第四部 第4話:洗礼
編入初日の放課後。
メレンヘア学園指定の運動着に着替えたスピカ、ヴィンデミア、ザニアの三人は、重い足取りで校舎の裏手にある生物飼育室へと向かっていた。
その道中、先ほどからずっと何事かを思い詰めた表情をしていたヴィンデミアが、意を決したようにスピカに尋ねた。
「……スピカさん。先ほど教室で、誰かが『魔法生物飼育委員は穴という穴から』とか、不吉なことを言っていたけれど……あれは一体どういう意味なの?」
サファイアブルーの瞳に、隠しきれない不安の色が浮かぶ。スピカは一瞬気まずそうに視線を泳がせたが、観念したように小さな声で答えた。
「あー……それね。この委員会にはね、『いもづる姫』っていう、それはもう触手がにゅるにゅるした魔法生物がいてね……。半年に一度、魔力提供の日がくるのよ。その時、飼育委員の中の誰か一人が、その……全身の『穴という穴』からにゅるにゅると触手を受け入れて、魔力を根こそぎ捧げなきゃならないっていう、暗黙のルールがあるの……」
「…………」
(触手が、にゅるにゅる……。あらゆる穴に……)
脳裏に凄まじく不適切な映像が過ったヴィンデミアは、一瞬にして白目をむいた。名門ブランジネット公爵家の令嬢として生を受けて以来、これほどまでの破廉恥かつ恐怖に満ちた概念に触れたことはなかった。
彼女はすぐさま正気に戻ると、青ざめた顔でスピカに詰め寄った。
「そんなの……! いろんな意味で許されるの!? 倫理的にも、教育的にも! スピカさんは(聖女候補とあろう者が)そんな破廉恥な行為、平気なのですか!?」
ヴィンデミアの必死すぎる訴えに、スピカは苦笑いを浮かべながら宥めるように手を振った。
「大丈夫、落ち着いてヴィンデミアちゃん。実はついこの前、委員長がその生贄になったばかりだから、しばらくは大丈夫よ。……万が一、私たちの代でその時期がきたら、その時はみんなで結託して学園を欠席しましょう。」
(卑怯な真似はしたくはない……。ブランジネット家の誇りに懸けて、逃げ出すなど……!)
高潔なヴィンデミアの魂はそう叫んだが、次の瞬間、迫り来る触手の山を想像し、彼女は静かに、しかし固く心に誓った。
(……この提案だけは、謹んで受け入れよう)
◇
重苦しい空気のまま生物飼育室の扉を開くと、そこには一人の男子生徒が待ち構えていた。
魔法生物飼育委員長兼魔法生物部部長、サム・ペンサー。彼は瞳を怪しく光らせ、ニチャリと不気味な微笑みを浮かべて三人を出迎えた。
「素晴らしい! 今日はなんて素晴らしい日なんだ! 我が学園が誇る魔法生物の素晴らしさを深く理解してくれるビューティフルなレディーが、この委員会に二人も加わるなんて。……おっと、挨拶が遅れたね。僕が委員長のサムだ。さあ、君たちも魔法生物の素晴らしさに惹かれて、自ら志願してこの委員会に入ったんだろ?」
サムは芝居がかった動作で歓迎の意を示す。
「……そういう訳ではないわ」
ヴィンデミアは感情の消えた声で、にべもなく即答した。望んでここに来たわけではない。仕組まれたくじ引きの結果だ。
その様子を外から眺めていたスピカは、心中でサムの表情を冷静に分析していた。
(サム委員長……歓迎の言葉とは裏腹に、明らかに『新しい生贄が増えた』って喜びを隠しきれていない表情をしているわ……)
スピカの懸念を余所に、サムはテンション高く、飼育室の奥に鎮座する巨大な影を指差した。
「さあ! 記念すべき第一歩だ! 君たちに紹介しよう! 我がメレンヘア学園が誇る、筆頭魔法生物! ――ミスタートグへもんだ!!」
サムの過剰ともいえる豪快な掛け声とともに、飼育室の暗がりからゆっくりと現れたのは……見る者の語彙力を一瞬で消し飛ばすほど、奇妙で、奇怪で、そして理不尽な恐怖をそそる姿をした生物だった。
頭部の大きさは、直径1メートルほどの巨大な球体。その中心で、ギョロリと大きく鋭い二つの眼光が怪しく光っている。口は耳元まで裂けるように大きく、その中には獲物を噛み砕くための頑丈そうな牙がズラリと並んでいた。皮膚の質感はザラついており、まるで大型の肉食爬虫類のそれだ。
ヴィンデミアは想像を絶する不審生物の登場に、ブランジネット家の仮面が剥がれ落ち、本音が口から漏れた。
「怖っ……!!」
すると、その凶悪な面構えをした化け物が、裂けるような大口を開いた。
「僕、トグへもん。みんな~よろしくね~」
「…………」
姿に反して、脳がバグりそうなほど愛嬌のある、可愛らしいアニメ声だった。あまりのギャップに、ヴィンデミアが困惑する間もなく、サムは戦慄の言葉を口にする。
「よし、挨拶は終わりだ! それじゃあ、まずはミスタートグへもんへの『魔力提供』から始めるよ!」
「ミスタートグへもん! ご指名をお願いします!」
「うん! 分かった~!」
トグへもんは愛想良く応え、ギョロリとした眼光を飼育委員たちへ向けた。
(……指名制!?)
ヴィンデミアの背筋にイヤな予感が走る。
サムの指示でスピカ、ザニアを含む委員全員が一列に並ぶなか、トグへもんが短い人差し指を立てて、一人一人の前をゆっくりと品定めするように歩き始めた。
「だれに……しよう……か……な!!」
トグへもんの指がピタリと止まる。指し示された先にいたのは――ヴィンデミアだった。
「君に決定! はじめましての、君さ!」
トグへもんが軽快に宣言する。
「ひぃー……っ」
ヴィンデミアが恐怖で白目を剥く間もなく、サム委員長によって、ピンク色のシャンプーハットに半透明のローブがくっついた、明らかに「液体の汚れ防止」を目的とした奇妙な雨具が、強引にヴィンデミアに被せられた。
(えっ、なに? この、屈辱的な格好は……!)
ヴィンデミアが動揺で完全に固まっていると、トグへもんが目の前で、自身の頭部と同じくらい大きな大口をパカリと開けた。
「いただきまーす!」
「え……ええええええええええええ!?!?!?」
――直後、ヴィンデミアの目の前が真っ暗になった。
なんとトグへもんは、その巨大な口で、ヴィンデミアの頭部をパクりと丸呑みにしたのだ。
外界の音が遮断され、生温かく粘着質な感触が頭部全体を包み込む。
(えっ? 私……! 舐められてる!? この私が? 凄く、凄まじい勢いで……顔を舐め回されてる!!)
彼女の困惑と屈辱を余所に、暗闇の中にトグへもんの能天気な歌声が響き渡った。
『ひょーの、ほのほもおいひーな♪ じゅるり♪』
(今日のこの子もおいしーな♪)
(なんなの!! この歌はぁぁぁーーーー!!!)
トグへもんが妙なリズムを刻みながら、口の中でヴィンデミアの頭をごろごろと転がす。恐怖と不快感、そしてブランジネット家の誇りが限界に達し、ヴィンデミアの魂が口から抜けかけそうになったその時――。
パカッと口が開いて、ヴィンデミアの頭部は外界へと解放された。
「……ふぅ。シャワーを浴びておいで」
委員長のサムが、慈愛に満ちた笑顔でタオルを差し出す。
「……はい」
ヴィンデミアは魂の抜けた、ふらふらとした足取りで脱衣所に入った。
屈辱に震える手で運動着を脱ぎ捨て、シャワー室へ入ると、迷わず蛇口を最大までひねる。
降り注ぐ冷水を浴びながら、ヴィンデミアは心の中で叫んだ。
(……なんなのこの学園! 聖女候補の勉強をするはずが、なぜ私は不審生物に頭を丸呑みにされ、舐め回されなければならないの!?)
しかし、ヴィンデミアへのメレンヘア学園の洗礼は、まだ始まったばかりであった。
ページ下部の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると励みになります!」
ブックマークも大歓迎!!お願いします。




