」」
ヴィンデミアは完全に言葉を失った。アークプリーストの先輩すら精神を病んで休むほどの何かが、ここにはあるというのか。
ドン・ウイリーは誤魔化すように大声を出した。
「コホン! とにかく、今日からメンタルを徹底的に鍛えてもらうぞ!!」
◇
そこから始まったのは、まさに想像を絶する奇行――いや、修行であった。
狂気のような激流に身を投げ出し、意識を保つ「滝行」。
どこからともなく不気味な怨霊の笑い声が響き続ける「呪いの部屋」。
そして――決定打となったのが、最後のアスレチックであった。
『――毒虫部屋――』
扉を開けた瞬間、ガサガサと不快な音が響き渡る。
部屋の床一面に蠢くのは、無数のムカデ、毒蜘蛛、巨大なサソリ、猛毒を持った蛇……そして得体の知れない多数の怪しげな虫たち。
噛まれた場合は自らの『リムーブポイズン(解毒術)』で即座に治療すれば良いのだが、精神的苦痛は計り知れないものがある。
「…………」
ベガは一切の躊躇もなくその部屋の中へ素足で踏み込むと、うごめく虫たちの真ん中で静かに座禅を組み、瞑想を始めた。
スピカは引きつった笑顔で、申し訳なさそうに断りを入れた。
「あ、あの……私は今日もパスで……」
すると、虫に囲まれながら瞑想していたベガが、片目をピクッと開けてスピカに注意を促した。
「あなた、この部屋いつもパスしてるわよ? 聖女候補としてメンタルを鍛えなくてどうするの」
ベガはそのまま、固まっているヴィンデミアにも視線を向けた。
「……あなたはどうするの?」
ヴィンデミアは青ざめた顔で、見たこともないほどか細い声で答えた。
「……わ、私も……パスで……」
(……毒虫に耐えることなんて、聖女には関係ないわ……絶対に違うわ……!)
心の中で自分に強く言い聞かせ、必死に現実逃避をするヴィンデミアであった。
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