第三部 第22話:帝国の英雄たちと、からっきしの謀臣
ロメーダ帝国を出立する運命の朝がやってきた。
ミルキーウェールズ王国一行が滞在していた迎賓館のロビーを出て、馬車の待つ車寄せの前へと向かうと――そこには、またしても息を呑むような異様な光景が広がっていた。
「……えぇ……また……!?」
スピカが思わず声を漏らすのも無理はない。広大な車寄せには、ゾズマやロメーダの三連星をはじめとするロメーダが誇る屈強な英傑たちが、整然と地に平伏していたのだ。
その圧巻の平伏の中央で、唯一人、すくっと立ち上がり、まっすぐな眼差しでスピカを見つめている男がいた。
ロメーダ帝国皇帝――レグルスである。
朝日に照らされたプラチナブロンドの髪を揺らし、レグルスはその深淵なるエメラルド色の瞳をスピカに向け、重厚な声を響かせた。
「――スピカ・マセット!」
「は、はいっ……!?」
凛とした呼びかけに、スピカの背筋がピンと伸びる。レグルスは一歩踏み出し、胸の前で拳を強く握り締めると、堂々と、そして溢れんばかりの情熱を込めて叫んだ。
「俺はお前を待っている!! ――いつでも、俺の所へ来い!!」
「〜〜〜〜〜〜っっ///!?」
周囲の貴族や衛兵たちが一瞬息を呑み、静まり返る。
朝の静寂の中、しばらくの間、じっと見つめ合うスピカとレグルス。
一瞬、映画の一シーンのようにスピカがレグルスの胸へと飛び込むのかと思われた――が。
「……」
スピカは顔を真っ赤にして固まったまま、レグルスの胸へ飛び込む様子は一切なかった。あまりの恥ずかしさと動揺に、足が地面に張り付いてしまっていたのだ。
「……っ///」
十数秒ほど沈黙が続き、いよいよ間が持たなくなったレグルスは、みるみるうちに耳まで顔を真っ赤に染め上げた。
「……あ、また会おう!!」
大声を上げて照れ隠しをするように激しくマントを翻すと、レグルスは逃げるようにサッと背を向けて歩き出した。
「「「ははっ!!」」」
平伏していたロメーダの英傑たちも一斉に立ち上がり、皇帝の背中に従っていく。その去り際、ミラがカノープスに向けて軽やかにウインクを飛ばし、ゾズマもまたスピカに向けてバチッとウインクを贈ってみせた。
圧倒的な威圧感と異様なオーラを纏った集団は、それぞれあらかじめ用意されていた豪奢な馬車へと乗り込み、疾風のように去っていった。
スピカは、遠ざかっていくレグルスの馬車を、胸の奥から湧き上がる愛おしさを噛みしめるように、静かに見つめ続けていたのだった。
その一部始終を、静かな微笑みを浮かべながら見終えたシリウスが、爽やかに朗らかな号令をかけた。
「――さて。我々も、愛する祖国ミルキーウェールズへと帰還しよう!」
「「はいっ!!」」
こうして、数々の波乱と陰謀、そして密かな恋模様が渦巻いたクラーケ討伐式典とロメーダ滞在の日々は終わりを告げ、ミルキーウェールズ一行を乗せた馬車は、祖国へ向けてゆるやかに動き出したのだった。
◇
一方――ロメーダ帝国の誇る最高級「特等馬車」の車内。
ガタゴトと心地よい揺れの中、窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めていたレグルスに対し、向かいに座る参謀デネボラが書類を手に静かに声をかけた。
「……陛下。昨晩の騒動の件ですが、すでに手回しを行い、完璧な『世論操作』を進めております」
デネボラはメガネの奥の目を鋭く光らせ、謀臣らしい冷徹な笑みを浮かべた。
「我が国の不備――すなわち晩餐会での警備の失態や、帝国の情勢不安といった負の側面から民の目を逸らすため、シリウス王子、イナズマ丸、そしてレグルス皇帝による『おとぎ話のようなエリダヌス姫救出劇』の方へと話題を誘導しております。経過は極めて良好で、民は我が国の失態を叩くどころか、英雄たちの華々しい活躍に喝采を浴びせておりますよ」
「ほう……」
「これで、我が帝国の国威失墜という最悪の事態は回避できたと言って差し支えありません」
流石は帝国の頭脳と呼ばれる男の完璧な仕事ぶりであった。しかし、報告を聞いたレグルスは、どこか興味なさげに短く返答した。
「……良くやってくれた、デネボラ君。ご苦労だった」
「はっ……」
ひとまず報告を終え、胸を撫で下ろそうとしたデネボラに対し、レグルスはふっと窓の外から視線を外し、どこか真剣で、それでいて不器用な迷いを込めた声で問いかけた。
「……ところで、デネボラ君」
「はい、何でしょうか陛下?」
「……スピカ・マセットの件だが。彼女は……余に心を向けたと思うか?」
「――えっ」
思わぬ角度からのプライベートすぎる相談に、デネボラは一瞬思考をフリーズさせた。
先ほどまでの冷徹な謀臣の顔は霧散し、じっと返答を待つ皇帝の真剣な眼差しに押され、デネボラは額にジワリと冷や汗をかき始めた。
(政治や軍事ならいざ知らず……れ、恋愛相談だと……!?)
恋愛経験など皆無に等しいデネボラであったが、ここで「分かりません」などと答えて皇帝の機嫌を損ねるわけにはいかない。デネボラは必死に脳細胞をフル回転させ、引きつった笑みを浮かべながら力説し始めた。
「そ、その件にございましては、陛下! 私の見立てでは……陛下はかなり、聖女スピカ・マセットの心を動かせたのではないかと考察いたします……!」
「本当か……!?」
「ええ! かなりイケてました! いい感じです!!」
力強く言い切ったデネボラの言葉に、レグルスはフッと力抜けたような笑みを浮かべた。
「……そうか」
デネボラの言葉を聞いたレグルスは、どこか安堵したように口元を緩めると、満足そうに頷いた。
「……ありがとう、デネボラ君。もういいよ」
そう言うと、レグルスは再び静かに馬車の窓の外へと視線を向け、どこか愛おしそうに遠い空を眺め始めるのだった。
――ロメーダ帝国の誇る天才謀臣デネボラ。
国家の情勢や政治の裏取引に関しては類稀なる切れ味を見せる彼であったが、こと「男女の機微」という分野に関しては……相変わらずからっきしなのであった。
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